「生と死を力強く肯定する」おらおらでひとりいぐも 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
生と死を力強く肯定する
設定が面白い。原作は未読なので同じなのかは不明だが、図書館の司書のおばちゃんがすすめるのは大正琴、太極拳、卓球と、全部「タ」ではじまるものだ。主人公の名前は日高桃子で、何のメタファーかはわからないが、日高さん、大正琴やんない?というのはゴロがいい。
それにもうひとつ、桃子さんは意外に人が悪い。オレオレ詐欺の電話を軽くあしらう場面のあとで、疎遠にしている娘から金をねだられる場面がある。詐欺で250万円も取られたと娘から非難されるのだが、実はそれは桃子さんが予め予防線を張っていた訳だ。人の悪い桃子さんは心の中で舌を出していたはずだ。桃子さんの豊かな想像力が発揮されるのは娘に嘘を吐くことだけではない。
1977年放送のテレビドラマ「ルーツ」は黒人の作家アレックス・ヘイリーが自分のルーツを辿る内容で、アフリカから連れてこられたクンタ・キンテまで遡るが、桃子さんが遡るのはふたつ。ひとつは岩手県の田舎を飛び出してから今に至る自分の半生であり、もうひとつは自分も含めた人類がよって来るよりも遥か過去、先史時代である。テレビで紹介されておなじみのアノマロカリスが古生代を象徴するアイコンとして描かれ、人類が登場してからはマンモスがアイコンとなる。
炬燵にちょこんと座ってお茶をすする桃子おばあちゃんだが、その頭の中では想像力が時空間を超えて、宇宙全体の過去から未来に広がっている。生身の人間として日常生活を慎ましく営みつつ、一方では知性が探求を続けているというその多面性が、桃子さんという人格をとても深い存在にしている。思春期の少女のように自由を求める一方では、娘を軽くいなしてしまう老獪さも持っている。あれもこれも、みんな桃子さんなのだ。
田中裕子は桃子さんという人間の多面性をすべて見せる見事な演技だった。そういえば田中裕子も「タ」ではじまる。蒼井優はまだ世界観の狭かった青春時代を若々しく演じる。東出昌大は例によって思い込みの激しい単純な男をステレオタイプに演じる。昭和の典型的な亭主をよく表現できていたと思う。
人間は多面的で矛盾だらけで、正直でもあり狡猾な嘘つきでもある。そしていくつになっても人生に悩む。大江健三郎の「洪水はわが魂に及び」では、主人公大木勇魚は最期に鯨の魂、樹木の魂に対して「すべてよし!」と挨拶を送る。この宇宙の生きとし生けるものすべてを力強く肯定する言葉だ。本作品の世界観はそれに似ていて、桃子さんの存在自体が素晴らしいと主張し、人間の生と死を力強く肯定しているように思えた。