劇場公開日 2022年3月11日

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「平板で奥行きがない」THE BATMAN ザ・バットマン 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0平板で奥行きがない

2022年3月24日
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鑑賞方法:映画館

 なんとなくモヤモヤが残る。
 真犯人がわからないままのミステリー仕立てにしたかったのは分かる。しかし大抵のミステリーは序盤で登場人物が勢揃いして、まさかこいつがという意外な犯人が判明するのが常道だ。しかし本作品はその常道に則っていない。もっと早めに出して欲しかった。
 リドラーの素顔が早めにわかって、リドラー側のストーリーとバットマン側のストーリーが並行して進むのであれば、もう少しスリリングな展開になったと思う。本作品は、キャットウーマンを登場させる都合上、バットマン側のストーリーが冗長になってしまった。ゾーイ・クラヴィッツのプロポーションを見せつけるためだけみたいな無駄なシーンも多かった気がする。

 バットマンは家族を殺された復讐をしたいのであって、ゴッサム・シティを守りたい訳ではなかった。本作品では「親の因果が子に報い」という、前時代的な家父長制度の価値観が登場する。リドラーの言い分だ。しかし親の因果で施設育ちの人間が、他人の親の因果を追及することはない。自分の存在まで否定することになるからだ。どうにも腑に落ちなかったのはそのあたりだと思う。
 バットマンは頭脳明晰で身体能力が抜群に優れてはいるが、結局は金持ちのボンボンに過ぎなかった訳だ。しかし親が金持ちであることを責められる筋合いはない。その点でもリドラーの動機が弱すぎる。
 人が恨みを持ち、怒りを覚えるのは、被害者意識、または被害妄想である。リドラーが被害者意識を持つに至った経緯が不明瞭すぎる。誰もリドラーに感情移入できない。悪人も人間だから、悪役にも少しは感情移入させる必要がある。そうすることで作品に奥行きが出る。
 ところが一面的に扱われたリドラーは、ただの変な人という印象から一歩も出ない。悪人の心理の深淵が扱われなければ、物語は立体的にならず、平板な一本道になる。本作品はまさにその典型だ。その上作品を貫く価値観は、アメリカらしい家族第一主義そのものである。
 商業主義のB級作品だから、アメリカの観客に受けなければならない。つまりは観客が家族第一主義であることを想定している訳で、バットマンは最終的に父親が守ろうとしたゴッサム・シティを守ることになる。ゴッサムの人々が彼の家族なのだ。戦いの英雄もやはり家族主義でなければならない訳である。

 余談だが、本作品のバットマンは身長2メートル、体重100キロくらいに見えた。しかし実際のロバート・パティンソンはそんなに大きくないようで、カメラワークで大きく見せていたのだろう。腐っても鯛、ハリウッドの撮影技術はやはり大したものだ。

耶馬英彦