劇場公開日 2021年1月29日

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「「花束」とは何か。この映画に共感する人に対する強烈な皮肉が込められている。」花束みたいな恋をした nyaroさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0「花束」とは何か。この映画に共感する人に対する強烈な皮肉が込められている。

2024年10月5日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

知的

 花束とは何か、ですよね。「綺麗なものを寄せ集めた」「金で買える」「すぐに枯れてしまう」ものです。それが2人の恋愛であるということでしょう。

 本作は「スタイル」で生きることへの強烈な批判です。彼らの理想は「好きな事をやる」でしたが、それは親の金で作られた虚構でした。つまり、外部の価値観に仮託しないと自分の恋愛や願望すらわからなくなっている底の浅さを描いています。芯がない2人が自分を消費で形作ることで、そこに自分があると思い込んでいるということです。

 「好きな事」は楽しい事でしかありませんでした。しかし、楽しい事も本当の意味で楽しいい事でなく、楽な事だったということです。つまり、恋愛も同じだったということです。

 押井守、宝石の国、ゴールデンカムイ…いろいろ出てきますが2人は会話でその深掘りをしません。泣けるかどうか、面白いかどうか、特殊かどうか、カッコイイかどうかで選んでいます。普通の映画ならそこに意味性を持たせるはずです。その意味性をあえて排除したのは、彼らのサブカル指向はスタイルであるということです。

 靴がお揃いから仕事用の革靴になることで2人が違う道を歩みだすという示唆になっていました。音楽のLとR。同じ生活をしていていも見え方が違うということと同時に、それは本物ではない、という意味もあるのでしょう。2人の部屋のうさん臭さがそれを表現していました。

 生活がかかってきたときの男女の考え方、別れ間際の男の往生際の悪さなどはわざと一般的に描いたのでしょう。要するに特別だと思っていた2人はまったく特別ではなかったという意味です。

 2人がファミレスで泣いた理由。若い昔の自分たちの相似形を見て何を思うのか。有村架純は自分が犯した間違いが理解できたことでの悔恨あるいは自分の以前の輝きを失った失望感でしょう、菅田将暉はあの頃に戻ってやり直したいという願望だと思います。

 浮気の会話はちょっと笑いますけどね。女は怖いです。

 この映画は共感を得られるように作っておきながら、実は本作に共感する人に対して本当にお前たちは自分で考えているか?恋愛しているのか?という問いかけになっていると思います。その強烈な皮肉が読みとれるかどうかでしょうね。

 映画そのものは面白かったですが、冗長感がなくはないです。もう15分くらい短くしてもらいたかったなあ。

nyaro