「犯罪として卑劣だが、背景には社会の貧困?」ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
犯罪として卑劣だが、背景には社会の貧困?
<映画のことば>
「彼女の気持ちが分かるか。」
「いいえ。自分の気持ちすら分かりませんよ。」
「私も干潟の下のことは分かるが、人の気持ちは、さっぱり分からん。とにかく、我々は生きるしかない。」
「蓋(ふた)をすればいい。」
「そうだ。我々さえ目をつぶり、耳を塞(ふさ)ぎ、口をつぐめば済むことだ。」
労働力目当てということなのでしょうか。
韓国では、子供の誘拐が、跡を絶たないというのは。
おそらくは「扱い」がいいからなのでしょうね。労働力としての誘拐の対象として子供が狙われるのは。
体力的にも、知能的にも(ずる賢い)大人には、しょせん子供は太刀打ちできないのでしょうから。
それだけに、犯罪としての「卑劣さ」ということでは、なお一層のことなのでしょう。
被害者である、その子供や、その子供の親にしてみれば、たまったものではないことは、間違いがありません。
そう思うと、本当に胸が痛みます。
反面、そういうふうに子供を労働力として搾取しなければ一家の生活が成り立たないという社会の貧困にも想いが至ります。
(それだけに、その上前をはねて甘い汁を吸う警察は許しがたくもある。)
実は、本作は、なかなか書くことのできなかった、別作品『母の聖戦』のレビュー起案のきっかけにでもなれば-ということで、同じく児童誘拐をテーマにした作品ということでチョイスした一本になりましたけれども。
他方、母親の「強さ」「執念」ということでは、両作は共通でもあったと思います。
その点も含めて、佳作という評価にも、充分な一本だったと思います。評論子は。
(追記)
本作でも浮き彫りにされるのは、役割を果たさない警察という組織。
そういえば、別作品『母の聖戦』でも、事案の解決に助力をしてくれたのは、警察ではなく、たまたま駐留していた(?)軍隊でした。
警察には警察としての役割が期待されていて、その役割は警察にしか果たせないことは、明らかです。
それだけに、しっかりしてもらわないと本当に困るのですけれども、なんとかならないものでしょうか。
そのことも、胸に痛い一本でした。
(追記)
それにしても、誘拐されて行方不明になってしまっていたユンス君の母親・ジョンヨンを演じた、別作品『JSA』『親切なクムジャさん』などのイ・ヨンエの演技が光りました。まさに「渾身の演技」だったと思います。
何を隠そう、監督さんや俳優さんを、いわばキーにして、その繋がりで作品を観ていくことの多い評論子としては、これからの作品鑑賞の「楽しみ」が広がった一本にもなっ
たことを、申し添えておきたいと思います。
本作のレビューの一端として。