ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方 : 映画評論・批評
2020年3月10日更新
2020年3月14日よりシネスイッチ銀座、新宿ピカデリー、YEBISU GARDEN CINEMAほかにてロードショー
仏教的諦観とも重なるような自然観。ひとつの世界の創世記を観ているようだ
ロサンゼルスの郊外の荒れ果てた農地に移り住み、そこから美しい農場をつくりあげていくまでの夫婦の8年間の奮闘。映像の美しさに息を呑み、夫婦の哲学に深く共感する。自然は人間がコントロールできるものではなく、人間はあくまで自然のありようを支えていくことしかできないのだという、ある種の仏教的諦観とも重なるような自然観。
問題が次から次へと起きる。カタツムリが大量発生して果樹園の葉を食べつくし、コヨーテが侵入して鶏たちを殺す。果物は野鳥についばまれる。二人が師と仰ぐ伝統農法の専門家、アラン・ヨークは「いつか帳尻が合う日が来る」と言うけれども、それがいつかはまったくわからない。そしてアランは道半ばにして、ガンで逝ってしまう。
しかし少しずつ、展望は見えてくる。鴨たちを果樹園に放してみると、9万匹のカタツムリはあっという間に餌になった。そして鴨たちの糞が肥料となり、果樹に栄養を与える。牛や羊を養うと大量の糞が出て、ウジが湧くが、しかし鶏たちがそれを餌にする。コヨーテから鶏を守るため犬を鶏小屋に同居させると、コヨーテは鶏をあきらめ、農園の地中に住むホリネズミを漁るようになり、ホリネズミが果樹の根を食べる害がおさまった。桃を食べる野鳥にはタカが現れ、アブラムシにはてんとう虫が現れ…。
それぞれが自分の役割を果たし、農園のエコシステムができあがっていく。それはすなわち、農園が自然の原初の姿に戻っていっていくということなのだろう。
そういうサイクルに向かう中で、人間の役割とはいったい何なのだろう。本作を鑑賞していると、そういうことを考える。人間が自然環境から過剰に富を収奪しようとすれば、必ずバランスはどこかで崩れ始める。バランスを完璧に保とうとするのなら、人間という文明的な存在は邪魔者でしかないのではないか。
そう思考を進めていくと、この農園はまるでノアの方舟のようにも見えてくる。気候変動とモノカルチャー(単一作物の大量農業)で荒れていく大地で、ただひとつ生き残っていく美しい農園という未来風景。
本作の1時間31分は、ひとつの世界ができあがっていく創世記を観ているようだ。しかしもうひとつ考えなければならない視点は、その新世界は大洪水の後に生き残ったノアたちが作り上げる「選ばれし者の世界」でもあるということだ。世界の人口は70億人を超えていて、2100年には110億人に達してようやくピークアウトすると言われている。100億人もの人間全員が、ノアの方舟に乗れるわけではない。
望まれるのは文明的存在のいなくなった美しい自然環境なのか、選ばれし人々による美しい農園生活なのか、それとも100億人がなんとか生き残りを探るこの世界なのか。本作はあまりにも美しいがゆえに、そういう選択肢をも考えざるを得ない。
(佐々木俊尚)
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