ふたつのシルエットのレビュー・感想・評価
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とにかく傑作だ
めちゃくちゃ良かった!もうね、めちゃくちゃ、めちゃくちゃ良い!
わず37分の短編ですが素晴らしいです。37分で終わって欲しくない、その感じも良かった。
竹馬監督は前作『蜃気楼の舟』から完全に好きになった監督です。作風は非常に抽象的であり、映像や音楽といった作品の全体像を感じることで心の中に何かが浮かび上がって来るタイプのガーエーを撮る人です。
最近はキャッチーな感動とかさっぱり肌に合わなくなり、わかりやすいストーリーのある映画はちょっとウザいとまで思うようになってしまった身としては、本作は完璧ド真ん中。中性刺激的であるまさにシルエットのような作品からは、観る人の世界の捉え方を引き出します。
海辺の街で7年振りに再会したトシヤとカナエ。7年前2人は恋人同士でした。そして今は別れてそれぞれの人生を歩んでいます。トシヤには妻子があり、カナエにも恋人がいます。
しかし、2人の心の奥には未だに消えない何かが残っていました。「過去の記憶は無色になり、温度がなくなり冷たくなる」と語るカナエですが、カナエもトシヤも再会をきっかけに、それぞれの心の中に居る当時の恋人(現在のカナエは過去のトシヤ、現在のトシヤは過去のカナエ)と対話を始める…というストーリーです。
物語は互いの心象風景を断片的に伝えるに過ぎず、伝わるのは儚さと切なさ。何があったかはポツリポツリと語られますが、別れのきっかけとなった事件はただのトリガーに過ぎず、2人の間にはもっと何か大きな澱のようなものがくすぶっていたように感じました。
繰り返しますが、本作をどう捉えるかは観手次第です。つまり観手の価値観や思いが本作に投影されると思います。以下に語ることは正解ではないし、本作にはそもそも正解はないでしょう。
それを踏まえて俺が本作に見たものは、好きな気持ちと信頼の問題でした。
2人は時を経ても互いを好きでいるように感じました。まだ気持ちが互いに残っている。『思い出は無色』という言葉はタルコフスキー(ノスタルジアのドメニコね)の病める精神人と同じく反語です。ぜんぜん無色じゃねぇ。
でも、2人は無理なんですよ、もう。そこには気持ちはあっても信頼はなかったから。お互い、相手に自分を委ねることができないんですよね。
トシヤに思いを語ることができなかったカナエ。「自分のことばっかり…」と呟くカナエは自我に囚われてます。勇気を出してトシヤの中にダイブできないんです。それはトシヤも同じように感じました。頭で理解しようとして、カナエのすべてをバチコーンと受け止めない。
俺が本作を観て連想したのはハル・ハートリーの傑作『Trust』だ。主人公マリアは高台に登り、下に居るマシューに対して「受け止めて」と言ってダイブします。
人と人との関係って、これに尽きるな、と。信じてダイブする。そして、それを腹を括って受け止める。
しかし、トシヤもカナエも互いに好きだけど飛び込めない。どちらか一歩踏み出せば、もしかしたらあの『Trust』のマシューのように受け止めるかもしれないのに!
そして、俺はそんな2人が切なくてたまらなかった。2人の臆病さがよくわかるから。好きだけど、傷つくことに臆病になってしまう。受け止めてくれなかったらどうしよう…そんな思いが疑心暗鬼を生み、成し遂げられるはずの愛が壊れてしまう。
2人は過去を後悔しています。しかし、何を後悔しているのか。向かい合えなかったことを後悔しているようですが、臆病だったこと、自分を守るためにダイブできなかったことは後悔できていない。その愚かさが、たまらなく悲しく愛おしい。だから、再会しても、口づけを交わしても心が近づかない。シルエットは永遠に2つなんですよ。カナエの涙はそれを鋭く伝えてきます。
誰もがヤスミン・アフマドやエイドリアン・シェリーのように強くあれない。人間は不完全であり、時に弱く、時に愚かになります。そして、その弱さが互いを傷つけ合うのです、傷つけ合いたくなんかないのにね。そこに悲しみが生まれるのです。
Jan and naomiが演奏するテーマ曲『DAB♭』の極上のメロディが彩る儚く哀しい本作は、観る者の思いをくっきりと浮かび上がらせる傑作です。文藝ガーエー好きにとってはマストな一本だと思います。37分でちょっと値段も安いし。
演者について。主演の佐藤蛍さんがとにかく素晴らしい。足立智充さんもよかったけど、女優さんがホントに素晴らしくてため息が出ました。何なんだろうなぁ、セリフ回しとかそんなんではないスゲー感じは…全身で鎧の脱げない女のもどかしさ・怒り・悲しみ・切なさが伝わってくるんですよね!マジで名演。調べたら演劇の人らしいです。やはりガチ演劇は違うなぁ!
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