「メキシコ人が言ってたんだけど、テキーラを呑んで胸が焼けるのは、 昔の恋を燃やしてるんだって。」彼女は夢で踊る 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
メキシコ人が言ってたんだけど、テキーラを呑んで胸が焼けるのは、 昔の恋を燃やしてるんだって。
この映画を観て数日、僕の頭はまだ、踊るサラの裸体に囚われている。踊るバックに流れていた、Radioheadの「creep」とともに。この曲を選んだ時点で、もうこの映画は成功したようなものだと思えるくらいに。
舞台は、広島のストリップ劇場。他に娯楽の多いこの時代、おまけに女の裸を見るだけならネットでいくらでもできる時代、廃れ行く娯楽興行の代表例のようなもの。たしかに、古びて時代遅れ。だけど、郷愁や慕情が染み込んでるこの劇場は、踊り子さんたちの晴れの場だ。ミラーボールに映し出された彼女たちの肢体の、美しいこと。そこにあるのは単なる媚態ではなく、生きた芸術品。だけどそれは華やかさではなく、人間の悲哀を映し出した鏡なんだよなあ。ただ間違ってはいけないのは、それは卑屈とは別ものなのだ。もちろん踊り子さんたちには矜持だってある。それをみせつけながら流れるように踊る姿には、なぜだかそれまで彼女たちが生きてきた時間を感じるのだ。もしかしたら、観る側はそこに勝手に自分の人生も重ねているのかもしれない。だから、「ときどき泣いている人がいる」「なんて人間は美しいんだと思ったら涙が出て来たんだ」ってセリフには説得力があった。少し前、ラジオで当代売れっ子講釈師が浅草のストリップ劇場通いを力説していたのだが、その気持ちはよくわかる気がした。
重ねて書き留めておくが、今も「creep」をパソコンでヘビロテしている。you tubeでカバーまで探してきて、ずっとかけ流している。たった4つのコードで終始するこの曲が、これほど心を支配することになるとは、初めてこの曲を聴いた2,30年前の僕には想像もできないだろう。人生、峠を越した時間を生きてくるとこの曲が深く響くぜ。自分を気持ち悪い奴だと悔恨するサビと同時の、ディストーションをかけたガシャッ、ガシャッ、ガシャッのギターが心を叩く鐘のようで、泣けて仕方がない。たぶん今の僕は、踊り子さんを見上げて泣いている客と同じ顔をしている。
※せっかくなので、Radiohead 「creep」の和訳を載せておきます。
この「僕」は、劇場主そのもの。
君がここにいた頃
君の目も見れなかった
まるで天使のようで
君の肌は涙をそそる
君は羽のようにかろやかに
美しい世界でただよっている
僕は君の特別でありたい
君は本当に特別なんだ
でも僕は気味悪い奴で
どうしようもないんだ
一体僕はこんなところで何しているんだろう?
ここにいるべきじゃないのに
傷ついたってかまわない
ただ君を思い通りにしたい
理想的な身体と
純粋な感情が欲しい
気付いてほしい
僕が近くにいなくても
君は本当に特別なんだ
僕も君の特別でありたい
でも僕は気味悪い奴で
どうしようもないんだ
一体僕はこんなところで何しているんだろう?
ここにいるべきじゃないのに
彼女がまた僕のもとを去っていく
彼女が走り去って行くんだ
何度も、何度も、行ってしまうんだ
何かが君を幸せにしても
君が何を望んでも
君は本当に特別だから
僕も君の特別でありたいんだ
でも僕は気味悪い奴で
どうしようもないんだ
一体僕はこんなところで何しているんだろう?
ここにいるべきじゃないのに
ここにいるべきじゃないのに