劇場公開日 2020年10月9日

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「☆☆☆☆(芦田愛菜の成長に★1つオマケを) これは何も起こらないス...」星の子 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0☆☆☆☆(芦田愛菜の成長に★1つオマケを) これは何も起こらないス...

2024年3月10日
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☆☆☆☆(芦田愛菜の成長に★1つオマケを)

これは何も起こらないスーパーバイオレンス映画。

〝 何も見えないからウイルスは恐ろしい 〟
その一方で、人間の暴力性に火種が着火する瞬間は果たして見えるのだろうか?。

芥川賞候補になった原作は読了済み。

読んでいて、始めの内は「何だかとりとめの無い話だなあ〜!」と思いながら読んで行くと、、、
最後の舞台となる《星々の郷》での描写で、何だか段々と不思議な気持ちになって行った。

小説では(おそらく)映画のポスターに使用されているこの場面で話は終わる。
…終わるのだが、本当はまだ何も始まってはいないのではないか?との思いを感じさせて小説は閉じられる。
この後に、この家族が一体どんな暴力に晒されて生きて行かなければならないのか?…と。

新興宗教に入れ込む父と母。疑問を感じながらも、両親の気持ちを無下には出来ない、優しい心を持つ主人公のちーちゃん。
一体この先、この家族にどの様な未来が訪れるのか?を考え込まずにはいられなかった。

不思議な魅力を持った小説では有りましたが。ただこれを映像化した場合に、観客はどんな感覚を覚えるのだろうか?
一般的な考えとして、新興宗教が関係している限りに於いて。その人(または家)の周辺に居る人達からは、一体どんな反応や態度で見られるのだろう点と。同じ境遇に居る春ちゃんの、ちーちゃんに対する接し方はまだ理解出来る。
でもなべちゃんや、彼女の彼氏の新村君で有り。ちーちゃんの家庭が、新興宗教に入れ込んでいるのを知るクラスの仲間達等。
みんながちーちゃんに対しての接し方には、(普通に読み進めているだけだと)それ程のリアルさは感じない。

寧ろ《エドワード・ファーロングにはちょっと似てない》南先生が、ホームルームで放つ一言の方が(映画は原作よりも暴力性を強めていた)リアル感が有ったと思う。
南先生の突然の言葉は。まさに、人間の心の奥底に潜む《暴力性》が端的に描写させていたと思う。

但し、この小説の文字に表されていない怖いところは。読み進めると時々訪れる僅かな危うさで。そんなフッとした瞬間から漂う《暴力性の匂い》
これは、友達のなべちゃんにもほんの少し感じられる時期は有った。
ただ原作の中では、そんな暴力性は回避され事なきを得る。
しかしちーちゃんの立場は、常にやじろべえの頂点に立っているが如く常に危うい。
ほんの僅かな違いで〝 イジメや無視 〟と言った《人間の心の闇に巣食う暴力》の、餌食となり得ていてかも知れないのを読者は知る。

そして感動的に見える、家族が心を1つにして未来へと向いている(様に見える)ラストの星々との会話。

この、一見するとハッピーエンドに見える描写ですが。考え方を変えて読んで行くと。この親子3人(本来ならば4人)の行く末には、かなりの困難が立ち塞がっているだろう…と思わせる。
当然そこには、かなりの《暴力性》が伴う事も。

小説の中では、雄三おじさん家族が登場し、ちーちゃんの未来を案じて色々な提案をする。
また、両親に反発して家を出るまーちゃんや。両親が宗教に入れ込むきっかけとなる、落合家の息子のひろゆき。
信者の人達から、そのカリスマ性で一目置かれる海路と昇子の存在等。
それぞれ、その存在感で作品には欠かせないのですが。海路と昇子は(原作だと)最後の最後にほんの少しだけ登場するだけだし。まーちゃんに至っては、居なくなってしまうと最後まで登場しない。

唯一ひろゆきは、中学生のちーちゃんにとっての〝 性の芽生え 〟
性に対する男女間での意識の違いを思い知る存在となり。男の〝 怖さ 〟を認識させられる、大事な役割ではあるものの、ほんの僅かの登場の為。雄三おじさん家族や、海路と昇子の2人と同様で、映画化に於いては中途半端な存在になりそうな気持ちは拭えなかった。

↑ ここまでは原作を読んで感じた感想。

↓以後は映画を観ての感想になります。

映画化に於いて、原作との違いは少しだけあり。まーちゃんは原作だと戻って来ないが、映画では一度だけ戻って来る。
ひろゆきがちーちゃんを襲い、無理矢理キスをする場面は無く。春ちゃんの彼氏が、スピーチをする場面も映画ではカット。
逆に海路と昇子は、原作だと1度しか登場しないが。2度登場させる事で、教団でのカリスマ性を強調させていた。

そして原作の中で、同じ境遇の子供達と、何度か話題に上がっていた教団の危うい状況。
映画化に於いては、それを宇野祥平の語る一言に集約させていた。
〝 あの 〟『オカルト』の主演俳優である宇野翔平の言葉だけに。この後の、将来的な教団の行方に不安が残るのですが。それをより意識するのは、カルトホラーである『オカルト』を観ている人に限られてしまうのかも知れない💦

映画は多くの場面で長回しを多用し。原作から仄かに漂う不穏な空気感を、きっちりと匂わせていた。
そんな難しい監督の要求に応えた芦田愛菜の演技力は、少女とも大人ともつかない難しい年齢なのですが、見事に演じて見せた…と言えるのではないでしょうか。

大森監督は、実質的な長編デビュー作の『ゲルマニウムの夜』を始めとして。初期の『ケンタとジュンとカヨちゃんの国」の頃から。先頃の『光』辺りまで、人間の奥底に潜む暴力性が、少しずつ滲み出す作風が目立っていたと思う。
その一方で、最近になって目立っのが。『セトウッミ』であったり、『日日是好日』の様な。どこかマッタリとした日常を描き始めている事に少し驚いています。

観終わって感じた事は。成る程この『星の子』には。言わば暴力性の強い作品と、マッタリとした作品の、中間にあたる作品だったのかも知れません。
どこか、以前に撮った『まほろ駅前…』シリーズに近いと言えるでしょうか。
何となくですが、これまでとは心境の変化であったり。真逆の作品を撮る事で、自身の心のバランスを整えているのか?などと考えてしまう。

しかしながら、作品の奥底に見え隠れしていたのは。何も起こらないのに、暴力の火種は既に着火しているかも知れない怖さ。
この監督の作品では目立たないものの。意外とこれまで撮ったどの作品よりも、強い暴力性が隠れていたのかも知れない。
本当に恐ろしい暴力は、まだまだ先に起こるのかも知れない。

人間は絶えず変化して行く生き物である。
冒頭の母親の育児ノートは、書く必要が無くなった事で、やがてちーちゃんの落書きとなり。その後、頭の良いクラスメートの勉強のメモ用紙となる。
そのメモ用紙も、いずれは書くスペースが無くなり、遂にはゴミ箱へと捨てられて行く事だろう。
元々4人だったこの家族。まーちゃんは居なくなり3人になった。いずれはメモ用紙の如くに、ちーちゃんもこの両親から離れて行くのだろうか?
もしもその時には、何らかの暴力性によってこの家族が引き裂かれてしまうのだろうか?…と。

2020年10月10日 TOHOシネマズ錦糸町楽天地/スクリーン12

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松井の天井直撃ホームラン