「児童文学なのに「毒」をまき散らすロアルド・ダールの原作を再映画化!!」魔女がいっぱい バフィーさんの映画レビュー(感想・評価)
児童文学なのに「毒」をまき散らすロアルド・ダールの原作を再映画化!!
『ファンタスティック Mr.FOX』『チャーリーとチョコレート工場』 『ジャイアント・ピーチ』『マチルダ』など多くの作品が映像化されてきたロアルド・ダールの原作で、1990年にも『ジム・ヘンソンのウィッチズ/大魔女をやっつけろ!』というタイトルで映画化された「魔女がいっぱい」の再映画化である。
劇場公開作品として製作されたものではあるが、新型コロナウイルスの影響でHBO Maxでの配信スルーに切り替えた。更に『ワンダーウーマン1984』『ゴジラVSコング』『マトリックス4』などを劇場公開と同時にHBO Maxで配信するという発表するにまで至った。
公開の問題もそうだが、アン・ハサウェイらが演じる魔女のデザインが身体障碍者を連想させることや怖すぎることで批判が飛び交ったのだが、あくまで表現の自由であり、そこまで外部が口を出す問題ではない気がするし、逆にそういう批判的意見そのものが、そういった観方をさせてしまっていることに気づいてほしい。
確かに今回のアン・ハサウェイは、かつてないほどの恐ろしいキャラクターである。だからこそ、見つかったら殺されてしまうかしれないという恐怖感が伝わってくるのだ。
全体的に子供向けではあるのだが、ロアルド・ダール作品特有の「毒」が散りばめられている。例えば2005年の『チャーリーとチョコレート工場』では、工場見学に行った、一部の子供たちが特殊な体の変化から元に戻れなくなってしまった様に、絵本や小説は、冒険や戦闘の代償をあまり描かないまま、ハッピーエンドになるところが、ロアルド作品はその代償を描くことで、現実に起きた場合、ただでは済まないという、変なリアリズムの余韻を残すのだ。
特に今作で魔女によってネズミに変えられてしまう少年は、両親を事故で同時に亡くしたうえに、ネズミにされ、更に命の危険にさらされるという、児童文学としては、ひど過ぎる設定。
普通に考えて、精神バランスが崩れそうでもあるのだが、ネズミにされたことで、人間としての概念が消えてしまったのかもしれない。
まだ子供だというのに、ネズミであることを受け入れて、ネズミとしての短い人生を全うしようという、切り替えがやけにあっさりしていると感じたのだが、よくよく考えてみたら、脳もネズミサイズになっているのだから、かなり単純な思考に切り替わっててしまっていたとしたら、それはそうなのかもしれない。
一瞬、物語の穴かと思いがちだが、実は巧妙な設定だったのだ。
今でこそ『ザ・シンプソンズ』や『サウスパーク』のように社会風刺や皮肉に満ちた作品も多いが、1世紀も前にそれを既にやっていたことで、独特のセンスとブラック・ユーモアが多くのファンを魅了し、今作の製作にも関わっているギレルモ・デル・トロや多くのクリエイターが影響を受けてきたことも理解できる
本筋のラインに突入する前までの、ストーリー構成がかなり強引な感じもするし、変におばあちゃんの物分かりが良いのも気になるが、それは児童文学であるから仕方ないのかもしれない。
しかし、一方では、トラウマ的余韻を残すという児童文学らしからぬ側面も持ち合わせている。ストーリーは勿論、作品構造自体がおもしろいと感じさせるのもロアルド作品の特徴でもある。
ロアルド作品は、他にもNetflixで『チャーリーとチョコート工場』のアニメシリーズとミュージカル版『マチルダ』など企画が進行中であることからも、時代を超えて愛される個性豊かな作家のひとりで、その個性は受け継がれていることを考えると、文学界においても、映像業界においても大きな功績を残した人物といえるだろう
バフィーさんへ
しまった、間違ってますのでコメント修正w
「毒のある子供向け映画が駆逐される事を恐れている」でした。逆じゃん、全く。失礼しました!
今晩は
いつぞや、コメントをさせていただいたNOBUです。
評点は違えど、今作への感想及び、ロアルド・ダールに関してのご意見が当方と似ていましたので。
私は、ロアルド・ダールのブラックでシュールな世界観が好きでして、”味”や”南から来た男”など、何度読み返した事か・・。
今作を鑑賞したその晩から、久しぶりに書庫から「あなたに似た人」を引っ張り出して読んでいますよ。
では、又。
-又、映画と余り関係ない事をコメントしてしまった・・。-
バフィーさんへ
ウォルト・ディズニーによって、毒の無い子供向け映画が駆逐される事を恐れている私としては、バフィーさんのレビューを全面的に支持します!
欲を言うと、もう少し毒のある画(描写)があっても良かったのに、って思いますw