「"No destitute boy ever refused entry."」ロンドン・バーニング Naakiさんの映画レビュー(感想・評価)
"No destitute boy ever refused entry."
イギリスのNeo-noir映画。刑期を終えたリアムが向かったのは、妻子の元だったが、その敷居は高く、少しの時間だけですぐに弟のショーンのアパートへと向かう。すぐにでも仕事を捜そうと公共職業安定機関ジョブセンター・プラスに行っても
I'm afraid there isn't anything to take.
If anything comes up
you'll be the first to know. ...That's fine. Fine.
おざなりすぎる答えに諦めたのか...? リアム。
イギリスはロンドンを舞台にしているので、当然、映画自体が憤ってしまうぐらい暗く、画面を見てもアクションも演技もなぜか泥臭く、希望のない社会風景だけが目に先に届いてしまう。しかし、この暗さが反って、先の見えないリアムの未来を象徴しているようで、常に妻子の事を考え、泥沼の世界から何とか抜け出そうとするが、ジョブセンター・プラスの様な扱いを受けてしまう。しかも更生したくとも、周りがそれを許さないだけでなく警察も彼の事をただほっといたりはしない。
古代のオストロスの様な二面性?をもつ影の犯罪組織のボス、カレンがチャリティー・イベントの時に集まった人々の前で祝辞の言葉を述べる時、子供の養護施設の創設者であるアイルランド人慈善家トーマス・ジョン・バーナードの言葉を引用するシーンが印象に残る。
"No Destitute Child Ever Refused Admission" ここでは、Child➡boy
トーマス・ジョン・バーナードという方も2面生を持っていて、暗にこのことを映画では強調したいのか、彼は確かに貧しい子供達の家を作ったかもしれないが、その裏では、貧しく暮らす両親の承諾もなく強制的に誘拐まがいに子供たちを集め、そしてまだ未開であったオーストラリア、ニュージーランド、南アフリカといったコモンウエルス加盟国に送り込んで、その後、環境の悪さや性的暴行などの酷く、惨い仕打ちをされたことが記録に残っているが、何故か彼は、罪に問われることがなかった。情報伝達の欠如か、単にいわゆる貧しい人の言葉が届くのを阻むような、慈善活動家として人気がそうさせたのかもしれない。
話が進んでいくと、ベケット刑事が、一連の殺害事件や麻薬の密輸などを捜査していくうちに犯行そのものが、カレン一人の犯行ではなく、汚職警官の関与の問題も浮き彫りになっていく。シドニー・ルメット監督の映画「セルピコ(1973)」のようなエンタティメント性映画になるのかと思えば、それよりももっとどす黒いものが根底にあるように見える。
映画の中で面白いことがある。ベケット刑事が電話口でHello. Good evening.....といった後にGood morning.と言い直すほど時間を忘れて昼夜も問わず仕事をしているところや、悪党のカレンも一睡もできないようすで嫁さんから"寝てちょうだい"なんても言われている。よく考えてみたら、ラストの様子なんかを見ると、黒澤明監督の「悪い奴ほどよく眠る(1960)」のワンシーンにある巨悪の根源と思っていた岩淵がまさかの「お休みなさいませ」といった言葉に確か電話口の相手は「何を言っているんだ。朝だぞ。」と、また彼が、「なにぶん、昨晩は一睡もしなかったので……」という有名な場面を取り入れているのか、最後、関係者全員が.......。同じようになってしまうところなどよく似ていると個人的には思ってしまう。
色々なサイトで、今までやってきた甘いマスクの2枚目から、この映画「ロンドン・バーニング」でイメージを変えるかもしれない役柄に挑戦していると載っていたが、本人も今年33歳になり、新しい形の俳優に臨みたかったのかもしれない。