Awayのレビュー・感想・評価
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この手探り感と疾走感がクセになる
彼に何が起こったのかはまるで分からない。パラシュートにぶら下がった位置から始まるこの物語は、得体の知れない島で、一つ一つの手がかりと足場を確かめながら目的地を目指す奇妙なものだ。ある意味、ロールプレイング・ゲームのようであり、同時に生死の境目で魂が彷徨っているかのような気持ちにさせる。はたまた、深層心理における心の浄化作用を詩的かつ寓話的に紡ぎあげた物語としても受け止めうるのかも。そこに現れる、宮崎アニメのデイダラボッチやカオナシを思わせる黒い影は一体何なのか。この存在について説明や理由づけが一切ないところが潔い。セリフを排することで想像力はかえって刺激され、主人公の一挙手一投足や影に追われる感覚さえもがリアルに入り込んでくる。ラトビア人のクリエイターがほぼ一人で作り上げたというこの世界。彼と私たちが、言葉や文化を超えて”感覚”によって繋がりあっていることにひたすら感動を覚える一作だった。
三年位前に吉祥寺で2回見た。最初は前半寝てしまったので、直ぐにもう...
三年位前に吉祥寺で2回見た。最初は前半寝てしまったので、直ぐにもう一度見直した。今回は3回目。4津あるチャプターをそれぞれ理解できる位になった。
好みが分かれる。
見てまず思ったのは国際映画祭で賞を取る典型的なタイプの作品と言えば作品と言う所。個人的には好きな作品類と言って良いがインパクトがあるかと言うとどうだろう?設定やテーマ性は哲学的で深い、またロードムービーとなる背景も美しい。だからと言ってここから新たな何かが生まれるだろうかという疑念は残る。大賞は取れぬが奨励賞と言ったところか。
雄弁なカメラと鮮烈なオブジェクト
3DCGののっぺりとした肌理にもかかわらず奥行きとテクスチャの感じられる作品だった。
ゲームのように壮麗な風景グラフィックもさることながら、カメラの有機的な動きが本作に躍動感を与えていたように思う。洞窟の斜面から黒い巨人を俯瞰するショット、森の上を飛翔する鳥群を上空からドリーで追跡するショット、少年の疾駆に息遣いを合わせるようフレームが不安定に揺れ動くショット。セリフを一切排した寡黙な物語はこうしたカメラの雄弁さによって補われており、いわゆるアンビエント映画のようなとっつきづらさは感じない。
少年、黄色い小鳥、黒い巨人を軸とした物語は、三者の出自がほとんど明示されていないがゆえに如何様にも寓話を読み取ることができる。誰もが容易に入り込むことができるという点では確かに本作はロールプレイングゲーム的といえるのかもしれない。にもかかわらず最小公倍数的な薄っぺらさを感じないのは、登場するオブジェクトのビジュアルにハッとするような力強さがあるからだ。黒い巨人も青空を反射する湖も竹林の猫の集落も、とにかく画として鮮烈だ。一度見たら忘れられない。その力強さがある意味漠然とした物語にくっきりとした輪郭線を与えている。
本作はCG撮影から編集から音楽から監督まですべての工程をギンツ・ジルバロディスが担っている。堀貴秀『JUNK HEAD』と同じくインディペンデント映画の極致的なアニメーション作品だといえる。熱意さえあれば本当にたった一人で製作ができてしまうというのはアニメーションという媒体の強みかもしれない。何はともあれラトビアなる映画史的未開拓地にヒョイと現れた本作を逃さず捕らえて国内上映にまで辿り着かせた配給担当の審美眼と仕事ぶりに惜しみない拍手を送りたい。
バイクの音まで心地よい
個人評価:3.7
没入感が素晴らしく心地よい。まるで夢の中を漂うかの様。見ているのか、目をつむっているのか、境界線が無くなり、自然と瞼が閉じ、台詞の無い音だけの世界へと入り込む。
またバイク音がとても心地よく、効果音もセンスがある。
後半はやや映像美が影を潜め、すこし退屈になったが、もっと見ていたい衝動にかられた。
ゲームのワンダの冒険を始めてした感動に似ている。
ただメッセージ性が深い様で浅い感じがして、映像のみに特化した作品に振り切ってほしかった。
ピ、ピ、ピーヨコちゃんだ・・・
ある島にパラシュートで不時着した少年。巨人の魔の手から逃れ、楽園のような入り江で楽しみながらも骸骨となった人のバイクを拝借し、人が住んでいる町を目指すロードムービー。
セリフは一切ないけど、ヒヨコ(?)が相棒となり、「ピー、ピー」という機械音が和ませてくれた。輪郭線もないCGぽい絵は、違和感があるものの次第に心に溶け込んでくるかのような錯覚にも陥ってしまう。一匹の巨人から逃れ、ヒヨコとともに成長を続ける姿は事故から一人だけ助かったという自責の念も感じられるし、孤独から希望へと変化を遂げる姿が清々しかった。
巨人の風貌は、『風の谷のナウシカ』の巨神兵、『もののけ姫』のデイダラボッチ、『千と千尋の神隠し』のカオナシをも想像させるような謎の存在。監督(製作、編集、音楽)のギンツ・ジルバロディスも日本に影響を受けてると述べていることから、宮崎アニメを見たことがあるに違いない。さらにウユニ塩湖風の映像やドローン撮影したような背景とキャラの動かし方に新しさをも感じる。
少年が苦難を乗り越える壁のような存在、巨人。島をゆっくり移動するカメや自由に空を飛び回る鳥と、ヒヨコの存在も少年に勇気を与えるのだ。キーポイントとなった寂れた橋への石落としとヒヨコのピンチにはハラハラさせられたし、緊張感と平穏のコントラストを絶妙に表現するテクニックも上手い。気持ちの良いアニメだと思います。
一人の力で!感服。
素晴らしい。一人でコツコツと制作されたという。しかもラトビアの日本アニメファンの監督によって。メタファーに溢れるファンタジー・ロード・ムービー。必見だ。日本版エンディングは見なくて良いので席を立つこと。本編の余韻が興醒めする。
好きではない
音がないのっぺりしたアニメ。
鳥や空など綺麗だな、と思ったが、それくらいで特に劇場で観る価値は感じなかった。
最後に突然日本語の曲が流れ驚いた。これはなんだったんだろう?
自分には合わなかった。
ゲームの中
ストーリーはですね、そっちに置いといてw
CGで作り込まれた画の美しさに見惚れるアニメでした。メッセージ性には、今ひとつ弱いですかね。頭を空っぽにして、風景を眺める感覚で楽しむ事が出来る人には良いと思います。
割と、ハマったよ、ワタクシw
綺麗だった。
影とボクの寓話
輪郭線のない絵に、少し黄ばんだ色合い。
セリフなく進む物語と、そこに漂う独特の間合い。
それでいて大胆なカメラワークが静かなハズの物語を、とても迫力満点と演出している。
登場するキャラクターや道具に文化、生活の違いから来る独特のチョイスを感じる。
だからか、ファンタジー感もマシマシだった。
物語には「恐怖からの逃亡」という命題を感じて止まない。
ゆえに静けさも込みで、少し恐ろしくもあり。
しかしながらその「恐怖」が何なのかは具体的に明かされておらず、
映像の美しさと冒険物語にラッピングされた「恐怖」は
まさに寓話的だった。
映像に見ほれつつ、さらっと鑑賞することもできるが、
登場キャラクターの数も多くないだけに意味深長で、
おそらく考えれば考えるほど奥の深い作品なのではないかと感じている。
一番怖かったシーンは、飛行機の中をのぞくシーンだったかも。
トラウマとの対峙。
どうしても「戦争」という言葉が頭から離れなかった。
【"死の概念"から、離れて、新たな世界を目指し、疾走して、生きる。】
■感想
- あの、黒い実態のあるかないか不明な巨人は明らかに"死"を具現化したモノであろう・・。-
・冒頭、少年は荒野のたった一本の枯れ木にパラシュートが引っ掛かった状態で、意識が戻る。
そして、章立てで、少年の"死の概念から脱出する姿"が、今までに観た事のないタッチのアニメーションで、一切セリフなしで、描かれる。
・途中の道には、少年の"心の通過儀礼"を具現化したような半円形の門や、ドミノの形をした不可思議な石柱が、現れる。
・そして、"生の象徴"の様な黄色い小鳥。生を容易に想起させる螺旋階段の底にある、間歇泉。
<ラトビア発の独特な世界観を持ったアニメーションに一気に引き込まれた90分であった。>
<2021年3月6日 刈谷日劇にて鑑賞>
映画史に残るレベルの糞エンディング
何も知らずに観て唖然とした。
本編は素晴らしい佳作だった、はず。
オリジナルのエンディングも、
暗闇の中に余韻を残すように計算され、
簡潔に見事に美意識が貫かれていた、はず。
しかし、そのあとに謎の日本版のエンディングがはじまる。
なんの予備知識もなく途中まで見てしまったことを後悔している。
映画の映像を背景に、
吐き気がする低俗な日本の歌謡ロックが流れ、
映画のイメージが上書きされていく。
あわてて外に出たが、あとの祭りだった。
「エンディングを付け足すことに同意するなら、日本で上映してやるよ」
というパワハラがあったのだろうか?
ちょっと物足りない
輪郭線を用いない、美しい色調の絵で構成された画面は、ちょっと洒落たイラストレーションのよう。
その画面の中で展開する不可思議で暗示的なシークエンスは、興味深く、視覚や聴覚を楽しませてくれました。
けれど、映画=エンターテインメントの背骨である“物語の面白さ”という点については、物足りなく感じた。
「うん、面白い!」というふうにはならなかった。
期待して観に行ったのだけど、残念です。
今回は少々疲れている状態で鑑賞したので、眠気をともなって集中を欠いたところもありました。万全のコンディションで観たら、また感想も違ったものになったかもしれません。
まあそれにしても、これだけクオリティーの高い作品をたった独りで創り上げるとは大した才能だなと感心しました。
それから、2年前に観たアニメーション映画『失くした体』にテイストが似ているなとも思った。
ついでながら言うと、『失くした体』の方がわかりやすく、物語に入っていきやすかった。こちらの作品には、とても感動しました。
☆☆☆場内が明るくなるまで席を立たないようにしましょう運動☆☆☆
わたくし、pekeは、「場内が明るくなるまで席を立たないようにしましょう運動」を推進しています。
日本の劇場では、エンドロールの途中で早々に退場してしまう人がまだまだけっこういらっしゃいます。
せっかく余韻にひたっているのに、画面がさえぎられたり、場外の明かりが入ってきたりしては台無しです。
「映画は、エンドロールが終わり、劇場が明るくなった時点で鑑賞終了」と僕は認識しています。
トイレが我慢できないなどの理由があるのかもしれませんが、その場合もできるだけまわりの人の鑑賞のさまたげにならないようにご配慮願いたいです。
それぞれが、ほかの人の迷惑にならないようにマナーを守り、そして映画作品に敬意を払って鑑賞したいものですね😊
ラトビアのアニメとは
ラトビアのアニメ、それで世界に評価されたのだ。新しいものを求めているのなら見逃すわけにはいかない。それにロードムービーは大好きだ。
カメラワーク、バイクの音、この監督はツーリング映像の楽しさを良く知っている。
青年のストーリーをこの映像に落とし込み表現したことで、映像の美しさは新たな価値を持つ。それに黒い影。この意味は一義的ではないだろう。私には悪意というよりむしろ愛情のように見えた。
ともかく良かった。
モーターサイクル・ダイアリーズ
ゲル状の巨人は得体が知れないし、島の生態系もナゾだし、林立している鍋釣岩みたいなものも何の説明もない。主人公は一言も発しないし(独白すらない)。確かにアウェーな状況には違いないが、ホームがどこかも定かでない。
輪郭線がない作画は絵本のようで、とりわけ鼻の表現が独特だ。
手作りと言われれば納得してしまうが、全編を通じて映像が喚起する強烈な“sense of wonder”は感じた。井戸を囲む101匹黒猫ちゃんとか。
バイクで移動するのはいいけど、途中にガソリンスタンドはあるんだろうかというのが、ずっと気になっていた。
一切言葉で語らない少年の旅に新たな才能の萌芽を見ました
少年が目覚めるとそこは木の上。現れた黒い巨人に飲み込まれそうになったところを間一髪で逃れた少年が辿り着いたのは緑豊かなオアシス。そこで見つけたのは地図と水筒とバイク。地図によると少年がいるのは小さな島。北端にある港を目指して少年はバイクに乗り旅立つがその背後には黒い巨人が迫っていた。
監督のギンツ・ジルバロディスが製作、編集、音楽他ほとんど全ての作業を一人でこなしたアニメーションだという情報だけ入れて観に来てみましたが、そのクオリティの高さに冒頭から打ちのめされました。全編一切セリフなし、少年の表情にもほとんど感情が現れないのにとてつもなくエモーショナル。少年が旅をする現実とも幻想ともつかないような世界も途方もなく美しい。黒い巨人の動きには明らかにジブリの諸作品からも多大な影響が垣間見れますが、実写映画からの影響も濃厚で、特に地下の泉へ下っていく回廊が醸す荘厳な雰囲気にはギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』へのオマージュを感じました。世界一短いと思われるエンドロールを眺めながら世界のあちこちで素晴らしい才能がどんどん芽生えている喜びで胸が一杯になりました。
一点だけ残念なのがエンドロールの後に流れる日本版エンディングと称する全くもって蛇足な映像。せっかく一切の言葉を排して作られた作品の後に別に書き下ろしたわけでもない日本語歌詞の既存曲をつけたダイジェスト映像をつけるという途方もないセンスのなさに絶句しました。日本語版スタッフのクレジットを入れたかったのなら文字だけ入れればいいだけのこと。こういうくだらないことは二度とやらないで欲しい、目障りです。
擦れっ枯らしの中年の心にも響く青春映画
見知らぬ島にパラシュートで不時着した少年が、わけも分からぬまま謎の黒い巨人に追いかけられる。隠れる場所を見つけたものの、巨人はずっと自分を見張っている。不安と恐怖に押し込められて、このまま年老いて死んでいくのか。自由を求め、少年は小さな仲間とともにバイクで逃げる決意をする。果たして少年は、謎の巨人を振り切れるのかー。
世界は不条理である。私たちは突然そこにポンと放り出される。恐怖や絶望や倦怠が常に付き纏う。そしてやがて、もしくは突然、死ぬ。その後のことは誰にも分からない。なんて理不尽。「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ」。劇中ある動物が突然死ぬシーンではそんな言葉も思い出しました。
「もともと無理やり連れ出された世界なんだ、
生きてなやみのほか得るところ何があったか?
今は、何のために来り住みそして去るのやら
わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ!」
(『ルバイヤート』オマル・ハイヤーム 小川亮作訳 岩波文庫)
しかし。それが全てではないはずだ。勇気を持って世界を旅してみれば、そして仲間がいれば、残酷な世界がとびっきり美しい姿を見せることもある。人生は生きるにたるものになり得る。自分の限界を知らないがゆえの、圧倒的に巨大な力への抵抗。そしてそれが生み落とす奇跡。それこそが「青春」と呼ばれるものの、美しさの一つだと思います。(ハイヤームは老境で、酒と酒姫にのみそれを見出だしましたが、それはまた別の話。)
『Away』は、セリフ無しの80分ほどのアニメーションで、そんな普遍的な、そして青春ド真ん中のテーマを描いています。閉じこもってちゃダメだよ、外へ出よう。遠くへ。そう穏やかに、且つ力強く語りかけます。
今作での「ここから抜け出すための道具」はバイクです。少年とバイク。この映画の魅力は何と言ってもこれでしょう。巨人から逃れるために少年がバイクで駆け抜ける、というのがとても良い。巨人とバイク。どちらにも死の影がチラつき、そこに緊張感が生まれます。監督は『モーターサイクル・ダイアリーズ』や『激突!』などからの影響を挙げています。僕はブルース・スプリングスティーンの“born to run”を思い出しました(尾崎豊も)。
We gonna get out while we are young.
若い間にここから抜けだすんだ。スーサイド・マシーンにまたがって ー そんな焦燥感を、そして追い詰められる恐怖感を、しかし淡々と、ゆったりと描いているのもまた、この映画の面白いところです。わかりやすい感情的な演出は基本的にありません。昨今の日本の多くの作品ではこうはいかない。なぜか皆、叫び声や金切り声を上げるのです。直接的な分かりやすい「エモーショナルな」表現だけが、人の感情に訴えかける手段だと言わんばかりに。閉口します。(もちろん、そういった表現が必然性を持つものもあるし、好きなものも沢山あるのですが。)この少年のように、少しは口を閉じよ、と言いたくもなります。この映画の唯一とも言える笑顔のシーンは、やはり印象に残ります。
確かに、全編セリフがなく(アートアニメーションでは至って普通ですが)、少年の見開いた目の表情が何度も繰り返し出てくるなど、単調で眠くなる側面もあります。また、アニメーション映画というよりもむしろ、例えばゼルダの伝説のようなオープンワールドゲームを観ているようでもあり、キャラクター(主に動物)の造形や動き、のっぺりとしたテクスチャーなど、映画館のスクリーンで観続けるのはちょっとシンドイな…と感じる瞬間があったのも事実です。しかしながら、個人製作ということで、監督としては当然それも折り込み済みだと思います。恐らくこの人は、もっともっと先を見ているはずです。
ゆっくりと着実に追いかけてくる巨人は、進撃のそれや新感染半島などの高速ゾンビとは違ったクラシカルな趣きがあります(進撃も高速ゾンビも僕は大好きです)。もちろん、宮崎アニメからの影響も大きいでしょう。焦点の当たる人物の背後の遠景が常に意識され、いつ巨人があらわれるのか分からない緊張感を醸し出す演出も効果的。風景や音楽、効果音も良かったと思います。
しかし、やはりラストのクライマックスシーンで一気にテンションが爆上がりします。下り坂を疾走するバイク。一難去ってまた一難、いや、二難。前虎後狼。世界は不条理すぎる。でも…負けるな!行け!飛べ!・・・つい拳を握りしめ、心の中で叫んでしまいます。向こう見ずな飛躍。これこそ、青春映画の醍醐味だと思います。
監督は22歳でこの作品に着手し、3年がかりで音楽も含めてほぼ一人で作り上げたとのこと。大変な情熱、そして才能だと思います。様々な先行作品からの影響の消化の仕方にも、非凡なセンスを感じます。既に次作の製作にも入っていて、今度はチームでの作成のようです。間違いなくアニメーションとしてのクオリティは上がるでしょう。楽しみに待ちたいと思います。
新鮮!
昭和38年生まれです。TVアニメ「アトム」と同い年です。
ポパイ、トムとジェリー・・いやいや、ラトビアが生んだ大いなるアニメーション。
久しぶりに新鮮さを感じました。
なんか山登りして新鮮な景色見て、空気を吸ったような感覚
環境映像として自室で流したいような映像でした。
自分の中の既成概念と比べる作品ではありません。
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