劇場公開日 2022年5月13日

「子どもの視点が存在しないウルトラマン」シン・ウルトラマン かりめろさんの映画レビュー(感想・評価)

2.0子どもの視点が存在しないウルトラマン

2022年6月4日
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この映画が誰の為に作られたかと言うと、初代ウルトラマンのノスタルジアをふんだんに盛り込んでいる時点で、昭和特撮を幼い頃に親しんだかなり上の世代が楽しめるかなり内向きのコンテンツに思える。

それと、庵野秀明は子どもたちの目線を脚本から排除しているのがよくわかる。
60代にもなれば次世代の子どもたち、更には孫の世代に向けたメッセージを含んでもよさそうなものなのに、特段そう言う趣旨は映画に存在しない。
メフィラスは利害関係を説くだけの宇宙人に変わり、初代ウルトラマンで子どもを誘惑するメフィラスの寓話やその精神性に興味すらないのだろう。

パンフレットを読み進めると、
庵野秀明はウルトラマンと子供たちの関係性よりも「ウルトラマンと長澤まさみの恋愛」をやりたかったそうだ。それを読んでシン・ウルトラマンはある意味男女関係が軸に置かれていると分かり、子どもの不在に合点がゆく。

未来ある子ども達への愛へ至る前の段階、
いつまでも男女関係のラブストーリーに生きている脚本家だったのだ。

そもそも、このシン・ウルトラマンは特段子どもたちのヒーローとして描かれない。
製作陣が大好きなウルトラマンを題材にして「SF・恋愛・怪獣・ロボット」がミクスチャーされた凄い閉じた世界の脚本に感じ、映画を見終えた後の余韻が存在しないのだ。
なぜなら「庵野秀明が追い求めた箱庭世界のウルトラマン」との波長が合わなかったからだろう。

米津玄師の「君が望むなら」という耳に残るフレーズに、幼い子どもたちがウルトラマンを見上げる姿が脳裏によぎったが、肝心の映画本編には子どもの目線は存在しないことに大きなミスマッチがある。
庵野脚本、樋口演出、米津玄師らの才能が揃っても映画の出来の良さに繋がらないのだ。

シンウルトラマンはシュワッチと言いません。
庵野樋口監督の「俺達のウルトラマンはシュワッチなんて言わない」と拘る姿勢がオタク的なアレ。

この映画を見たいのは一体誰だったのか?
誰の為に作られた映画なのか?と問われる映画でしょう。

かりめろ