シャドウプレイ 完全版のレビュー・感想・評価
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タバコさえ最後まで吸えない国で
女は物語を牽引できない。女は物陰からじっと見つめていることしかできない。殴られ、待たされ、犯され、騙され、殺され、徹底的に受動態的なオブジェクトとして男に使い捨てられる。
ただ、当然ながら、女はモノではない。だから彼女たちは立ち上がろうとする。決死の抵抗を見せる。中でも喫煙は重要なモチーフだ。警察署の廊下で、自室の洗面所で、そして香港のバーの屋外で、女たちはタバコに火を点ける。そこには主体的抵抗の意志が根差している。しかし男たちは平然とそれを阻む。阻んでいることにさえ気がついていない。女たちはこんな小規模な戦いにすら力を持ち得ない。だから本当に抵抗しようと思ったら、もう自分の命を賭けるしかない。そういう破滅的なやり方でしか自分と世界の間に横たわる矛盾を解消することができない。そしてこのオブセッションが彼女たちを発狂や殺人に至らしめる。
ジャン一味の汚職を調査するヤン刑事は、ジャンやタンとは違って優しさがある。ゆえに物語の「良き語り手」であるかのように思われるのだが、次第にマッチョな本性を露出させ、遂には復讐と暴力の鬼へと変貌していく。彼への信用によって一応は「サスペンス」として成り立っていた物語は、その信用が失墜したことで中空へと投げ出される。女のものでも男のものでもなくなった物語は、字幕による説明という飛び道具によって半ば強引に幕を閉じられる。このあたりのせせこましい演出はコスタ・ガヴラス『Z』のラストシーンを彷彿とさせる。思えば『Z』も本作と同様の射程を持った社会派コメディだった。
本作は明らかに40〜50年代のフィルム・ノワールの系譜をなぞっているものの、もはやそこには「謎めいた美女」も「理性ある捜索者」も存在しない。徹底的な簒奪によって生きるよすがを失った亡霊と、カネと暴力の自家中毒でおかしくなったジャンキーが画面の上をうつらうつらと漂うばかりだ。かつてフィルム・ノワールの異色作と評されたニコラス・レイ『孤独な場所で』のあらゆる者を突き放したような結末が、本作においては至極真っ当な帰結として提示されている。
加速の果てに正気を失う男たちと、それに振り回され、摩耗していく女たち。一体何が彼らをこんな結末に追い込んでしまったのか?「それは男性優位社会に他なりません」と結論づけることは簡単だし、実際そうではあるのだが、ロウ・イエが目指す地平はもう少し遠方にある。エンドロールでは劇中で使用されたカットやそのオフショットと混じって古びた幾枚かの写真や動画が映し出される。それらは明らかに中国共産党最大のタブー、天安門事件を示唆している。現代中国に瀰漫するさまざまな歪みの原因は、他ならぬそこにあったのではないかと、ロウ・イエは自らの作家生命も顧みずに強く主張する。
こうしたセンシティブさゆえ、本作が中国で公開されるまでに実に2年もの歳月がかかったという。ロウ・イエと中国当局との攻防については彼の妻が記録した『夢の裏側』というドキュメンタリー映画があるというので、そちらも是非観てみたい。
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