「社会の分断を融合する?」エイブのキッチンストーリー Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
社会の分断を融合する?
映画を観る前、トレーラーを観てみた。トレーラーがこの映画の全てを伝えていると思った。この映画で、家族関係、親子関係、パレスチナ、イスラエル問題、フュージョン料理、異文化家族の板挟みのなかにいるエイブの葛藤、など盛り沢山にどこに焦点をおいてこのレビューを書こうか、なかなか決まらない。
Jorge Drexler - Milonga del Moro Judío この曲が好きだった。よかったら、コピペして聞いて。ユダヤ人でウルグアイ生まれの音楽家、医者
でも、このブラジルの監督(今は伴侶とロザンジェルスに住んでいる)の初めての英語の映画、これは何を言い表したかったのか?なぜ、この映画を作りたかったのか? それに。焦点を当てて自分の意見を書いてみる。
この『世界各地の味を掛け合わせた「フュージョン料理」を作るブラジル人シェフのチコと出会う』という文を解説から引用する。
チコはエイブの考えに同意し助け、エイブはユダヤ/パレスチナの両方の家族の心境を変えていった。ここに大切な役割を果たすのが、ブラジルバイーア州からきた、露天のフュージョン(融合)料理を営むチコ。チコはエイブに料理を教えただけでなく、家族が仲良くなるための秘訣を料理を通して教えた。それに、エイブの話を聞いて信じてくれた。(逃げるな、それに、向かいなさい。エイブ自身そのままでいなさいー(チコのエイブに対するこのアドバイスはいいね。)
フュージョン料理はいろんな形で、進出していると思うが、固定観念があって頑固な両親や祖父母に伝統的な食材を使っていても、融合料理は理解されるのは難しい。それがよく出ているのを言語から探すことができる。エイブの呼び方もアラブでのとヘブライ語とでは違う。かれはエイブが好きだと言ってるからここで、エイブ、(それが題)と使うが、行方不明になったと思ってエイブを探すために名前を呼んでいるが、ここでも、料理だけでなく、アラブでとヘブライ語とで呼び合っている家族がコメディータッチになっている。ここで明らかに呼び合ってる声がフュージョン(日本語で融合)している。
それに、二つの文化からの融合の賜物であるのが(祖父はネガティブにエイブの前でいった)エイブのはずだ。エイブは二つの文化の料理を作って、感謝祭のテーブルに出す。基本的に二つの文化を大切にした融合料理の創作は仲違いしている家族の間で、エイブに生きる力をあたえている。結果は悲惨で、それぞれの家族の文化に簡単に受け入れられなかった。その後、エイブの自己逃避の結果、家族全員がエイブの作ったパレスチナとユダヤの融合料理を平らげた。最終的にはエイブの自己逃避がこの家族たちを一つにまとめたわけだが。融合料理はこのなかなおりの結果の過程になっている。
社会がグローバル化され、人間が生きていく上にいいことも、悪いことも、テーブルの上に出して話し合うことが必要になってくると。逃げてはだめだと。融合料理を作ることによって、お互いの文化の良さを一つの料理にすることができるのであって、この概念が世界の人々が生きやすくするために必要だと伝えていると思う。伝統を大切にして守る気持ちはもちろん大切だと思うが。各文化の料理にも素材、調味料などの共通点がある。ましてや人間が作るのだからもっと共通点があるはずだ。融合は共通点なのだ。米国大統領選挙で社会が分断されている。イスラエルのユダヤ人とパレスチナ自治区のパレスチナ人は分断の歴史を持つ。共通点を一緒に賛美しようではないか。世界を皆が住みやすいところにするために。そんな、映画だ。
好きなシーン
両親が感謝祭にどう家族を招待しようか話している時、エイブがパレスチナ料理とユダヤ料理の融合料理を感謝祭に考えだすシーンが好き。急に起き上がって、家族が一緒に楽しく過ごすようなことを検索すると、『東西Divan オーケストラ』の『フィガロ結婚』がひっかかってくる。これを聞きながら感謝祭の献立をたてる。ユダヤのパン、ハッラーにパレスチナのフムスをぬったりして、融合料理を考える。(このオーケストラはスペインに住んでいる、ユダヤ人、エジプト人やパレスチナ人など中東の融合楽団員で作られている。指揮者ダニエルバレンボイムが創立者)