「終盤物足りないがかなり面白い」MONOS 猿と呼ばれし者たち つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
終盤物足りないがかなり面白い
この作品から多くの人が「地獄の黙示録」を想起すると思う。「地獄の黙示録」のカーツ大佐がカンボジアの奥地で作り上げた王国は、本作の少年たちとどこか重なる。その一方で、全くの別物であることも明白だ。
カーツ大佐は世界を知り戦争を知り、おそらく文化も知る大人であり、自分の意思で王国を築いたのに対し、何も知らず分からないままなし崩し的に出来上がる王国。結果が似ていても過程が全然違うのだ。
軍隊のような規律と年頃の少年少女らしさが混在する彼らは、危険のない文化的な生活をしている者から見ればいささか狂っているようにさえ感じるほどの混沌。
しかし彼らがそれを不思議に感じることはないのだ。もちろん外を知らないから。
人を殺めるために訓練された子どもならば当然、自分が殺されることも考えるだろう。それはつまり死が身近にあるということだ。
私の目には些細に思える失敗に対して過剰に恐怖を覚える。その恐怖は彼らを極端な行動に走らせることとなる。
モノスと呼ばれた少年たちはコロンビアを表していると監督は言う。
コロンビアのことには詳しくないので具体的にどの当たりがコロンビアなのか分からないけれど、作品内の見える範囲では、文化的なことと原始的で暴力的なことが混在する混沌と、それをおかしいと思わない無知さかと思う。そのことをエンディングのシーンは象徴していた。
身元不明者として救助されたランボー。ヘリコプターの乗組員はしきりに「身元不明者を確保した。指示を頼む」と通信する。しつこいくらいに何度も繰り返す無線はモノスたちがメッセンジャーとしていたやり取りを思い起こさせる。そして酷く怯えたように涙するランボーの姿。
ランボーは乗組員の言葉が分からない。
救助したヘリコプター側の人間である私達には、ただ安全が確保されたようにしか見えなくとも、ランボーにとっては自分たちが監禁していた博士のことがチラついただろう。
人質として辛い目に合うかもと怯える姿こそが「知らない」ということなのだ。
逆にいえば自分の常識だけでものを見てはいけないという教訓でもあるように思う。
ストーリーがないなどと書いているレビューアーが何人かいるけれど、ストーリーはちゃんとある。
まあテレビアニメのように子どもでも分かるように作られてはいないので分からなくても仕方ないが、分からなかったことくらいは分かってほしいものだ。