「交わされる言葉」ジョン・F・ドノヴァンの死と生 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
交わされる言葉
(少し加筆しました)
手紙だけではなく、散りばめられる会話を含めた、交わされる言葉は、僕達のものにひどく重なる。
インタビュアーとルパート。
当初は都合が気になって、真剣に話を聞こうと云う姿勢ではない。
ジョンと母親。
ジョンと父親。
ジョンとゲイの友人。
ジョンと俳優仲間。
ジョンとマネージャー。
皆、ジョンのことより、自分や自分の話題のことを優先して話そうしたり、相手を傷付けるかもしれないとか慎重な言葉選びや、思考のフィルターなどなく、時には聞くに耐えないレトリックも使われる。
子供時代のルパートへの学校の友人の言葉は残酷であからさまだ。
子供時代のルパートと母親にも似たような状況はあったが、学校の先生の言葉で救われる。
そして、
ジョンと子供時代のルパート。
きっと誰にも話せないようなことを密かに二人は手紙でやり取りしていたのだ。
ほかの誰にも話せないことをやり取りしていたのだ。
二人の間だけで様々な理解は深まっていく……が、
しかし、外に知られた途端、意図や意味が異なってしまい、解釈に悪意が込められたりもする。
離れていく友人やマネージャー。
見知らぬ老人の言葉の方が余計に心に響く。
受け入れようとしてくれる家族。
ルパートは、ジョンとの手紙のやり取りを話したことの重大さに気付く。
ジョンのルパートに宛てた最後の手紙は、最後であることが示唆され、死を暗示するようでもあるが、老人の励ましを受けて、再出発を決意し、ルパートにも強くてあって欲しいと願うものだったようにも思える。
ネットには言葉が溢れる。
交わされる言葉の真意が伝わりにくかったり、意図せぬ表現が口をついて出たりすることはある。
知っている人よりも、匿名性の高い見知らぬ誰かの方が話しやすかったりするのかもしれない。
また、それは第三者の解釈だと違ったものだったり、悪意がこめられることもある。
真意が伝わっているか、常に考えてるか。
身近に相談できるような人はいるか。
更に考えてみると、
文字制限をさもルールのようにして、言葉足らずになること安易に受け入れていないか。
面白おかしくすることに傾倒して、本来の意味を逸脱していないか。
考えれば考えるほど、この作品のなかで語られるやり取りは、やっぱり、ひどく僕達に重なるような気がする。