「私は嘘つき……と言う芳根京子ですが、もしかすると「私は嘘つき」という言葉自体が嘘なのではないかと思わせる、まるで気が触れたかのような女性を演じていて、これは凄かったと思います。」ファーストラヴ お水汲み当番さんの映画レビュー(感想・評価)
私は嘘つき……と言う芳根京子ですが、もしかすると「私は嘘つき」という言葉自体が嘘なのではないかと思わせる、まるで気が触れたかのような女性を演じていて、これは凄かったと思います。
しかし、なんだかなーと思ったのが、ストーリーの拙劣さです。
登場する数名に同一種のトラウマが設定されていたり、人間関係を設定=偶然に頼り過ぎている点など、ストーリーとして許せる限度を超えており、鼻につきました。
誰であれ、人間である以上は、親にまったく反発を抱かないことはあり得ないはずです。
しかし親を許せないと考える人の気持ちを安易に尊重してしまっている現代の風潮はどんなものなのでしょうか。
それは、もしかすると、「尊重という名」のもとで、単純に社会が責任逃れをしているだけなのではないかと、特にこの作品を観て、違和感を隠せませんでした。
安易に「男が悪い」と、男を一方的に断罪し、責任者探しをする女性たちの「被害者コスプレ」を、そのまま肯定してストーリー化してしまったのが、やはり失敗ポイントだったのではないかと思います。
北川景子はうまくなったと思います。結婚は彼女の演技力にとって大成功だったのだろうなと思いました。
中村倫也の、ズルくて厭味な演技も迫真の出来ばえです。
芳根京子のフッ切れた演技も言うまでもありません。
このように、主役級がみんな熱演を魅せてくれていただけに、ストーリーの組み立てが残念でなりませんでした。
コメントをいただき、困惑しています。
私の記したのは以下の通りです。
『親を許せないと考える人の気持ちを安易に尊重してしまっている現代の風潮はどんなものなのでしょうか。
それは、もしかすると、「尊重という名」のもとで、単純に社会が責任逃れをしているだけなのではないか』
この部分に対して、性の問題とか、男性の問題とか等のコメントをいただいたようですが、これをどう解釈すればコメント者のような解釈になるのでしょう。
はじめまして。
尊重の名のもとに社会が責任逃れの文意がわかりませんでした。
男性が確かに悪者になっている映画です。それはわかります。性の問題は単純ではなく白黒はつきにくい。しかし物語は常に一面性を見せるもので、その一面性もリアルな事実なのかとは私は思いました。