映画大好きポンポさんのレビュー・感想・評価
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君はたしか浮沈艦スタン・ハンセン!
ポンポさんではなく、新人監督のジーンが主人公。“B級映画”ばかりプロデュースしてきたポンポさんだったけど、新作「MEISTER」を撮るためにオーディションを行い、前作での15秒CMを撮ったことが評価されたジーン。いきなり監督?!という展開だ。
プロデューサーといえども脚本も書くポンポさん。5頭身アニメキャラだけど、祖父のDNAを引継ぎ映画製作はB級といえども感動作に仕立て上げる才能がある。公式サイトによれば好きな映画の一番は『デス・プルーフ in グラインドハウス』だというから、90分に収まる映画が最高だと思っているし、『ニューシネマ・パラダイス』が好きな人は共感できないかもしれません。
対するジーンは学生時代から友達もいなくて、ただ映画をひたすら愛している青年だ。観た映画だけではなく、撮影現場で学んだこともすべてノートに記録している。青春を謳歌してきた者にはない輝く目を持っていると認められたのも白羽の矢が当たったのだろう。
映画製作過程を描いたアニメ作品ではあるけど、ナタリーへの当て書となった脚本でもあり、ほぼベテラン俳優とナタリーが中心となっていて、映画作りの面白さや誰に対して見せたい作品なのかと問いかけてくる。そしてロケ地では「映画は一人では作れない」というテーマや、最大の見せ場でもある編集技法。カットバックやモンタージュといった基本的なことは描かれてないけど、いかに時間を短くするかに集約されているのです。合計72時間の映像をいかに短くするかって、デジタル時代だからこそですね。また、試写に間に合わずスポンサーが降りてしまうことやクラウドファンディングについても描かれていました。
後半になって「アリア」という言葉が何度も使われる。音楽でいえば独唱だろうけど、ジーンが使うのは単純に空気とか雰囲気といった意味なのだろう。勝手に解釈しちゃえば、「自分らしさ」!あまりいい使い方じゃなかったかな。
まぁ、もっとも評価できる点は90分の映画が最高!というところ。そのまま本作も90分に仕上がってるし、ここだけは賞賛すべき!
リアルな映画制作過程の描写が、映画好きにはたまらない❗
公開までノーチェックだった作品。たぶん予告編もあまり流れてなかったと思います。信頼できる方達のコメントをみて、観たくなって…。そしたらもう、すごく面白かったです❗❗
わたしは特にアニメファンではないので、正直最初は「アニメか―」って思いました。でもこの作品をみて、アニメだからこそできること、スケールだったり、新しいストーリーだったり、絵のおもしろさや美しさだったり、表現だったりがあるのだなあと、アニメの可能性を再確認しました。
舞台は、ハリウッドならぬニャリウッドです。ほらもう、実写化は無理そうでしょ?
主人公は冴えない映画製作アシスタントのジーン君。とても自信がない男の子なのですが、唯一映画が好きだという点では、誰にも負けない。リア充ではないため、映画の世界にのめり込んでいるタイプです。
タイトルになっているポンポさんは、天才映画プロデューサーの女の子です。天才映画監督のおじいさんと一緒に暮らしていたため、自ずと映画の英才教育を受けたようです。幼い子供のように見えますが、年齢不詳の不思議ちゃんで、なんとワンマンで毒舌でドSです!
もう一人、この映画のヒロインになる新人女優の女の子が重要キャラクターで、彼女のシンデレラストーリーも見所です。
ポンポさんの使いっぱのようだったジーンくんが、ある日、ポンポさんの書いた脚本の監督を任されます。尻込みしていたジーンくんが、撮影から編集、公開まで、困難な試練にぶち当たりながら、映画を完成できるかどうか…。
この、ポンポさんが書いて、ジーンくんが監督する、劇中劇である映画「マエストロ」自体が、初老の男性が主人公の、名作になりそうな重厚でおそらく感動的な作品なんです。(すごく実写版が観てみたい!)
製作過程もリアリティーがあります。常日頃から、映画やドラマの製作って、例えば大きな家を一から建てるがごとく大変なんだろうな、と思っていましたが、想像以上にトラブルが降ってわいてくるんだなあと気づきました。
わたしはもう一回観に行くと思います。
原作派も満足できそうだが、後半に詰め込み過ぎ?
敏腕映画プロデューサー・ポンポさんのもとで製作アシスタントをしているジーン。ある日、ジーンはポンポさんから次に制作する映画『MEISTER』の脚本を渡される。大ヒットを確信するが……なんと、監督に指名されたのはCMが評価されたジーンだった!
ポンポさんのかわいらしさ、ジーンの根暗感などキャラの動き、再現度は非常に高くて満足。
中盤までの話は割とシンプルで引き込まれる。熱い展開もいい。
原作漫画も既読だが、追加要素も作品の邪魔にならずいい働きをしてる…部分もある。
一番気になったのが追加撮影からのジーン。
まず追加撮影で何を撮りたかったのかが、イマイチピンとこない。
何よりマイスターのダルベールは作中劇でリリーと出会い、忘れてたものを取り戻し、それを音楽に還元したのでは?
ジーンが映画以外を削ぎ落として作品を完成させたのならそこが一致してないのがモヤモヤする点だった。
結局削ぎ落とすのか、拾うのかがわからなかった。
「アリア」というワードも急に出てきた感じがしてしまう。後半にテーマ(情報量)が増えてちょっと集中しにくかった。
総じて観てよかったが、もう少しシンプルな方がよかったなーと思います。
日本アニメ的な演出とハリウッド的な演出のMIX
映画好きを舐めんな!!
これまで勝手に独りを選んだ主人公が、いざ好きなことを始めると何もかも上手くいくというご都合主義展開にうんざり。
監督になった途端、周りのみんなは良い人で彼は全く挫折なしに笑ってしまう。あれだけ人と関われなかった人間とは思えない。
それから何でもかんでも言葉で説明するくだりにはイライラしっぱなし。
それにしても、この世界観の中途半端さも意味不明。
つまらん!
非支持。劇中劇の魅力不足。苦労話の既視感。
アニメである事やタイトルに騙されてはいけない!
この作品は映画が好きな人はきっと感動出来る
作品だと思います
アニメなんてと思う大人もいるでしょうが
中々の出来だと思います
始めはキャラ物のアニメかな? と思うのですが
ドンドン引き込まれていきます
ヒロインの演技力が周りのキャストから考えると
下手だな! と思うのですが、ヒロインの環境から
考える許容範囲になっていくのですが最後には
これで良いんだなと思ってきます
邦画の実写では安っぽく見えてしまうのを
アニメならではの表現で感動的かつ雰囲気を出していて
より感動を受けると思います
原作があるのでタイトルはどうしようもありませんが
映画を見る人を選んでしまうかもしれませんね
今公開している映画の中では群を抜いて
良い作品だと思います
まぁ、アニメを作る場合は綺麗事だけでは
上手く進まないので綺麗な所だけを見せてますが
これを観て映像の世界に飛び込みたいと思わせる
作品ではないかなと思います
「実写」映画の内幕ものを「アニメ」で観る面白さ。技法と題材と作り手のエゴが交錯する90分!
映画撮影ものには、それだけで映画ファンの心を強くゆさぶるところがある。
古くはトリュフォーの『アメリカの夜』やゴダールの『軽蔑』、比較的新しいものだと『リビング・イン・オブリビオン』や『地獄でなぜ悪い』、もちろん『カメラを止めるな』も。ああ『全裸監督』だってそうか。
僕自身は映研に属したこともなければ、自主映画に関わったこともない一介の観る専ファンに過ぎないが、こういう内幕ものはそれだけで観ていてとても楽しい。
自己言及性、テーマと手段の混淆、イレコ構造の生む思索性。
くすぐられるシネフィルとしての仲間意識、共犯性。
何より、「映画についての映画」は、とことん監督にとっての私小説的な省察にしかなり得ず、そこそこ羞恥プレイめいた要素があって、その気恥ずかしさが観客にも伝染し、むずがゆくさせるのかもしれない。「映画の映画」は、撮ったことがない人間にも、何かしらのノスタルジィと懐かしさを共有させる不思議な装置だ。
『映画大好きポンポさん』は、そんな「実写映画の制作現場」を「あえてアニメというメディア」を用いて描いてみせた作品だ。
この「実写」を「アニメ」で、というのがおそらくなら本作のキモなのだろう。
そりゃあ原作が漫画なんだから、アニメ化して当たり前だろうと言う意見もあると思うが、意外に「実写」と「アニメ」には表現メディアとして大きな懸隔がある。実写の撮影裏話を「アニメ」でやるとなると、作り手はかなり自覚的に手法を取捨選択し、再構成する必要が出てくるのだ。
たとえば、『ポンポさん』では、技法としてはむしろ実写映画に近いカメラワークやモンタージュが多用されている一方、アニメ的なデフォルメや誇張されたレイアウト、非現実的なアクションは、思いのほか抑制され、限定的使用にとどめられている。これはじつに興味深いことだ。
とにかく、冒頭からラストまで、カット割りが異様に多い。
で、カット毎にパンしたりズームしたりぐるっと回ったりと、カメラの動きがひたすらうるさい。
その映像感覚は、「アニメ」的というよりは、間違いなく「実写」的だ。
私見をいえば、このみっちり濃縮されたカットが、息つぎする間もなく詰め込まれていく感じは、マーティン・スコセッシの中期作品にとても近い。と思って、鑑賞後にパンフを見たら、監督が好きな映画に『グッドフェローズ』をあげていて、ああやっぱりな!!と。
それから、本作ではスプリット・スクリーンや逆回し、早送りなど、いかにも気の利いた実写映画らしい仕掛けも多用されている(てっきりガイ・リッチー由来かと思ったら、監督いわく『127時間』が元ネタとのこと。ああ、ダニー・ボイルのほうか(笑))
要するに、本作はアニメ映画でありながら、「映画オタクのシネフィルが撮った実写映画」の外観を、ねちっこく追求し続けているのだ。
では作中、いちばん「アニメ的」な演出が観られるのはどこかというと、それはもうジーンくんが「編集」をするあたりのシーンにとどめをさす。ここでは思う存分、アニメ的な特殊効果と空想的なレイアウトが導入され、「アニメならでは」の画面づくりが追求されている。ここだけは、抑制を解いて「アニメっぽくやらないとうまく表現できない」部分だと制作陣が判断した、ということなのだろう。
でも総じて本作は、実写寄りのテイストを無理やり身にまとっている。それは間違いない。
だが一方で、キャラクターデザインや、演技の方向性、各キャラクターの動かし方などに関しては、思いがけないくらい「旧来的な萌えアニメ」のそれを踏襲している感じがする。
そりゃ原作準拠なのでは、といわれたらそれまでなんだが、あれだけ宮崎駿や細田守や新海誠や片渕須直ら、長編アニメ映画の監督たちが自作の作品から拭い去ろうとやっきになってきた「深夜アニメの臭い」を、なんだか当たり前のように(それも実写映画を模倣するつくりをわざわざとっている作品に)しれっと取り込んでしまう感覚は、やはりちょっと独特だと思う。
結果的に、本作は「いかにも日本のアニメっぽいキャラクターたち」が「妙に実写的技法にこだわって組み立てられた映画」の主演をつとめるという、初音ミクめいた「ひねり」を生じており、その奇妙なツイストが独特の味となっている(そのへんの感性は、もしかすると京都アニメーションに近いのかも)。
本作で特に重視される「編集」作業についても、実写とアニメで編集のやることにかなり差がある以上、「アニメという表現手段でこのネタを大きく扱うこと」自体、なかなかひねくれていると思う。
実写では大量のフィルムを「切り詰める」引き算が編集の大きな役割となるわけだが、アニメでその作業は作画の前段階となる絵コンテで先に済ませておくことなので、何十時間も後からカットすることは「絶対に起こらない」。アニメは設計図通りに、必要なものだけ作ることを基本とするからだ。
本作では、そんなアニメを用いて、撮りまくったフッテージを「捨てていく」実写映画編集マンの痛みと恐れと勇気を、いかにも「同業者として共感している」体で語っている。
この「ズレ」は、なかなか面白い。
とにかく、小気味よいテンポで、明るく前向きに描きだされるその内容は、青春群像としても、お仕事アニメとしても、じゅうぶん口当たりよく楽しめた。
テーマ性については、あまりストレートに出されると若干こっぱずかしいところもあったし(創作者にコミュ障や根暗やアスペが向いてるのも、実生活で浮かばれないほうがいいのも、当たり前すぎて真顔で語られてもちょっと引いちゃうかも。それ自分で言っちゃうんだみたいな)、オリキャラであるアランが作品にしっかりなじんでいたかというと疑問もあるが、原作未読の僕にとってはストレスの少ない、完成度の高いアニメだった。
原作改変は好悪の分かれるところだろうけど、作中のジーンが「自分」の尺で作品の核となる要素を判断し、切り詰め、さらには追加していった流れを「成長」として肯定するなら、同じことをやろうとした平尾隆之監督のチャレンジだって認めてあげたいと思う。
とくに文句があるとすれば、(これは『映画版SHIROBAKO』でも思ったことだが)肝心の作中作がちっとも面白い話に思えないところかなあ(笑)。
偏屈の老指揮者がアルプスで少女と出逢って再生するとか、そんな陳腐な話でアカデミー賞はさすがにとれねーだろっていう。てか、作中で周りに褒められている演出やアイディアの大半が、たいしてうまくいっているように見えないのもまあまあつらい。あれだけごり押しして撮りたかった追加撮影シーンについても、傍目にはそう「絶対不可欠な」シーンにはどうしても見えないのだが。他のみなさんは「ああ、たしかにこのシーンがあるとないとでは大違いだよな!!」とか、本当に思われたのだろうか?
あと、ここだけはちょっと真面目に文句を言っておくが、クラシックがらみの部分については、もう少し説得力が欲しかったし、もし原作準拠なのだとすれば、それこそちゃんと音楽監修をつけてきちんと改変してほしかった。
まず、モダン・オケでマーラーの交響曲第1番を振ってるような指揮者の勝負曲が、よりによって今は古楽演奏がメインの「マタイ受難曲」だってのは、普通に考えるとほぼありえないシチュなので、違和感はバリバリに大きい。なんだろう、僕の知らない有名な指揮者とかを念頭に置いているのだろうか? (そもそも、マーラーの「巨人」の演奏でフルートの出来を咎めるなら、それは第四楽章より第一楽章で発生するイベントのような。これもなんか元ネタがあるのか?)
たしかに「マタイ受難曲」はフルで演奏すると3時間かかる大曲なので、これを扱う演奏会はある種の「大イベント」ではあるのだが、ピリオド出身でもない大家が、自分のキャリアをかけてはりきって振るような曲ではない。あと、技術的にそこまで厳しい曲ではないし、力量のある歌手がそろえば形はつくので、指揮者とオケの心がどれほど離れていようと、翌日の新聞で叩かれまくるような演奏になるタイプの曲ではない。たとえば「春の祭典」や「トゥーランガリラ」が難しくて振れない、弾けない、というのとはまるで話が違うのだ。
「マタイ受難曲」のアリアが、「これが僕のアリアだ!」みたいな使い方をされてるのも、激しく抵抗を感じる。そもそもマタイにアリアは14曲あるし、アリアは楽曲の形式であって「アリア」と呼ばれる曲があるわけではない。それに、マタイのアリアと言われて、一般の音楽ファンがぱっと想起するのは第39曲の『憐れみたまえ、我が神よ』だと思うのだが、本作で採用されているのは(パンフでも確認したけど)第52曲の『わが頬の涙』である。この曲を指して「マタイといえばこのアリア」って言い方をふつうはしないし(本当に聞いたことがない)、そもそも「バッハのアリア」といえば、一般の人にとっては管弦楽組曲第3番由来の「G線上のアリア」のことだろう。だいたい、歌手の果たす役割が圧倒的に大きい独唱曲で、指揮者が「これが俺のアリアだ」って言うのも、かなりおかしい言い草だ。
このへんを適当にやっていると、「リアルな映画づくり」を描く映画そのものを害してしまうし、ひいてはジーンくんの才能にも疑念が湧いてしまうわけで、もう少しなんとかしてほしかった。
あと、どうでもいいことだが、劇中でビゼーの交響曲が鳴っていた記憶があるのだが、パンフの使用音楽に入っていないのはNaxosの音源を使っていないから? そんなことでいいのだろうか。
とまあ、文句も書いたけど、映画好きが観て、刺激を受ける作品であることには変わりない。
ぜひ、みなさんご覧になって自らの目で確かめてほしい。
最後に声優陣について。
小原好美は、さすがの貫禄。
「深夜アニメっぽい臭み」を残しつつ「実写映画に寄せる」という本作の基本コンセプトをまさに「声」で体現する存在として、作品を支えていた。
『月はきれい』でイモのぬいぐるみさすって偽ざーさん呼ばわりされてた子が、ここまで成長したかと感無量。この人は、シャミ子といい、藤原書記といい、ルンちゃんといい、ロキシーといい、自分に合う役をゲットすることに本当に恵まれている。
ジーン役の清水尋也は、初声優とは思えないくらいこなれた演技で違和感を感じさせなかった。ティム・バートン系のヤバさもきちんと出せていたし、抜擢は成功だったと思う。
ナタリー役の大谷凜香は、お世辞にも上手とはいえなかったけど、監督はあの声質が欲しかったんだろうなあ。たしかに、これはぐっとくる声だ。
なお、大塚明夫は大塚明夫って感じでした(笑)。
あと、ポンポさん、『ニュー・シネマ・パラダイス』が長すぎるっていってましたが、あれこそはまさに「(とあるシーンの)フィルムのカット」が作中で大ネタとして出てくる「映画についての映画」でありながら、「実際の上映時に、思い切った50分近いカットを行って映画が蘇った」好例(完全オリジナル版が173分、イタリア上映版が155分、国際上映版が123分。国内版が不入りだった結果、監督が泣く泣く後半をがさっとカットした世界公開版が、各国で空前の大ヒットを記録した)。本作の引き合いに出すには、ちょうどぴったりの映画だった。
あれ、ホント青年編以降はゴミみたいな内容だからなあ。
面白いが、
最大の評価点として主人公ジーンに纏わる一連の流れは面白かった。特に撮影終了直後の編集シーンは映画作りを体感することができたし、劇中劇の理解とジーンの心情の深堀りが重ねられる展開も飽きなくて良い。一ついうとすれば抽象的な編集シーンは合ってない挿入歌も相まってくどく、苦痛に感じられた。
しかしそれ以外のキャラはありきたりかつセリフも薄く、物語上の必然性もないためノイズといって差し支えないレベルだったのがマイナス点。ヒロインは声の演技が酷く、キャラも薄いのに無駄に多くのシーンに絡んでくる。
金髪は論外。最後のプレゼンも見るに耐えない。全体にこの映画のテーマを強調するために無理矢理つけられた外付けHDDのようなキャラだった。
総評としてビビッドなカラーと斬新な演出、よく動く作画で楽しい90分間を過ごせるのだけれどシナリオ面での粗が小骨の様に喉につっかかる映画だった。
本当にパケ買いしづらい作品
ずっと観たいと思っていたトゥルーノースを観に行って、いっぱい人が入っていくこの作品をみた初めての感想はオタクっぽいコアなアニメの映画版なのかなーくらいでした。
鑑賞した後にまず言いたいことは心の底からごめんなさい。
背筋ゾクゾクすること数回。意味不明の涙数回。
本当に謎多く、なんて素晴らしい映画だったことか。何がいいのか、どのシーンがいいのかなんて全くわからない。
感動とは言葉にしづらいものなんですね。
楽しい時は時間が早く過ぎ、辛い時は時間が長く感じるというのは嘘のようです。
90分程度の時間にこれでもかと詰め込んでいるように感じるのに、ほぼ無駄がない。めちゃくちゃに濃い時間を過ごし、終わった後は三時間映画を見たかのような満足感。
ポンポさんの言葉は実に的を得ており、反論の余地なく心に染み渡る。
映像や、臨場感を置いておいても映画館で暗闇の中大きなスクリーンに入り込んで観るべき作品です。
人生において何かを選択する時、それは同時に何かを捨てる時。
エンドロール中も誰一人席を立たず、余韻に圧倒される作品です。
自分はエンドロール立っちゃうタイプなんですが、トイレも我慢し見切りました。
言葉に出来ないとこんなめちゃくちゃな文章になりますが、本当に観て欲しい映画です。
入場者プレゼントの冊子…
おもしろかったと思う
わぁ、好き!
変なキャラ、変な色、変な劇中劇・・・
正直、何か色々変だし、主人公も冴えないし、内容もつまんなそう・・・強引な展開だしいきなり始まった劇中劇も見たくねー・・・などと思ってしまいました、始めは。
でも、終わってみれば、泣いて笑ったスッキリな90分でありました。
筋は単純明快、なれど、いろんな筋道を複雑かつ巧妙に絡み合わせることで、単純ならざるアニメになっていた気がします。深みを持たせつつ、非常に分かりやすく楽しませてくれる、素晴らしい作品でした。
いろんな小ネタも笑えたし、エンドのカットも笑えたなー。
題名もあまりイケてないと思うし、アニメのキモというべき絵そのものも全然いけていないと思ってしまうのですが、それがまた楽しさ倍増させていたのかなーと見終わって思えます。
とにかく楽しかったー
だから憧れるのさ
エンターテイメントを提供する仕事というのは憧れますしかっこいい仕事だと思います。
だが良いものを作るにはそれなりの犠牲もあるし中々リスキーな事です。
誰にでも出来る仕事ではありません。
だから憧れる!
ポンポさんの言う通りこういう仕事というのは普通の人では出来ません。
才能があり一般人よりぶっ飛んでる思考回路じゃないとこの狂気の世界にはついていけないですよ。
だから映画しかない主人公も悩んだりはしてますけどどんな犠牲を払っても無我夢中になって仕事が出来るのです。
演出面も元ufotableで働いていた演出担当の方が監督していたのでキャラクターもヌメヌメ動きますし遊び心を感じさせるシーンもあったりして飽きないですね。
是非映画好きの方やクリエイターを目指す人に見てほしいです!
タイトルと絵柄で敬遠しないでー!
映画好きが出てくる漫画は大体購入していますが、ポンポという名前に幼女っぽい風貌でどちらかというと映画作りを口実に全然関係ない話(パワハラとかオタクネタ延々語るとか)かなと思い込んで敬遠していました。
いや、これすごいちゃんと映画を作るということに向き合ってるじゃないですか。途中からなんでもないシーンでも映画作りに対する想いみたいのが伝わってきて常に目頭が熱くなって、ちょっとのきっかけで何度もポロッと涙が出ました。
映画が少しでも好きな人には是非見て欲しいです。帰りに本屋でスピンオフ含めて原作全巻買いました(笑)
しかし、まさか主演が「貞子」の唯一の面白いキャラであるファンタスティック☆カズマでお馴染みの清水尋也とは・・・。声優初挑戦とのことでしたが全くヒケをとっていませんでした。
これはポンポさんでした…
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