「本当のジャンルは…」ナンシー つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
本当のジャンルは…
誰でも観る前に観たい作品かどうかジャッジするわけで、好きな人が出ているとか、監督が好みだとか、薦められたとか、大ヒットしたとか、いろいろ理由はあると思うが、その中でも作品のジャンルというのは大きな割合を占めると思う。
知り合いには、ホラーとモンスターものしか観ない人や青春恋愛ものしか観ない人、とにかく主役が強いアクションしか観ない人などがいる。
本作は予告もパッケージも煽り文句もサスペンススリラーのそれで、サスペンススリラーしか観ないタイプの人は大いに肩透かしを食らったと思う。
しかし本作のジャンル違いは、それ自体が作品の仕掛けなのだと気付いた。
映画の始まりの画面サイズは狭い。ここまでは完全にサスペンススリラーの雰囲気だ。
母が亡くなったことで縛られていた家を一時的とはいえ出ることで画面サイズが広がる。
母の介護とうだつが上がらない自分に嫌気が差し、注目されたい、愛されたい思いでナンシーは嘘をつく。
画面サイズの広がりでサスペンススリラーの雰囲気は若干ソフトになるが、観ている者には嵐の前の静けさに思えるだろうし、狭い世界から外に出たナンシーも束縛からの解放に気付かず嘘をつき続ける。
悲劇的なことが起こりエンディングでまた画面サイズが縮むのだろうなと漠然と考えてしまうし、スティーブ・ブシェミ演じる父がいつ殺されるかとハラハラしながら観ることになると思う。
しかし物語の進行と共に、これはスリラーではなさそうだなと思い始めるが、まだ確信は持てない。
ナンシーが本物かどうか揺れる夫婦と同じように。
そして、湖のそばでハンターを助ける場面で、母は本当のナンシーの姿を見て自分の娘ではなくとも受け入れ愛する気持ちが芽生え、観ている私たちは本作がサスペンススリラーなどではなくヒューマンドラマなのだと確信する。
つまり、サスペンススリラーなのは偽りのナンシーで、本当のナンシーはヒューマンドラマなのだ。
他人からも自分でも愛せる本当の自分という、最近では多すぎるくらいのベタとも言える本当の内容を、サスペンススリラーという嘘で覆ったんだね。
何か酷いことが起きることのない、実のない偽りのサスペンススリラー=偽りのナンシーより、温かい優しさのあるヒューマンドラマ=本当のナンシーの方が愛せるでしょ?というわけだ。
確かに。
漠然とだが皆が救われたような、嘘がなくなって芽生えた愛に最初のイメージや期待と逆の衝撃を受ける。
本当のジャンル、本当のストーリーは、小粒でも実のある良いものだったなと思えた。
