劇場公開日 2020年6月26日

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「二大巨頭」悪の偶像 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5二大巨頭

2020年12月14日
PCから投稿

韓国映画/ドラマを支えているのはスピードだと思う。

オンデマンドで、面白そうなドラマをみつける。
1話レンタルが200円だとする。
まあ、いいか、と思って見始める。
2話ばかり見たところで、下へブラウジングしてみる。

なんと、ドラマは150話まである。
視聴をあきらめる。
もしくは3話~149話を飛ばして150話を見る。

この多作は、スピードがなければ、成り立たない。
日本の俳優が、韓国の作品に出たあと、その速さを述懐するのは、無理からぬところがある。

もっとも100話を超えるようなドラマは、韓国人が得意とする恨(はん)と逆転人生をあつかう、ベタでお涙な昼メロであって、1話と150話さえ見ればその道中は頭で補完できる。かもしれない。

おそらく映画も速撮りであろうと思う。

はたして韓国映画が、速撮りなのかどうか、具体的な根拠はないが、ネットフリックスで見た韓国映画──狩りの時間や鋼鉄の雨や麻薬王や人狼、サバハなど、すべて長尺で、かなり混濁した内容を持っていた。濃いうえに、クオリティも高い。かんぜんな凡打はなかった。

コンテンツ大国と化した韓国なれば、その濃さを、あるていどのスピードで捌いても不思議はない。ゾンビ映画、生きているは状況を特化した、かなりスピード感のある仕事だと思った。

悪の偶像も143分ある。
難解なストーリーではないが、人物交叉は複雑で、凝った話である。
こだわりも顕著にある。圧倒された。

人はその人なりの法則をもって映画を見る。
誰某が出ているから見る──が各々あると思う。
個人的に、この映画は韓国映画なら見るとソルギョングなら見る、が重なったうれしい発見だった。

監督をしらべたらハンゴンジュという映画を撮っていた。
じっさいにおこった少女にたいする非道な暴行事件にもとづいた映画で、記憶も強かった。

映画は、ばりばりの韓国ノワールである。
ハンソッキュとソルギョング、巨頭どうしの共演は、個人的な記憶でははじめてだった。
ソッキュは裕福な議員であり、ギョングは底辺感のある庶民だった。

まいど感心するが、なにしろ韓国映画は底辺の人間の描き方がじょうずだ。

わたしも低所得者層なので、あまりひとごとのように底辺底辺言いたくはないのだが、一般庶民よりもひと/ふたまわり教育程度のひくいDQN風味のある人間像が、韓国映画ほどじょうずな映画はない。

パラサイトにもあるが、中産階級の人間が、塩をまきたくなるような、低層のDQN風味。得体のしれない感じ。
わたしは中産階級にのぼりつめたこともある底辺のにんげんなので、その感じがよくわかる。

映画は韓国ノワールのお手本みたいに進む。が、話はけっこう沈殿してくる。カットも凝っているし、力量も熱量もすごいが、筋書きに簡潔化がほしかった気がする。しかし労作だった。

ところで、わたしはながいことハンソッキュの魅力がわからなかった。
ソルギョングならばペパーミントでもオアシスでも、見たらすぐにわかる。魂の俳優だと思う。

だが、ソッキュのばあいシュリを見てもよくわからない。特異な俳優だとは思う。イケメン流行りの韓流において、主役格でありながら、わたしの会社にも町内にも、鏡のなかにもハンソッキュみたいなひとはいる。

だが、ソッキュには親近感があまりない。八月のクリスマスを見てさえ、なんかどっかうさんくさい。非イケメンだから──ではなく、ガンホみたいなダイナミズムがあるわけでもないし、演技にしても、巧さを判断しかねる。
総じてヤな奴が似合うわけで、かんがみるほど不思議なスターダムだった。

それでも悪の偶像を見ると、富者の理知と冷然みたいな雰囲気が、とてもじょうずだ。
たとえるなら、世間ずれした悪徳刑事、男尊女卑な感じの亭主、二枚舌の検事か弁護士、博愛を装っていながら実は薄情な企業人──ヤな奴ばっかりだけれど、そこで光るなら、それは確実に魅力だと感じられた。

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津次郎