三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実のレビュー・感想・評価
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語り口が優しかった
・三島由紀夫に対して割腹自殺した印象しかなかったので、ああいう語り掛ける話し方なのかと特に意外性とかもなく普通に誰かに語り掛ける口調として当たり前に見えた。当時の空気感っていうのが冒頭で色々と説明していたけど、全員ちゃんと着席してちゃんと話を聞こうとしてたし、そんなに大げさに対立してたのかなと思った。後々の説明で命の危険もあったというのが想像できなかった。
・他者とは?についてサルトルを引き合いに最もエロスを抱くものは縛られた女性の裸体(だったはず)でそこには主体を抱いていないからで…というような事だったと思うのだけど、AVをエロいと感じるけど、いざ自分がって時はAVを観ているときに感じるエロさはなくなってて一体エロいって何だろうって疑問に一つ答えをもらえた気がした。でも、あの話と通じているのかはわからない。(エロスの対象はただエロくてどこどこの誰々という事はないっていう意味であってたのかな?)
・途中から横についた芥氏が人間が決めた事を全否定して根源的な人間であるべき(あってるのかわからないけど、そういうような事を言っていた気がする)に対して、三島由紀夫は日本人である事を外すことはできないと断言した辺りから芥氏の言動が続き、印象に強く残った。
・話の内容が難しくて聞いている間はそういう事なのかなと理解できた気でいたけど、振り返ると三島由紀夫がちょいちょい挟むジョークが面白いなぁっていうのと東大生が猥褻になるのを嫌っているのと話し方が論理的にしゃべる人が一番強いような感じで言葉の選択に緊張感が凄くあった。反面、三島由紀夫はスラスラと理路整然と自分の考えを述べていて演説慣れしてるなぁと思った。
・反知性主義や非合法の暴力に出るしかない時もあるなど聞きなれない言葉を知られて良かった。
・楯の会っていうのを知らなかったのでああいうことしてたんだと驚いた。
・今の元全共闘や元楯の会の人たちが語ったり、三島由紀夫の映像を観ていて当たり前だけど、やっぱり生きてたんだなと思った。
・言葉の力が一番強かった時代っていう話になり、三島由紀夫はその力がなくなったことを諦めて割腹したのかなと思った。
・戦争の時に天皇と一体感が三島由紀夫のそこへ懐古しようとしているのではというのが興味深かった。
伝説の人物を感じられる貴重かつ凄い作品です。
三島由紀夫と言う人物は自分の中では歴史的な伝説の人物で寡黙で豪傑な容姿に武士としての覚悟と比類なき知性を纏った文学人と言う感じで、遠い昔に存在した人物と言うイメージ。
自分が生まれてから、ほんの少しだけ時代を共有してたと言うのも最近知ったぐらいの知識しか無かったのですが、それくらい何か縁遠く、遠い世界の人物にしか思ってませんでした。
そんな三島由紀夫のドキュメント映画が公開されると言う事でちょっと楽しみにしていたので鑑賞しました。
で、感想はと言うと、とても観応えがあり、凄いなぁと感じました。
ずっしりとどっしりとした質感で淡々と熱量が渦巻く作品。
面白い・面白くないを簡単には語れない程で観応えは十分。
どちらかと言うと、ドキュメンタリー作品を映画館で観るのはちょっと意義が感じられないと思う方なんですが、これは確かに映画館でしか観られない内容かと。
故人ではありますが、三島由紀夫「さん」とつけるのが憚るくらいに歴史的かつ凄い人物なので、敢えて三島由紀夫と書きますが全共闘との討論会の映像は当時の貴重な映像に加えて、半端無い緊迫感がビシビシと伝わってきます。
テレビ局ではTBSが唯一撮影していた映像はめちゃくちゃ貴重。
テレビでは放送出来ない内容ではありますが、本来はテレビで放送し、多くの人に見てもらう事に意味があると思うのですが、…まぁ流せないなぁw
なので、それを映画作品として上映されてるのはやっぱり貴重。
観てよかったと思います。
また、非常に緊迫感があってもリベラルな空気で、敵対心が渦巻いていたと言う訳ではなく、互いにそれぞれの主張を議論していた。
そこには探り探りではあっても根底に共通して互いをリスペクトする気持ちがあった様に感じられたのが、非常に印象的。
もっとギスギスした重々しい空気かなと思ってました。
また、東大全共闘の当事者たちも印象的で特に芥正彦さんが印象に残ります。
赤ん坊を連れて来た事で場が和んだ空気になってましたが、挑戦的な態度と言葉。それに自身のペースに持ち込もうとする計算高さも伺えながらも、弁の立つ闘士としての気高さを感じます。
でも、それに答える三島由紀夫の対応が素晴らしい。
正直討論はかなり高度な内容でちょっと付いていけない部分も多々ありましたが、それにきちんと答えつつ、自分の主張を盛り込んでいく。
何よりも三島由紀夫と言う人物がとてもチャーミングな人と分かったのは自分の中での新たな発見。
こんなに魅力的な人物だったとは思わなかったのですが、三島由紀夫に心酔した「盾の会」の会員の気持ちもなんとなくではありますが、分かる気がします。
討論会自体が決着がついた訳ではないが互いが互いに分かった部分もあって、討論会としては多分大成功かと。
どちらにも言えるのは今の情勢をそれぞれの立場で憂いていたと言う事。
あの時代はこんなにもエネルギッシュだったのかと言う事と大学紛争の当事者達の熱量の高さには驚きです。
最後に「諸君の熱情は信じます。他のものは一切信じないとしても、これだけは信じる」と告げ、壇上を後にした三島由紀夫の言葉はグッと来る物があります。
右や左と言った思想はさておき、その熱量は日本を良くしようとする行動から来る物で、その熱量が様々な紛争や事件を起こした事は答えだけを見ると良くないかと思いますが、今の時代には無い物を体験した様な感覚になります。
残念なのは、非常に意義の在る作品ですが、東出昌大さんのスキャンダルの件で些か作品の外でケチが付いた感じがする事。
東出さんのナレーションは全然問題なく、むしろ良く出来てたと思うのですが、違う事で変な注目をされた様な感じがするのはちょっと残念な気がします。
観終わった後に思ったのは“今の日本を三島由紀夫が見たらどう思うか?”と言う事。
歴史的な人物達が求めた日本になっているとは到底思えないけど、多分落胆をし、日本を憂いているとは思いますが、何処かユーモアかつ真剣に、いろんな道の1つを導いてくれて、弛んだ時には活を入れてくれる感じがします。
この作品は沢山の方が観る事で賛否はともかくとしていろんな事を感じ、いろんな事を思う事の大切さを教えてくれるかと思います。
悩み、考え、行動し、全力で生き、全うした三島由紀夫はやはり凄い人物であったかと。
好みは必ずあるかと思いますが、個人的にはホント観応えがある一級品のドキュメンタリー作品かと思います。
お薦めです!
三島の事がよく分かりました
どんな?内容かと不安でしたが、
東大の学生との討論会
言葉と意見の
交換。学生が、三島のファンみたいになって
いくところが、面白かった。
戦後の、東大教授は、クズばかりだから
あの様な、学生運動になるのも仕方ないと思う。
三島は、彼らに後を託したんだと思う。
50年経っても何も変わらない。。。。。
あるべき姿の「言葉」の交換
3章からなる本作。
各々のシーン事に丁寧な解説が施され、細やかに当時の状況や人物像を物語ってくれる。
個人としては三島由紀夫先生の話す映像を見るのが初めてで軽い期待と軽率な気持ちで見に行ったが、あまりの内容の濃密さに我を忘れて見入ってしまった。
討論では個人個人が相手の主張をしかと理解するまで聞き入れ、理解した後に言葉を返すのだが、その理解の迅速さと返す刃の織り込まれ具合に、あたかも自分がその場にいるかのような錯覚を受ける。
芥正彦氏の立ち振る舞いは正に自分の写鏡のようで(実際歳も近く)、若い自分の世界を強固に保っている人間として尊敬の念を覚えた。
また、それに相対している三島由紀夫先生の態度が陳腐な表現になってしまうが、最高に素晴らしい。言葉を使う者として最高の尊敬と、また、ユーモアを交えつつ論じる姿はその時代の文学を代表する芸術人として完璧だった。
概念的な内容が多く、難解であったことは確かだが、自分の世界を言葉という世界共通単位で表現し一つ一つ積み上げていく様は正に感動であった。言葉も無い。途中両者の世界を理解するためにトイレに休憩をしに行った自分を正解だと褒めてやりたい。
これこそ言葉の、言葉の重みと言葉によって作られる世界を伝えてくれる最高の映像だったと私は思う。どうか、常にこのような言葉の重みを持って喋れとは言わないが、ごく稀にであればこのような討論をしたいと思うばかりである。
見てよかった
日比谷シャンテシネマで23日4時20分から見ました。ほぼ満員でした。前方に、映画に反応して、独り言を大声で言っている男性あり。終了後、周りのお客さんたちが、スタッフに「もっと強く注意すべき」と怒っていました。それも含めて、忘れられない映画となりました。小6の夏休みからずっと三島由紀夫が好きです。肉声が、たっぷり聞けたことに感謝。もっと生きて欲しかった。女性は、寂聴さんしか出てなかった。ナレーションが他の人だったら、もっと良かった。アンパンマンの声の人とか。三島由紀夫が、司会の学生木村さんに、あとで、電話で、「楯の会に入らないか。」と誘い、電話を「君の妻に変わって。」と言って、妻に「木村さんを愛しているか。」と、三島が尋ねたとのこと。「三島由紀夫が女と会う時、ヒタメン」という本の内容が思い出された。
あの時代の若者のカリスマだったんだな。
三島さんの、社会における立場を詳しく知らなかった。
派手な作家で、社会活動的な運動をしていて、
運動家で、最後は割腹自殺してしまった人
というくらい。
とんでもないじゃないか!
映画スター三船、加山、スポーツ界の長島を押せえての
若者の人気投票で1位だったぞ!
この映画の舞台となった討論会にどれほど演出があったか知らないが、そこで述べられている言葉と、姿は、
嘘ではないなと信じたい。
感想
ひとつは、心と身体。
簡単に言えば、健全な精神は健全な肉体に宿る。
片方ではいけないってことだ。
実際、お金より健康が大切なんだよ。
健康なら、お金を稼いで生きていける。まあ極論だけど。
もうひとつ、三島は、戦争で死に遅れたと感じていた。
国の運命と自分の運命がリンクしていた時代。
国=自分。
国vs国の全面戦争だから、当然。
国家がしていただけじゃなくて、国民が進んでしていた面も
多分にある。
8.15ですべてが変わる。
なぜ、素人でもわかる国力の違うアメリカと戦争に突入したのか?いまだ議論は続いて、明確な結論はなく、
今の大多数の若者は考えてもしない。
自分もそうだった。
だけど、少し社会にでて、モノを考えるようになると、
必ず突き当たる問題だ。
なぜ、今の日本はこうなった?
三島さんらの世代は、当然強烈に考えたはず!
戦争があり、負けて、アメリカに占領されて、
アメリカ民主主義を押し付けられる。
出した答えが、憲法改正しか無い。
だって、憲法で戦争放棄してる国なんて、
大国の中では日本だけ。各国がそうなればイイけど、
現実はそうじゃない。単なる理想論。
両手両足を縛られて、国際社会の中での存在していく
そんなの、日本以外できないよ。
若者が、まだ情熱を持って社会を改革しようとしていた
良くも悪くも全共闘世代。
安保反対運動から全共闘だから、憲法改正で
共闘できた可能性もあったのか?
自分は、改正論者だったけど、
生きてるうちは無理っぽいな。
だから、せめて自衛隊だけでも明記しようとするのも
理解できる。
真の独立国になるには、アメリカからの保護と
縛りからの独立しかないのは明白。
それは、かなり覚悟がいる事で、
困難な道のりだけど、
自分ならどうするか、考え続ける。
映画を通して、また考えるキッカケとしたい。
三島由紀夫の一人勝ち
存命の方が多いので、以下敬称略です。
この映画は、三島由紀夫の視点で描かれているのでそう感じるのかもしれないが、この討論は、終始三島がコントロールしていたように感じられる。
まず最初に三島の方から議論の土台というか、相手がしゃべりやすくなるような引っかかる言葉を多分に含んだ演説を行い、学生たちを刺激する。学生たちはそれを受けて、他者は、とか、空間論や解放区などの認識論的な話を繰り出す。これは三島からしたら行動する前に認識についてしゃべっているのと同じで、大学の偉い先生たちが理屈をこねくり回しているのと大して変わらないように感じられたのではないだろうか。それでも辛抱強く議論に対応し、その中に少しずつ、日本論や天皇論の話題を紛れ込ませ、三島がおそらくしたかったであろう天皇論に議論を進めていく。
議論の途中で、「あっけにとられて笑うしかなかった」という振り返りの言葉があったが、あの瞬間に、その場にいた学生の多くは、「落ちて」しまったのではないかと思う。
そしてその場の空気にいたたまれなくなった、一番の論客で、ある意味場の空気に左右されない存在だった芥は、「飽きた」といって会場から出て行く(勝手に出て行けるだけ気楽なもんだと思うが)。
挙げ句の果てに、議論の終わりに、全共闘の学生から、共闘できないか、という言葉を引き出す。あれは思想の左右の違いのようなものはあっても、三島の言葉に学生たちが同調した瞬間だったのではないかと思う。さらにダメ押しで、三島は討論の後に主催者である木村に電話をかけて、盾の会に入らないかと訊いている。このときに遠回しに断った(周りに誰もいなければ「はい」と言っていたかもしれない)ことを確認して、三島としては、討論の目的の大半は果たした、と考えたのではないかと思う。
実際にはいろいろと違うところはあるかもしれないけど、少なくともこの映画からはそう感じた。文学者として、思想家としての三島由紀夫の存在の大きさが、東大全共闘の学生の比ではなかったことを端的に表しているのではないかと思う。
バランスがよかったです。大人の解説に助けられました。
識者らのコメントや解説が要所で挿みこまれて、
素晴らしい編集でした。初心者にも分かりやすいです。
全共闘のメンバーのお一人が三島氏を「敗者」だと
対決したり、現在のインタビューで全共闘のメンバーに
「あなたは敗北したのですか?」と聞いたりと、ドキドキ
ハラハラしたものでした。
けれども、識者の良識あるコメントに助けられ、
「勝ち負けとかそんな低い次元のお話ではないんだ」
と心の置き所を修正することが可能でした。
いやむしろ、こんな風に学び舎(母校)で文豪と討論し
時間を共有できたなど、羨ましくも思いました。
憂う気持ちは同じだった
三島由紀夫も学生運動も
そんなに知ってるわけではありませんでしたが
面白そうだったので鑑賞
感想としては
NHKスペシャルとかで出来ないかな
と言う内容にも感じましたが集中して
スクリーンで見るというのも一考でした
60年安保は可決を阻止できなかったものの
内閣退陣までは追い込めた安保運動は
学生運動にまで発展し60年代末には
反戦運動が大学への要求運動を織り込み
激しい全共闘運動が始まり全国の学校が
暴力革命に荒れた時代
保守派文化人の代表格だった作家三島由紀夫が
東大駒場教室で討論会を行った様子を中心にした
ドキュメンタリー
右翼対左翼という一色触発の様相もありながら
1000人の学生を前に堂々と立ち回る三島由紀夫は
討論というよりか互いの意見を酌み交わしながら
遂には互いの主張にある共通点を確認するに至ります
「アメリカの言いなりになる日本の将来を憂う」という…
自分は80年代生まれで当事者でなく深くは言えませんが
昔大学のゼミの教授が
「学生が思想というものを意識して行動に起こした時代で
その反動で今の大学は学生に考えさせるのをやめた」と
言ってたのを覚えてます
戦後教育から急激に成長し続ける日本に対して
このままでいいのかという不安や憤りも含まれていた
のかもしれません
ただそう言うなら左派だけでなく右派の
三島由紀夫も同じように考えていたわけで
楯の会の発足や自衛隊への体験入隊などを行って
いたわけです
ですから全共闘も三島も互いに共通の日本を憂う観点から
同じように行動に移していたわけで
互いに互いを批判する余地はさほど無かったことが
討論の中で少しずつ判ってきてしまった部分が
印象的でした
討論会は天皇観などにも及びますが
そこへくると三島が学習院時代に天皇陛下から直接
メダルを貰った話などに及び主観論になっちゃっている
あたり三島のチャーミングさを感じました
日本人が宗教観や災害時でも比較的混乱せずに
落ち着いていられるのは
天皇陛下の存在が大きいと思います
そこに日本人としての象徴がある限り
ぶれることのない日本人的感覚皆が
持ててるんじゃないかと思います
そこはどんな権力を持つ政治家でも
侵せない部分だと思います
文化大革命に影響された暴力運動も
起こっては見たものの結局広く国民の支持を
得るには至らず沈静化してしまったのにも
関わっているのかも知れません
三島は暴力に訴える事は否定しない
キ○ガイの騒ぎなら病院に行けば良い
でも君たちはそうではないはずだ
という共感を以て理性的に接する三島の姿勢は
今の時代にも通用する
いや必要なものなのかも知れません
途中解説している当時の全共闘の人達の
回想録も面白かった
なんかアベ批判に終始して笑われてるTwitter芸人や
ナマクラ坊主も混じってましたが討論会の内容が
ちんぷんかんぷんなためなんとか理解を得るのに
助かりました
まあそういう熱い時代があり今は冷めている
のかもしれませんし
また煽ろうと画策している怪しい連中もいますが
ネットで広く見渡せる時代
自分の手の内で収まる自分のあり方を
つかんでいく材料になる作品だったと思います
初めての映像
この頃僕は幼少期で、それでも全共闘とか三島とか覚えているのはやはりテレビ放送というのがいかに影響を与えたかという証拠。
三島というと自衛隊で自決というセンセーショナルな事件が取りざたされるが、それに至る三島の行動、言動は、未だに研究されている。
三島はその当時色々な大学で学生相手の討論会を開き、その学生と正面に向き合っていた。この駒場での全共闘1000人を前に、一つも臆することのない姿勢は清々しく、まずあいさつ代わりのスピーチを始めた三島に、1000人はアジることなく黙って聞いている。僕の感想だが、三島が圧倒的に大人で、丁寧に話し、嫌いなものをはっきりとさせていき、ユーモアがあることで戦闘モードの学生も沈静化したのだと思う。
司会を務めた木村という学生も、思わず三島先生とうっかり呼んでしまうほど、実際学生の心はこの最初のスピーチで掴まれてしまっていたような気がする。
もちろん途中全共闘一の論客と称えられていた芥氏が赤ん坊を連れて三島さんは敗退してしまった!とするどい一撃を浴びせるが、三島は最後まで声を荒げることなく主張をする。
このフィルムの面白さは、当時のフィルムに載せて、現在の彼らの考え、当時の思いをインタビューしたことだ。現在の芥氏は大人の不敵さで、「天皇の文化的側面ってなんだい?」とインタビュアーに聞き返す。むしろそちらの方の緊張感もあった。
三島は最後には共闘することはないが、皆さんの熱情が今ここにあることは信じられるという。この両極端の思想の両者には敬意がある。三島が発した言葉が、言霊となり駒場の900番教室に今でも残っているに違いない。
50年後の現代に、SNSで一方的に浴びせることはもう議論でもなんでもなく、シンプルに言葉を交換することで何かを生み出す。この映像はそれを我々に見事に示してくれたのだと思う。
現代へ生きる自分たちへ
全共闘の話は何度か聞いたが、正直、学生たちの暴走のような感じでしか思ってなかった。
連合赤軍、あさま山荘、みどり号ハイジャックと物騒で殺伐とした、今では考えられない、混沌とした時代、そういう認識でした。
この映画の初めの印象は、一触即発の暴動寸前の激論があるのか?と期待していましたが、それは開始早々いい意味で裏切られました。
三島由紀夫という人物が、自らを侮り、皮肉っていた学生たちに理解を示すコメントから始まりました。そこで一気に、三島由紀夫という人物に引き付けられたのを感じました。
現代は何かとネットの匿名性に乗っかり、相手を言い負かすこと、揚げ足を取ることで優越感に浸りがちな自己中心的な議論を多く見かけますが、ここで交わされる所謂「右翼」と「左翼」という立場で相いれないのではなく、もっと根源的な、なぜ今そのような活動をしているのか?元を言えば、なぜ戦うのか?戦いとは何か?観念とは?既存権力とは?などなど、哲学や文学など、まるで大学の(まぁ学生も三島も東大生なので当たり前ですが)ハイレベルの講義を受けているような高度な応酬が交わされます。マイケル・サンデル教授の白熱授業みたいです。正直、自分には頭が追付かなくて途中で眠くなりました。
しかし、最後は右翼も左翼もなく、共に国を憂うという点で折り合えた、そんな感じで議論は終わりを迎えます。実際、東大全共闘の主催者の木村氏は明らかに三島に魅了されていたと感じました。(本人は立場上、作中では認めないが)
そして映画は討論会後の三島へとスポットを当てる。
自分もTVなどで何度か見たことがあるので知っているが、彼はこの討論会の1年半後、市谷駐屯地の自衛隊員へ決起を促し、自殺するのだ。
この後は自分の個人的な感想であるが、結局東大全共闘のメンバーは生き残り、三島だけが死ぬことなるが、彼だけが最初から最後まで本気だったのだ。
映像の中で彼は「失敗したら自殺する」と述べているが、真剣に国を憂い、本気で若い人たちと向き合い、何かを伝えようとしていた。それがこのドキュメンタリーの根幹であるのだと思う。
彼自身、盾の会という右翼団体をつくり、右翼思想の学生と同じ釜の飯を食い、厳しい軍事訓練を行っていたし、多くの学生たちとデスカッションを繰り返していたという。
ノーベル文学賞候補を川端康成らと争っていた時代の寵児、多くのメディアで持て囃され、文壇で押しも押されぬ確固たる地位を築いていた三島由紀夫、そのまま平凡に暮らしても歴史になお残しただろう彼は、それらに全く眼中になく潔く自害するのである。
映画の中で彼は「あらゆる既成概念や権力と戦う、(中略)その熱量において君らを理解する」と述べている。つまり彼は誰よりも純粋に大真面目に革命を興そうと思っていたのだ。
そしてその背景には、20代で学徒出陣が適わず、おめおめと生き延びた負い目と、敗戦によるGHQ支配と押し付けられた憲法、資本主義へと、物欲主義、享楽主義へをひた走る社会。それらすべてへのアンチテーゼを彼は体現したかったのかもしれない。
そしてこれは、この映画から50年を経た現代の自分たちへと問いかけるものでもある。
これほど国を真剣に憂い、生きた人たちがいたということ、そしてそれに恥じない生き方を自分がしているのか?ということ。
改めてこの映画は、若い人にこそ見て欲しい、そう思える。
三島由紀夫の優しさ
三島由紀夫と東大の学生。
一人の小説家と日本最高学府の学生たちの対決という題。
圧倒的な三島由紀夫のカリスマ性には、対決という中身にはならなかった。子ども相談で回答する大人のように見えたのは言い過ぎか。自然観念めいた複雑そうなことを、学生が三島由紀夫に問いかけるが、それはこの場で行う議論ではないと思っていたら、別の学生からヤジが飛んだ。この会は三島をぶん殴る会なのではないのかと。血気盛んな展開になると、思いきやそれ以上は過激にはならない。いや、三島のオーラでいなされてしまったようだ。三島由紀夫の優しさを感じた。作品の中の瀬戸内寂聴の言葉でもある。
三島由紀夫にとっては、母校での凱旋公演会であったかもしれない。終わった後の感想が、「ゆかいな体験をした」と。
採点なんかできるか!
自己顕示欲と虚栄心だけの人。猿回しの猿と猿回し。そしてコメントを寄せる猿に寄生をしているノミ・ノミ・ノミ....
この映画の元になるフィルム映像を見たことはあるが正直な話...
主人公・作:三島.. 家来として共演:東大全共闘1000人。公演時間:2時間30分
黒い半そでのポロシャツからは、彼流の短期間でのビルドアップの成果の衣を身にまとい、彼自身が既に学生の惨めな出で立ちに完膚なきまで勝利をしている群像舞台劇を延々、嫌々見せらつけれている感覚...彼を紐解き心を覗くと虚栄心をくすぐるエクスタシーという感覚...その感覚の余韻のまま陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で最初で最後の絶頂期を超える。良かった?きみたけちゃん!ひっしょうちゃん?聖セバスティアヌス ちゃん?...字余り
ただ彼の計算違いか計算ずくかは...自衛官の質とその後の自分の死によって負の遺産を面白おかしくバイオとして残されたことかもしれない。本当は、最高の舞台となったはずの総監室での出来事が...
終始、重要な場面になると彼、三島は向かって右側の演出書類に目を落とす。それって演劇人としては...失格
猿回しの猿は、生死をくぐり抜けたサバイバーなんです...全共闘では役不足のため家来という役柄に....降格
日本は自由な国で...なんて神話か? 最初からないのか?
1985年公開の”ハリウッド”映画...製作総指揮、フランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカス。監督、映画タクシードライバーの脚本を手がけたポール・シュレイダー。配給はワーナー・ブラザース。最初で最後の日本を描いたハリウッド映画...チンケなラストサムライを思い出すチンケ...失礼。全編日本語..ただし英語圏ではナレーターに映画「ジョーズ」に出演されたロイ・シャイダー。
ある国の辺ぴな田舎町のビデオ店でこの映画と出会う...時間がなく日本でまた見れるとサラッと見てしまったのが...この映画、実は日本ではビデオ化もされず、それでも放映されるのを待っていたが、待ちぼうけに...でもYouTubeで見ることが...三島夫人の反対ではなく、一部の右翼のうわさ話に過剰反応した映画配給会社?
カンヌ国際映画祭最優秀芸術貢献賞受賞作品なのに....
何故、今、三島由紀夫なのか? 今でも三島ブランドが中年以上の男性に受けると思っているのか、それとも全共闘としての”student movements”の過去を思い出すためか? 地獄に落ちたノスタルジーのためか? 全世界で起きた学生の数が増え経済成長に伴う反意識による何でも揃う不安感をもう一度味わうためか?
オヤジのオナニーには付き合っていられない。
両極の立場の人間が... ”Yesterday’s enemies could be today’s friends.”
Right-wing novelist Mishima Yukio, who extolled antiquated ideals of bushidō and prewar Japancentrism, also became popular among Zenkyōtō students, despite the fact that their political leanings were in opposition to Mishima's.
For a moment he was live.
「僕は論理の通り行動しようとは思っていない....つまり意地だ。もうここまで来たらね。これは諸君に論理的に負けたってことは意味しない。つまり諸君が天皇を天皇と一言言ってくれれば僕は喜んで諸君と手をつなぐんだ(野次).....いや日本をよくしようと思うのは、みな同じじゃあないか。僕たちは、そんなにかけ離れていると思うかい。僕たちはここで真剣にトランプをやっているんだ。お互いこれこそはという”テ”を持ってね。これを遊びと思う君たちはナンセンスなんだよ。良く考えろ。いいか、そこが君たちが持っていない物が僕には一つだけある...........(それはなんだ?)それは何だ
天皇というジョーカーだ
映画「Mishima: A Life In Four Chapters」より
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