「(アガサ・クリスティ原理主義ファンとして一言)天国のアガサが怒鳴り込んでくると思う。(一映画ファンとして一言)原作が『ナイルに死す』だと思わなければそれなりに巧く作った映画だとは思う。」ナイル殺人事件 もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
(アガサ・クリスティ原理主義ファンとして一言)天国のアガサが怒鳴り込んでくると思う。(一映画ファンとして一言)原作が『ナイルに死す』だと思わなければそれなりに巧く作った映画だとは思う。
①一つ前の『オリエント急行殺人事件』は映画としても酷い出来でケネス・ブラナーの演出には映画作りの上手さも感じられなかった(あまりにも呆れたのでそこまで気が回らなかったかもしれないけど)。今回は実際に犯行がどう行われたのかを再現したシーンは流れるような演出が巧いと思ったし、原作の改悪ぶりがよくそこまで弄ったと思うくらい徹底していたのが却って誉めて上げたいくらい。しかし、この映画で唸らされたのはこの二点だけ。あと失敗点を挙げ連って行きます。②一番大きな失敗はケネス・ブラナーがポアロをハムレット気取りで演じたこと。本格探偵小説・推理小説の探偵はハードボイルド小説の探偵とは違いあくまでも事件を外側から見る傍観者の立場。ミステリーファンが楽しみたいのは、不可能と思える殺人事件の謎が提示され、さてどんなトリックが使われているのか真犯人は誰か探偵と謎解きゲームを競い、最後にアッと驚く種明かしに「騙された~」と唸ることである。誰も探偵自身の身の上話を知りたい訳ではない(それはまた別の話)。それが今作ではやたらポアロが一人で喋って観客が謎解きに参加する暇さえ与えてくれない。アガサ自身も自分が作り上げたこの希代の名探偵を途中から嫌になったらしいが、それでもポアロ=立派な口髭なのに、それを剃ってしまうとは。原作への冒涜でしかないでしょう。③原作の『ナイルに死す』のメインテーマは“人を愛しすぎるのは決して良いことではない、賢明なことではない、時には危険で恐ろしいことになる”ということ。今作が言っているように“愛のためであれば人は何でもする”というのとはちょっと違う。「いくら愛していても度が過ぎるのは良くない」というアガサの実人生からの教訓を、最初の結婚の破局⇒謎の失踪事件を起こしてから10年立ってやっと冷静に自分の作品中で描けたのが『ナイルに死す(Death on the Nile)』なのだと私は思っている。実はアガサはカップルを犯人にしたミステリーは他にも何作か書いている。しかし、ジャクリーンほど「サイモンを善悪も憐れみも何もかも越えてただ愛していたが故に犯罪に手を染めた」犯人像にしたのは『ナイルに死す』以外にない。それを際立たせないと『ナイルに死す』にならないのにポアロに自分の恋物語を語らせてどうする。④ガル・ガドットもミスキャスト。リネットを演じるにはスター過ぎるし、カップルの仕掛けた偽りの愛の陥穽に落ちるにはとうが立ち過ぎている。初登場シーンは確かに美しくゴージャスではあったが、それは映画スターのゴージャスさであって若くして大富豪になった娘のゴージャスさではない。1978年版のロイス・チルズくらいの準スターレベルのキャスティングがちょうど良く、ロイス・チルズの方が初登場シーンでリネットの人間像を短いシーンの中で上手く活写していたと思う。リネットが死の直前にジャクリーンに向かって『貴女とは友達でいたかった。貴女だけがお金目当てで近づいて来たのでなかったから』と言いジャクリーンが涙ぐむ(この後殺すわけだから)シーンは原作にも1978年版にもなかったシーンで悪くなかったが、元はと言えばあんた(リネット)が“入っては行けない道(原作の表現)“=“友達の恋人を奪う”からだろうが自業自得だ、とあまり同情は出来ない。⑤アーミー・ハマーのサイモンは柄といいネームバリューといい1978年版のサイモン・マッコーキンデールよりは良かったとは思うがイギリス人らしさがないのが玉に瑕。口髭も色悪っぽさを醸し出し過ぎで、ジャクリーンがリネットに初めてサイモンを紹介するときの内容と合致していない。リネットの死に大泣きするシーンがあるが自己抑制の強いイギリス人があんなに人前で感情的になるか違和感があった(アメリカ人ならわかるけど)。⑥エマ・マッキーのジャクリーンは柄としては1978年版のミア・ファローより原作のイメージに近い。ミア・ファローはどうみてもサイモン・マッコーキンデールの年上の恋人にしか見えなかったから。しかし、犯行を決行する前夜、前にポアロから「心に悪を入れてはいけない」(「愛が無ければ代わりに悪が入るわ」という原作の台詞が好き)と言われていたミア・ファローが、止めたい気持ちと(サイモンへの愛から)決行する気持ちとの相克に苦しんでいるような、もう少しでポワロに真実を話してしまいたいような忘れがたい表情をした演技を見せてくれたが、今回はそういう芝居がなかったのが物足りない。⑦21世紀になったとは言え、クリスティ映画で『やりまくった』とか、『昨夜は2回した』『いや3回』だとか、踊りや服を着たままとは言えdoggy styleとかを見たくなかった(そう言えば石が落ちてくる前にリネットがサイモンのズボンの中に手を入れようとしてましたね)。天国でアガサが卒倒していると思う。⑧戦前のイギリスで白人とインド人とがいとこだなんてあり得たのか?⑨同じ様に「黒人と同じプールで泳げるか!」ということはあっただろうと思うが、アメリカより差別の少ないイギリスとはいえ戦前に白人と黒人とが同じ寄宿学校に入るということがあり得たのだろうか?⑩1974年版の『オリエント急行殺人事件』が本格推理小説の映画化はオールスターキャストというのが主流となる契機となった。同じレベルのスターを並べないと犯人がすぐ分かってしまうという理由からだが、日本の市川昆監督の金田一耕助シリーズのお手本になったくらいだもんね。世代が違うからあまり言うのもなんだが、1974年版『オリエント急行殺人事件』、1978年版『ナイル殺人事件』、1981年版『クリスタル殺人事件(邦題は最悪
)』と、ハリウッドのレジェンドと言える銀幕の大スターから名優・名女優までをズラリと揃えた正に豪華俳優陣の競演がそのまま映画の楽しみに繋がった映画たちであった。(『クリスタル殺人事件』は前二作より映画の出来はいまいちだったし、『地中海殺人事件』以降は段々地味なキャストになってしまったけど。)2017年版『オリエント急行殺人事件』はまだ現在のスター俳優や名優と言える人たちも混じっていて辛うじて豪華俳優陣と言える配役であったけれど、今回はスターと言えるのはガル・ガドットとアーミー・ハマー(映画俳優生命は風前の灯だけど)、それとアネット・ベニング(老けたね!)くらいで、後は初めて見るような人ばかり。でも、何度も言うようにこの映画の主役はケネス・ブラナー演じるポアロであって残りは脇役みたいなもんだから、これはこれで理にかなったキャスティングだったのかも。⑪ヴァン・スカイラー夫人とバアウワー看護師との間に意外な関係性があるという設定は、同じクリスティの『予告殺人 (A Murder Is Announced)』からヒントを得たのかも知れないが、犯罪に関係が無ければ(明らかに関係は無いという描き方)あからさまに暴露すべきでは無いだろう、ポアロの態度にはデリカシーが無いと言わざるを得ない。(本来のポアロや他のクリスティ作品の探偵たちでも犯罪と関係があると明確に断定されない限りは無闇に暴露しないデリカシーは持っています)。⑫第二・第三の殺人に関する設定や描写も杜撰。人を殺すことを命ずるのに普通メモで伝える?誰かに読まれるリスクが高いのに。ブークが撃たれる前にサイモンが叫んだのは一度だけ。たったそれだけでジャクリーンに危険が伝わるか?原作や1978年版での通り不必要と思えるほどの大声で状況を伝えないと。この辺り、やはり1978年版を脚色した名手アンソニー・シェーファーとの力の差が感じられる。⑬最後に、アガサ・クリスティはシェークスピアではない。前作『オリエント急行殺人事件』も何かどんよりたしたラストだったが、本作も髭を剃った(!)ポワロが物思いに沈む沈鬱なラスト。何もアガサの作品にラストがやるせないものがないわけではない。最高傑作の『そして誰もいなくなった』もそうだし、少し幅を広げれば『アクロイド殺し』『邪悪の家』『溺死(「火曜クラブ」の中の短編の一つ)』『雲の中の死』『メソポタミアの殺人』『物言わぬ証人』『杉の柩』『五匹の子豚』『愛国殺人』『忘られぬ死』『ホロー荘の殺人』『ねじれた家』『予告殺人』『魔術の殺人』『マギンディ婦人は死んだ』『ポケットにライ麦を』『死者のあやまち』『無実はさいなむ』『鏡は横にひび割れて』『バートラムホテルにて』『終わりなき夜に生まれつく』『ハロウィーンパーティー』『復讐の女神』『像は忘れない』『カーテン』『スリーピング・マーダー』などみんなそうだ。しかし、『ナイルに死す』は、リネット/サイモン/ジャクリーンの三角関係の悲劇がメインとは言え、その後にロザリーとアラトン夫人(原作『ナイルに死す』で最も魅力的な人物)の息子との幸せなツーショットを挿入して、アラトン夫人『恋って時には恐ろしいものになりますのね』ポアロ『だから有名な恋物語多くは悲劇なのですよ』(ここでロザリーとアラトン夫人の息子とのツーショットを描写して)アラトン夫人『でも世の中には幸せもありますのね』ポアロ『そうですよ。感謝しなければなりませんよ、奥さん』、と理性も道徳も忘れてしまうような過剰な愛との対極として穏やかな愛こそ幸せもを運ぶものというオチの付け方を忘れていない(アガサもマローワン教授との再婚で穏やかな愛というものを知ったのでしょうね)。1978年版も、ジャクリーンがサイモンを撃った後自害したときにはポアロに『悲劇だ!』と叫ばせたが、ラスト、ロザリー(オリヴィア・ハッセー!)とファーガソンとの地味ながら幸せそうなカップルの姿を映した後、『女の最大の野心は愛を燃え上がらせることである』とジャクリーンへの(もしかするとリネットへも)花向けの台詞で幕を閉じている。