「騒音おばさんに視点がかわってから怒涛の面白さ」ミセス・ノイズィ つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
騒音おばさんに視点がかわってから怒涛の面白さ
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お地蔵さんのお供えを持っていく怪しげなおばちゃん。このときにもう「ヤバい人」というレッテルが貼られた。まあまだ最初はヤバそうな人くらいだったかもしれないけれど、その後にくる早朝の布団叩きで、小説家の中で確定してしまった。
観ている私たちも同様だろう。あんな日が昇る前に布団を干そうとするって、どういうこと?とならざるをえない。
そして、視点が騒音おばさんに切り替わってからは怒涛の勢いで面白くなっていく。
まあ、少々問題あるよなと思って見ていた小説家が、騒音おばさんの視点からみると「ヤバい人」に変わる。
互いに得られる情報から最も簡単な推測をしようとすると、あっけなく「ヤバい人」に落ちてしまうのだ。
一度「ヤバい人」というレッテルを貼ってしまったら、もう何もかもがおかしく見えてくる。あとはエスカレートしていくだけ。
気がつけば、どちらも「ヤバい人」に見えるようになるのだ。第三者視点では。
そのことに二人は気づかない。当たり前だ。互いに自分は普通で正しいと思っているから。
実際にも、多少の問題があるとしても、充分に普通で、充分に善人といえるだろう。
結局は、思い込みとコミュニケーション不足による衝突でしかない。
この騒動の発端となった、お地蔵さんのお供えを持っていくラストの場面で、真の和解に至る瞬間は感動的ですらある。
近年はコミュニケーションをテーマにした作品が増えたが、そんな中でも、実に巧妙に、最高の娯楽性を創出した本作は、社会派コメディとして一級品だった。
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