夢の裏側のレビュー・感想・評価
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「これはイデオロギーの戦いだ。監督のやることじゃない」
映画制作においてロウ・イエが重視していることは単純だ。自分の仕事をやる。これだけでは言葉足らずかもしれない。では補足しよう。自分の仕事でない仕事はやらない。
ロウのスタッフへの指示はとても細かい。それはおそらく、タスクを細分化し、どこまでが自分の領分でありどこからが自分の領分ではないのかをあらかじめハッキリさせずにはいられない彼の作家的性分ゆえだろう。
夜間のロケ撮影中、ロウがスタッフに電話口で怒鳴るシーンがある。そのスタッフはロケ弁の用意を忘れており、ゆえに現場スタッフたちは各自での飲食料調達を余儀なくされたのだ。ロウは自分の仕事を果たさなかった彼をことさら強い口調で責め立てる。それまでどちらかといえば穏便でスタッフ想いだった彼だからこそ、このシーンには緊張感がある。
あるいは終盤、中国当局の検閲を巡ってロウとプロデューサーが揉めるシーン。ロウは中途半端に切り刻まれた作品を公開するくらいならお蔵入りさせたほうがマシだと毒を吐く。対してプロデューサーはスタッフたちの生活のことも考えろと言う。
プロデューサーの言うことはもっともだが、ここでロウの映画制作の信条が思い出される。自分の仕事をやる、自分の仕事ではない仕事はやらない。
彼はあくまで監督という立場から見解を述べている。彼だってスタッフを食わせていかなくちゃいけないことは百も承知だろうけど、あくまで彼の仕事は監督なのだから、その職務に徹した言動を取る。
彼は結局、2年間にわたる中国当局との戦いを強いられることになるわけだが、このときの彼の言葉は悲痛だ。「これはイデオロギーの戦いだ。監督のやることじゃない」。
彼は言う。中国では今もなおこうした検閲が堂々と行われ、作り手も少しずつそれに懐柔されていく。ぬるま湯のような作品ばかりを浴びるうちに受け手もまた二流化していき、中国映画はいつまで経っても世界水準に達することがない。
彼が外国資本を頼ることなくあくまで中国本土で映画制作を続けているのは、中国の肥沃な文化的土壌への信頼と、それを取り戻さんとする確固たる意志ゆえだろう。
当局との戦いはプレミア公開の4日前、全国上映の7日前までもつれ込んだ。公開2日前の記者会見にて、ロウはある記者から「どこがカットされたんですか?」と尋ねられる。彼は「言いたいことは全て作品の中にある」と言ってそれ以上何も語らない。
ロウ・イエはどこまでも「監督」に徹することができる、芯の強い作家なのだと改めて感じた。
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