劇場公開日 2020年3月20日

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「言葉の重み」三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 コージィ日本犬さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0言葉の重み

2020年4月2日
iPhoneアプリから投稿

なんで三島も全共闘の学生も、こんなに分かりにくく面倒くさい言い回しするんだか。
哲学思想にかぶれた、難解な言葉が頭がいいことだと思ってるのか?
逆に人に理解される気があるのか?
馬鹿じゃないのか?
みたいな「?」が多く浮かびつつも、真剣さ、熱量は伝わってきました。

右と左の主義が異なる三島と全共闘ではあるが、しょせん手法や信奉対象(三島は天皇や国体・日本人文化、全共闘の学生は個人や学生の立場に未来、という差があった気はします)の違いでしかない。
ナショナリズム(反米愛国心、というより子どもの「攘夷」ごっこ)が底通しているというところで、互いに認め合う姿は、どこか滑稽さを伴いつつ、暑苦しいが清々しかったです。
テレビや雑誌カメラを意識した、(いい意味で)プロレス的な見世物だったのかもしれません。

また、このころは、まだ政治に関して、政治家も作家も学生も「言葉」を大事にしていたように感じました。
言葉を伝えようとし、言葉が通じるかを試し、言葉の力を信じようとしていて、言葉は重く価値があった。
(だからといって分かりにくい言い回しは困りますが)

翻って、今の令和の時代、国民は政治に興味がなく、政治家もマスコミも、発する言葉が軽い。
すぐに発言を訂正し、無かったことにし、文書は改竄して、約束を破る。

三島のように自決しろとは言わない。
ただ、大人として、一人の人間として、発した言葉に責任をもって欲しいと思うのでありました。

ところで、三島の自決後の左翼は、あさま山荘・日本赤軍など、過激な活動で社会から敵視され、敗北し、自壊していったわけだが…
今も生き延びているかつての全共闘の人々は、学生運動とは何だったのか、そして革命とは何がしたかったのか、ちゃんと人生で「総括」してるのかな?

かつてのことを思い出しながら熱く語る70代の方が、作中で数人映っていましたが、この話題になると目が宙を舞い、「それなりに意義はあった」的に語っていました。
革命を目指してたくせに、教員や公務員になって家庭を作り、老後を迎えたその姿に、今や自己正当化の卑怯さが垣間見えるなぁ…
結局、今、言葉を軽くした責任の一端は、学生運動をしてた連中が責任を取らなかったことにもあるんじゃないかな。
などと思ってしまったのは、私がこの時代を直接は知らない、若い世代だからなんでしょうかねぇ。

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コージィ日本犬