2人のローマ教皇のレビュー・感想・評価
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ドイツvsアルゼンチンの頂上決戦!
あながち間違いではない。
Netflixオリジナルだが劇場公開しているところを求めてねじ込んで観た。これも『ROMA』のように、音響効果をちょいちょい仕込んでいるので、劇場で観て正解だった。
「もしもし、ボク○○。飛行機のチケット取りたいんだけど」
「あら、教皇様と同じお名前とはステキですね。どちらにお住まいですか」
「うん、本人です。住所はバチカン」
「イタ電やめろや」ガチャン
「えっ」
イタ電扱いされて自分で飛行機の予約ができない教皇…カワエエ。
観る前はお爺ちゃんたちの茶飲み話が延々続くならちょっと辛いかもと覚悟していたが、ベルゴリオ枢機卿のアルゼンチン軍政時代の回想シーンにも時間を割いており、そもそもお二方のやりとり自体も面白くて見てて飽きない。
ご本人にそっくりだというジョナサン・プライスに加え、悪人顔で結構ネタにされていたベネディクト教皇はアンソニー・ホプキンスなのでラスボス感も申し分なし。二人の会話シーンはなんかドキュメンタリー観てる気になるほど違和感がない。
最初は意見の相違で対立していたはずなのに、だんだんお互いを認め出したと思ったら、いつのまにかじゃれあいだして、ラストの仲睦まじさときたらもうね。その上そろってアカデミー賞候補とは…。
結論:ドイツ優勝。
追記
そしてベルゴリオ枢機卿はフランシスコ教皇となり、先日永眠された。天国へのチケットは取れたのかな。
魂が洗われるような佳作
現在のローマ教皇ベルゴリオの人となりは、2017年に観た「ローマ法王になる日まで」でひと通り紹介されていた。本作品では生前退位したベネディクトとの関わりの中で、長い間の信仰についての真意を吐露する。
本作品は、権威主義的な世界観だった「ローマ法王になる日まで」とは一線を画し、現ローマ教皇と次のローマ教皇が虚心坦懐に語り合うシーンが中心だ。映画だから本物の教皇がどう考えているかは別の話ではあるが、本作品の中では権威主義に縛られているのは教皇庁であり、教皇本人は権威主義とは無縁であるように描かれている。実際のベネディクトやベルゴリオの演説などを聴くと、本作品の教皇は実際の教皇に近いのではないかと思われる。
サン・ピエトロ大聖堂の威容やシスティナ礼拝堂の見事な天井壁画の下での会話で、ベネディクトはそこに描かれた神は神ではなく人間だと喝破する。聖職者にとって神は見るものではなく、その声を心で聞くものであり、その存在を感じるものなのだ。
初代ローマ教皇は十二使徒のひとりであるペテロ(ペトロ)であったらしい。神の子イエスの使いである。二人は教皇が神の使いに過ぎないことを知っている。神の権威を借りているだけなのだ。教皇庁と教会にはそこを誤解している人がいる。人間はどこまでもひとりの人間に過ぎず、何の権威もない。二人は虚栄心や自尊心を捨てて、信仰と真摯に向かい合う。夜の会話。聞いていてとても心地のいい会話である。ドビュッシーの月の光の旋律が美しい。
ドイツ人のベネディクトとアルゼンチン人のベルゴリオは英語とラテン語で語り合う。ベネディクトが英語の多義性を嘆くシーンが面白い。意味に幅のある言語は、誤解を生みやすい反面、短い言葉に多くの意味を含ませることが出来る。
当方はクリスチャンでも仏教徒でもないが、聖書の言葉や仏教の経典には真実が含まれていると思っている。もともとの言葉は書かれた言葉ではなく、語られた言葉である。あるいは歌である。しかしイエスもブッダもいなくなると、口伝か、紙に書かれた言葉を読むしかない。
ドイツ語の聖書、スペイン語の聖書、英題の聖書、そしてラテン語の聖書。現教皇と次期教皇は様々な言語の向こうにイエスの言葉、神の言葉を聞こうとする。まるで虹の向こうに行こうとする子供のようである。しかしふたりは子供ではない。汚れつちまつた悲しみを知る大人である。それでも聖職者である。汚れを振り落として心を無垢に保とうとする。その努力が美しい。魂が洗われるような佳作である。
このふたりの人間
タイトルに示される「2人のローマ教皇」とは、前ローマ教皇ベネディクト16世と現ローマ教皇フランシスコ教皇のこと。
ふたりの確執と、それぞれの過去、そして未来への物語が、ふたりの対話を通して描かれます。
前教皇は保守派、現教皇は革新派と言え、確執は2005年のコンクラーヴェ(教皇選挙)の時から描かれます。
このコンクラーヴェの時は、ふたりはどちらも枢機卿であり、結果として、ラッツィンガー枢機卿が選ばれ、教皇ベネディクト16世となる。
なるほど、名跡襲名みたいなものなのね。
ラッツィンガー枢機卿→前教皇ベネディクト16世、ベルゴリオ枢機卿→前教皇フランシスコだ。
前者をアンソニー・ホプキンス、後者をジョナサン・プライスが演じていて、どちらも素晴らしい。
ふたりが面会し、対話するきっかけとなるのは、2012年、カトリック教会が性的虐待スキャンダルで揺れている中で、教会側の方針に不満を抱いているベルゴリオ枢機卿がベネディクト教皇に辞任を申し入れにいくところから。
辞任しようとしているベルゴリオが、最後には教皇ベネディクトの告白を聴き、赦しの秘術を与えて、立場が入れ替わるまでに、ふたりの過去が描かれていく話術も申し分ない。
特に、分厚く描かれているベルゴリオの過去、若い時分の愛する女性との別れと、教区主任になってからの軍事クーデター後の独裁政権に図らずも与しなければならなかった過去は見応えが十分。
彼が口にする「妥協ではない。変化したのだ」の台詞も心に響く。
対して、ベネディクト教皇の過去はややあっさりと描かれており、教会による性的虐待に対する隠蔽(というか、日和見的で事なかれ主義的な対応)については明確に描かれているが、教皇就任直後から人々に口端に上る「彼はナチスだ」についてはあまり明確には描かれておらず、そのあたりはもどかしく感じました。
(気になったので調べてみたところ、彼が10代の頃の第二次世界大戦下のドイツでは、少年期にはヒトラーユーゲントに属さなければならず、彼もその一員だった)。
と、このような重い題材であるにも関わらず、映画は全編をユーモアを交えて描いており、軽みのなかで活きる「人間ドラマの重み」が感じられて素晴らしい出来栄えでした。
赦しの秘術を受けたベネディクト教皇が、奥の涙の間から観光客が屯する表の礼拝室にあらわれ、皆の取り囲まれるシーンは微笑ましい。
セキュリティスタッフが駆けつけようとするのを制して言うベルゴリオの台詞がこれまたいい。
「このままでいい。彼は幸せなのだから」
最後に、この映画を観てカトリックが説く愛についての自分なりの考えをまとめると、
愛すること=相手のことを受け容れ、理解すること、そして赦すこと。
愛されること=理解され、受け容れられ、赦されること。しかし、赦されたからといって、これまでのことがなかったことになるわけではなく、そこから、より善きひととなるスタートに立つ、ということ。
赦しの秘術を与えたベルゴリオも、同時に、より善きひとになり、善き世なるスタートに立ったわけである。
原題「THE TWO POPES」、「このふたりの人間」というタイトルもシンプルで力強く感じました。
神聖な気持ちになれた(^ワ^)。
ローマ カトリック教会の総本山を垣間見ることができた。
これだけでも何となく神聖な気持ちの自分(^ワ^)。
宗教とか難しいことを通り越して、教皇や枢機卿がとても身近に感じられた。
当たり前ですね、人間ですから。
脚色の部分がまったくわからず、まったくの実話だと思い込んでしまいました。
ジョナサン·プライス!
辞めたい専務と辞表を受け取らない社長の内緒話。
「この世にアメリカ大統領が最敬礼する相手、つまりアメリカ大統領よりエライ人は3人で、それはイギリス国王とローマ教皇と天皇陛下である。」なんて話を聴いたことがありますけども、もうそこまでエライ人になると「権力者としてオイシイ思いをする」なんて次元ではなくて「ただただ重圧がタイヘン」という立場でしかないんじゃないかと思いますよね。
そんな立場を死ぬまで背負わされることなく、平成天皇は生きて令和天皇にバトンタッチを成し遂げたということで、僕は「良かった。あぁ、お疲れ様でした、どうか今後は現人神ではなくひとりの人として穏やかにお過ごし頂きたい」なんて思いましたけども、
そういうバトンタッチが2012年、「ローマ教皇」というポジションでもあったというお話。そんな実話をNetflixが劇映画として制作したのがこの『2人のローマ教皇』という作品なんですね。
“カトリック教会”をひとつの会社に例えるとしたら、本作でアンソニー・ホプキンスが演じるローマ教皇は社長さんですよね。そしてジョナサン・プライス演じる枢機卿、会社で言えば専務取締役とかくらいの立場になるんでしょうか。その専務がある日、社長のところに辞表を提出しにやって来るんですね、「社長、もうこの会社の方針や体質は古すぎて時代に合ってないですよ、だから僕はもう辞めます」と。
でも社長のアンソニー・ホプキンスは、「まぁまぁ、とりあえずワインでもどう?」みたいに、はぐらかすやらスカすやらで辞表を受け取ってくれません。専務はなんとか辞任を認めてもらおうと粘り強く話を重ねていくんですが、その過程で社長の真意や人間性が見えてくるんですね。そしてある決断を迫られた時、専務もその生き様や背負ってきた思いを吐き出すこととなるわけです。
社長と専務はそれぞれ、いったいどんな思いや苦悩を抱えていたのか?
なるほど、この2020年代になっていく今、映画化されるべきテーマが語られていると思います。オススメ。
教皇と神の関係
教皇である前に人なのよね
2020年最初の作品はこちら
手を出さずにきたNetflixに手を出してしまいました
しかも30日間無料がなくなっちゃってるし!
でもでも、そこまでして観てよかった
ノンフィクションでフィクションの本作
クリスチャンではない私には、教皇、聖職者、そんなイメージばかりが先立ってしまっていたけれど、そこには苦悩しながら、時代に翻弄されながら生きてきた人としての彼らがいて
そんな感じで観ていたせいで、システィーナ礼拝堂で人々に囲まれるベネディクト16世や、コンクラーベで選出され、テラスに足を踏み出すフランシスコを見ていたら、なんだか目がうるうるしてしまいましたよ
ふたりで「Holy Father」と呼び合う姿は微笑ましく、聖職者として最高の名誉であろう教皇でありながら、その孤独な立場を思うと、こんな穏やかな時間がありますように、と願ったラストでした
アンソニー・ホプキンスの神の演技
「汚い戦争」への悔恨と赦し
アマプラ派で、Netflix未加入なので、映画館で観ました。
たまむすびの町山解説の通り、お爺ちゃん2人がイチャイチャするブロマンス要素も愉しいですが、やはり一番グッときたのは、ベルゴリオ枢機卿が語った悔恨でした。
🙏
正直不勉強で、軍事政権下での圧政(汚い戦争)については無知でした。
Wikipediaで復習し、弾圧で国民の3万人近くが行方知らずになった事、弾圧に協力したとカトリック教会も批判された事を、確認しました。
ベルゴリオも同様の批判の対象に。
ただ、彼が弾圧に積極的に加担した事実はなく、独裁者に声をあげられなかった事情も、同情されてもいます。
白を黒に変えてしまう独裁者に、闇雲に立ち向かうのは、本当の勇気でしょうか。
そこで命を落としてしまっては、蛮勇にすぎないのでは。
表面上は従っても、命を無駄にせず、できる何かを模索すべきでは。
事実、映画でも語られたように、ベルゴリオが逃亡に協力し、救われた命も多い(ベルゴリオズ・リスト)。
それでも、貧困者を救おうとした仲間を庇えなかったのは事実。
飄々としていたベルゴリオ、悔恨に沈んだ表情が印象的。
ただ、その悔恨こそが、彼が人に耳を傾け、頑な心に(妥協ではない)変化をもたらしたのかもしれない。
だからこそ、神には赦しを与える包容力が必要なのでしょう。
🙏
ベネディクト16世が語った"沈黙"は重い。
ただ、信仰がない無神論者にすれば、いない神に言葉を貰えないのは当たり前。
それでも、人生に迷った時、聖書や経典を絶対的正義として規範にできることは、時々羨ましく感じます。
神が自分を見ていると思うことで、自身の行動を律しやすいでしょう。
神との対話は、本来は内省であり、自分の心に育てた神への忖度。
だから、自分で答えを出すことを諦めて、存在するはずのない天の神を求めてしまうと、"沈黙"を感じてしまうのかもしれません。
静かで重みのある会話
妥協と変化
馴染みのない世界ではあるが、様式のディテールの描写に別世界に誘われる。頂上に居る2人の語り合いは緊張感が持続し、その中で交わされる会話の質の高さにグッと引き込まれてしまう。高齢の2人、頑固であって当然のはずが、なぜか波長があい邂逅する。その安堵感はひとしお。優しい気持ちにしてくれる。
人は老いても変わることができると説く。懺悔と赦しという宗教的モチーフを使って、変化する勇気を鼓舞する。実に清々しい。現教皇の懺悔を通して、その普遍性が尊ばれる。
ウィットに富んだエンドロールは大好物である。観終わった感の満足感が増す。挑戦的な舞台設定を自由に扱うNetflix 。最近立て続けに名作を生んでいるが、象徴的な一本かもしれない。
性善説に基いた創作!!
多くの群衆や観た事がない景色を沢山拝めるのは刺激になりました。内容自体は空想で作られたものとの事で、本当かなあと退屈でした。金融マフィアや小児性愛者の集うバチカンのイメージ回復の為の映画だと思います。
正反対な2人の対話劇
前教皇ベネディクト16世は、度重なるバチカンの不祥事などにより、異例の生前退位を表明、名誉教皇となった。その後任が現フランシスコ教皇。現在バチカンには2人の教皇が存在する。
これは、実際にあった2人の教皇の会談に構想を得た物語だという。わざわざ冒頭で前置きされるあたり、流石に題材が題材だからか。片や現職でいらっしゃるし、念頭に置いた方がいいのは確かだろう。
ヨハネ・パウロ2世の逝去に伴い、コンクラーベが開催され、保守派のベネディクト16世が就任する。
数年後、改革派のホルヘ枢機卿(後のフランシスコ教皇)は、辞職の許しを得る為に教皇を訪ねるが、世間に現体制への批判と受け取られると、教皇は許可しない。性格も持論も正反対の2人の主張は折り合う事なく、1度は決裂するが、共に過ごし、語り合う内、互いへの理解を深め、やがて心の重荷を懺悔し合う。
2人のベテラン俳優が、清廉たる聖職者でありながら、一方で悲しみや楽しみや失意に揺れ動く人間味溢れる2人の教皇を、圧巻の存在感と深みをもって演じている。
聖職者2人の会話劇とあって、含蓄ある言葉も多く、台詞回しもよく練られている。
数日間の対談というごく狭く短い間での出来事を軸に、全世界的な一大事たる教皇選出から次の選出まで、またホルヘの過去の回想も交えて、対立からの対話、友好へ、宗教とは、救済とは、人間とは…。壮大なスケールの広がりを見せていく。
精巧美麗なバチカン建築や衣装、美術の数々も見応えがある。
カトリック体制の最前線にあってさえ、時に信仰に迷い、後悔を抱え、取るべき道を模索する姿は、キリスト教に限らず、全ての宗教者、指導者、それらを越えた一人の人間としても、激しく共感出来るだろう。
激動し続ける世界、人心、情勢。誤りを犯さず、迷わない者などいるだろうか。「人は神にはなれない。神の中にある人でしかない」
12億の信者を背負い、政治的意図に振り回され、常に期待と批判に晒され、選択言動全てが全世界の注目を浴びる立場の重圧はいかばかりか。まさに「殉教者になるようなもの」だ。
「妥協したのか」「妥協ではない。私は変わったのです」
エンドロールの背後では、雷鳴が轟き、次第に雨音が激しさを増す。やがて音は止み、鳥達の歌声が聞こえ出す。
「変わらないものなどない」
小難しい人生哲学や宗教観は置いておいて、エンタメ作品として見ても十分楽しい。
生真面目で厳格でユーモアと人付き合いの苦手な学者肌と、交流好きで気さくでウイットに富んだ庶民派。キャラクターを対称的に設定し、2人が認め合い、距離を縮めていく技法は、友情ものの王道。
2人の聖職者が並んでデリバリーのピザを頬張り、サッカーの試合をTV観戦しながら、互いの祖国を応援して一喜一憂するなど、ニヤリとしてしまう要素も多くある。
英語、ラテン語、イタリア語、スペイン語…。作品内では多くの言語が交錯するのだが、英語時には日本語字幕が画面の下部に横書きで、それ以外の言語の時には、下部に英語、日本語字幕は右手に縦書き、時系列や舞台の説明は左に…と、字幕があちこちに行ったり来たりするので、何処に注目すればいいのか、ちょっと見辛かった。
Netflix作品という事で、元々大スクリーンでの鑑賞を想定していないのかも知れないが…。
人は異なる価値観に融通を効かせて営みを続ける
期待以上に面白かった!
主人公は全く価値観が違う二人の老人だ。
信仰が同じ宗教家であっても、二人の溝は深い。
それ位、人の価値観が合致することは早々ないものだ。
しかし、物語の展開とともに、お互いが歩み寄る過程が楽しめる。
この映画では、二人が距離を縮める過程で神の存在が大きく寄与した。
世の中の大半の人は自分の価値観に融通をつけながら、
日々を過ごしているのではないだろうか?
職場であれ、家庭であれ、恋人であれ、100%価値観が合致すればいいのだが、
我慢や譲り合いはあるはずだ。
しかし、価値観のズレがあっても何か共有できる軸があれば、
融通をつけながらうまく共生できるのだと感じた。
その軸は、宗教なのかもしれないし、もっと素朴な要素なのかもしれない。
日々の悩みやモヤモヤを解消してくれるような素晴らしい映画かもしれない。
2人のローマ教皇
内容は他のレビューワーの方が書いてくださったので、私は別の視点からこの作品について語ろうと思う。
この作品で面白いと感じた点に「言語が沢山登場する」ことを挙げたい。フランシスコ教皇の母語であるスペイン語や、ベネディクト前教皇の母語であるドイツ語、英語や、死語と言われているラテン語まで登場している。ただ言語が沢山出てきているというだけではなく、世界中から集まった枢機卿たちの会話に注目していただきたい。たくさんの言語を持つ人が集まる中、「○○さん、久しぶり!」といった挨拶に特に注目だ。枢機卿たちは相手の話す言語に合わせて挨拶をしていた。たとえその言語で多くは話せなくても、挨拶程度は相手の言語で話していると思った。相手を想う"気づかい"の1つではないか。保守的とも呼ばれるローマ・カトリック教会であるが、言語に関しては、とてもグローバルだと感じたワンシーンであった。
ローマ教皇が身近な存在になる好作
これは嬉しい誤算。地味そうなので眠くなるのではと心配したが、ある意味エンターテイメント、インパクトの強い作品だった。まったく興味がなかったローマ教皇が急に身近な存在になった。好きな作品になった。
2005年にローマ教皇となったベネディクト16世(アンソニー・ホプキンス)と彼の後を継ぐことになるアルゼンチンのベルゴリオ枢機卿(ジョナサン・プライス)の対峙。いわゆる保守派と革新派で、考え方はまったく違ったが、対話を繰り返す中でお互いの内面を知り、通じ合うこととなる。
ベルゴリオの回想シーンが随所に挿入され、この作品をダイナミックなものにした。リベラルで悟りを開いたようなベルゴリオだったが、過去に犯した過ちに苦しむ一人間であった。
10億人以上の信徒をもつというカトリック教会。その頂点に立つローマ教皇とて我々と同じ人間だったんだなあ。めちゃくちゃ勉強になるし、温かい気分にも浸れる好作だ。
神父も一人の人間
信仰している宗教が全くなく、あまり宗教に詳しくはないが、ベネディクトとベルゴリオの二人の会話を楽しむことができた。
保守派のベネディクトと改革派のベルゴリオは本来は価値観としては真反対の人間である。そのためベネディクトとは当初はベルゴリオを一方的に毛嫌う態度を取るところから始まる。その時点から彼の人間味あふれる姿が見え始めるわけだ。
その後ベルゴリオが辞職を提出しにベネディクトに会いに行く事をきっかけに、彼らが会話を交わすのだが彼らも司教の前に一人の人間である。サッカーも好きであれば、ピアノも弾く。ビートルズが好きであればピザも頬張るように食べる。
神格なる職業であるが、人間味あふれる一面をとても楽しむ事ができた。
神父を取り扱う作品は日本ではあまり身近にある存在ではないため、しっかり理解をできてるかどうか不安にも思うが、この作品は彼らの会話を楽しめる作品のため気軽に見ることができる気がする。楽しかった。
全65件中、41~60件目を表示
















