マヤの秘密のレビュー・感想・評価
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ロマの復讐
ヒットラーとプーチンは同じことしてる
1950年代のアメリカで、かつてナチスの軍人から戦時中にレイプされ、妹を射殺された悲惨な経験を持つマヤは、街中で偶然その男を見かけ、車の故障と偽りハンマーで殴りその男を拉致した。夫ルイスに訳を話し、自宅の地下室に監禁した。マヤは殺したい気持ちを抑え、男に罪の自白を求めた。しかし、男は人違いだと否定していた。本人か、似てる別人か、その男はどうなる、という話。
マヤはロマ人で、ロマの事を知らなかったが、もともとルーマニアでもジプシー呼ばわりされ差別を受けてきたんだと知った。
世界にはロマ以外にも、イスラエル建国までのユダヤ、先日観たマイスモールランドのクルド、ミャンマーのロヒンギャなど、多くの差別を受けている民族が多くいる事を知り、なんとか出来ないのかと今回も思った。
それと、当時のナチスの罪は重いが、現在のロシア兵もウクライナでレイプしてるらしいが、プーチンはウクライナのことをナチスと呼んで戦争を仕掛けている。プーチンはヒットラーと同じ事を80年経ってもしてるな、って思った。
歴史は繰り返されるというから、いずれプーチンも罰を受けるだろう。
マヤ役のノオミ・ラパスはストックホルムケースの時も良かったし、今回も好演だった。
かなり微妙な仕上がりだったかなぁ
なんだか自分の心の置き所をどこにすればよいか迷ってしまった作品でした。
アフターホロコーストを扱っていますからその点がフォーカスれているのか?と思いきや、どうにもその部分については重きを置いていないような気がします。まぁ、悲しい出来事のキッカケとはなっていますし、それを引き起こした元凶ですしね。話の展開は「人間が壊れていく様」、「拡大していく暴力」の恐ろしさが前面に出ていくのですよね。それは密室スリラー的なほどに。怖がらせたいのかなぁ?なんなのかなぁ?と。そしてクライマックス〜まさかの結末につながるわけですが、かなり意外な展開でした。ただ、その展開にあまり説得力を感じることができなかったんですよね。
これまで鑑賞してきたアフターホロコースト作品にはなんらかの主張を感じたのですが、本作からはそれがなかったんですよね。「すべての人間に大きく深い心の傷を与えてしまった出来事である」ということ以外には。社会派なのか?サスペンスホラーに振りたいのか?ただ、ラストシーンを見たときに「あぁ、人間の悲しき二面性」がテーマなのかも?って思いました。マヤとルイスの表情や顔の向きがそう感じさせました。この2面性があるかぎり、争いってなくならないんだろうなぁって・・・。
ラストまでどうなるか全く読めない!
複雑な気持ちに
許諾取ってるんだよね?
数年前に宮沢りえ、堤真一、段田安則で見た「死と乙女」というお芝居とクリソツでびっくり。
それはチリの劇作家アリエルドールマンが独裁政権崩壊後のチリを舞台にした話し。
シューベルトの曲が口笛になってた。
チリの独裁政権はナチスに代わってた。
舞台では子供は居なかったけど、、、何から何まで設計が一緒。(追記:どうやら許諾とってある模様)
宮沢りえがフワッとしてて病気ぽくも見え事実なのか幻想なのか見てて迷った覚えがある。
舞台の結末ももう少しあやふやで象徴的だったかなぁ、、、。
でも映像ならではのリアリティある描写はなかなか迫力があったし、出演者もガチだった。話もチリよりナチスの方が世界中で理解してもらえるから良いよ。エンディングもはっきりしてメッセージわかりやすかったと思う、、、the secret we keepタイトル通り。
ウチの親に聞いても「楽しい事など何もなかった」と言って戦争の頃の話はなにも話したがらなかったなぁ、、、、。
記憶
繰り返される悪夢・・・
ナチス兵に暴行されたことから、度重なる悪夢に悩む女性の元に、自身を暴行したと思われる男が現れ復讐するが果たしてこいつは本当にあの時の男なのか…!?といった物語。
人が変わったように、トーマスと名乗る男を監禁し拷問を行うマヤだが、優しい夫に本当に本人なのか尋ねられると、「私も記憶があやふや…でも間違いない‼」的な。。大丈夫かおいw!?
不審に思う夫はトーマスについて調べるが、どうもシロなんじゃないかと思いつつ、しかしイマイチ言動が覚束ないトーマスの態度も気になり…観ているこちら側としても、果たして何が真実なのかと悩まされる。
回想シーンで見られるナチスの蛮行にはゾワっとさせられるし、マヤは勿論、トーマスやその妻も何となく不安定な感じで話の行方が読めずにのめり込めるし、マヤ達の行為がご近所にバレそうになる展開はとにかくハラハラさせられる。
そして明かされた真実。思いもよらない展開に、この物語はまだまだ終わりそうもないなぁ~と、恐ろしさと虚しさを感じさせる。ツッコミ所も多々あるが、真実が見えてこない展開からのクライマックスまでの持って行き方等々、上手いつくりに終始見応えがあった良作◎
やっぱり戦争は良くないですよ、当たり前ですが。
今だからこそ、感じるモノのある怖さに戦慄が走る作品だった。
サスペンススリラーの名作。見る価値あります
予告編で以前から気になってました。予想以上に良く出来たサスペンススリラーの名作です。
ファーストシーンからミステリー要素が強く張り詰めた緊張感が続き最後の意外な展開まで全く飽きさせる暇がありません。
ノオミ・ラパス演じる主婦マヤの15年前の悲惨な記憶が徐々に蘇っていき狂気の世界に入っていく夫婦の姿は見応えがありました。
マヤの夫ルイスも誘拐されるスイス人と名乗る謎の男、さらに姿を消した夫を心配する妻の4人の姿をラストまで食い入るように見てしまいました。
都内で封切館も少ないですがぜひ公開中にご覧ください。
ちなみにノオミ・ラパスは脚本にほれ込んで製作総指揮を引き受けてユバル・アドラー監督を直接指名して実現させたそうです。
現在公開中の映画の中では必見です
戦争犯罪について私たちができること
戦争は、勝ったほうも負けたほうも国の再興・復興という大きなミッションを克服しなければならない点では変わりない。勝利の高揚感の中で始まるか、絶望に打ちひしがれた中で始まるか、の違いがあるのだとしても。
と思ったところで愕然としました。
自分はイタリアやドイツの戦後の歩みについて何も知らないではないか❗️ナチやファシスト党について、このふたつの国は自国内でどう総括し、今に至っているのか。
ド・ゴールのおかげで戦勝国になれたフランスでもナチに加担したヴィシー政権については腫れ物扱いのようだったと聞いたことがあります。
日本は、といえば戦後このかたずっとアメリカ主導できたので、そちらについて行くのに精一杯で、アジア各地において行われたであろう局所的な戦争犯罪について特定個人を裁くことも含めて総括的なことはたぶん行われていないのだと思います。
徹底的に負けて国の体制自体もリセットされたことで、戦時中に起きた色々なものも一旦なかったことになり、戦争体験者の大多数が鬼籍に入ってしまった今(死人に口なしだから反論される心配がないせいか)、歴史修正主義の勢力が〝この国のかたち〟を法解釈の変更を積み重ねながら戦争のできる国に変えつつあるように思えてなりません。
『戦争犯罪においては、加害者だって心に深い傷を負っている場合がある、だから許されるべきである』
なんてことを言うつもりはありませんし、被害者による私的制裁(リンチ)もまた許されるものでもないはずです。
戦争犯罪のような、個人が負うにはあまりにも重たい出来事は、公的な記録としてしっかりと後世に残し、歴史の中で裁かれるのを待つ、というのが戦後を生きる我々がすべき責務なのだと思います。
そう思うにつけ、公文書改竄やお上にとって都合の悪いことはそもそも記録に残さない、ということがあからさまな最近の政権がとても危険なものに見えてきます。
悲劇は再び繰り返される
ナチスがユダヤ人の他に同性愛者やジプシーを虐殺したり収容所に拉致したりしていたのはよく知られている。本作品のマヤもそのひとりだ。ロマ(ジプシー)であった時期にナチスに襲われてレイプの被害に遭ったトラウマに、15年が経過してもまだ悩まされ続けている。レイプされた相手の顔は今でも忘れない。忘れられないのだ。
その相手の顔を見かけたときから、マヤの中で復讐心が燃え上がる。もはや行動は止めようがない。あれはあのときのあの男だ。
戦争は人間が置かれる最悪の極限状況である。特に最前線は過酷だ。生身の人間が銃で撃ち合う。手榴弾を投げあい、近接格闘で殺し合う。精神状態は常に異常だ。異常でなければ人を殺して平気でいられない。そして異常な精神状態が倫理や良心を簡単に乗り越えてしまう。他国民を惨殺しレイプして家に火を付けるのだ。そうすることが普通だと思えば悩みはない。ドイツ軍は兵士に覚せい剤を使っていた。しかし、何のために殺すのか?という疑問を持った瞬間から、兵士にとっての戦争のトラウマが始まる。
マヤと、マヤに捉えられて監禁されたトーマス。両方とも戦争の被害者である。どうしてこうなったのか。一体何がいけなかったのか。
共同体はとても危険な存在だ。いじめっ子の集団みたいなテキトーに出来上がった共同体でも、リーダーがいじめのターゲットを決めたら、一緒にいじめなければならない。家族に家長主義の父親がいたら、その暴力に耐えなければならない。国家ともなれば、ナショナリズムの高揚に国民が盛り上がる。サッカーの応援で盛り上がるファンと同じだ。自分で考えることをしないから、国家のパラダイムに盲従する。そして従わない人間を非国民だと非難し、特高警察に通報する。
共同体の悲劇は、指導者が共同体の危険性を認識していないところにある。指導者が国家主義を煽れば、国民が高揚して戦争に向かって突き進むことになる。指導者といえども、国民の盛り上がりを簡単には止められない。戦争は軍部の一部が起こすのではない。国民が戦争を起こすのだ。
戦争の被害者は命を奪われ財産を奪われた人々であり、トラウマに悩まされる生き残った者たちだ。本作品のマヤであり、トーマスことカールである。被害者同士が対峙しているところに、本作品の物悲しさがある。サスペンスとしてのストーリーはともかく、戦争がここまで人々の精神を破壊したのかと思うと、胸が痛くなる。
2022年の冬は北京五輪が開催されているが、終了した途端に台湾危機とウクライナ危機が破局に向かうかもしれない。第3次世界大戦は、同時多発的に、誰もそれとは気づかないうちに静かに始まるだろう。そして後になって、あれが第3次大戦だったと名付けられるのだ。悲劇は再び繰り返されるのだ。いい作品だと思う。
もう一つの迫害された民族
勘違い
舞台劇テイストなリベンジサスペンス
過去にナチスから暴行を受けた女性マヤが、加害者と思しき男を拉致し、自白させようとするが…
ホロコーストがテーマの映画は毎年のように作られているが、本作がそれらと異なるのは、マヤがロマ(ジプシー)であるという点。ナチスの迫害はユダヤ人以外に同性愛者や身体障碍者、聖職者などにも及んでいたが、ロマもその対象だったというのは本作で初めて知った。
迫害、拷問の対象となっていた者がナチスに復讐する作品は、最近だと『復讐者たち』があったが、こちらは極めて私的な復讐。マヤが監禁した男は果たして加害者だったのか?それとも…という疑念で進むストーリーは、主要人物の少なさから舞台劇っぽいなと思ったら、ロマン・ポランスキーも映画化した戯曲『死と処女』の翻案説もあると知り納得。
次第に現実と妄想の狭間に囚われていくマヤの狂気が見ものだが、オチが予想を超えないままで終わってしまうあたりが、主要人物の少なさが裏目に出ちゃったかなと。
拉致される男役のジョエル・キナマンは『スーサイド・スクワッド』シリーズの印象が強いけど、リメイク版『ロボコップ』ような苦悶に満ちた役どころが映える気がする。
原題の「The Secrets We Keep」が、“I(マヤ)”ではなく“We”の理由を知りたければ、是非ともチェックを。
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