キッチンのレビュー・感想・評価
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今の自分は、ただこの映画の素晴らしさに酔いしれるより他ないです…(お手上げ)
こんなに多幸感に包まれるのは久しぶりです
(昔はよく映画を観ると多幸感に包まれましたが、大人になるにつれその感覚はどんどんなりを潜めていきました)
具体的にここが良かった、といつものように感想が書けません
頭の中は暖かいものに包まれてぽうっとしてしまってます
(こどもの時ビデオテープで借りて観た時は分からなかった事ごとが、今なら分かるシーンが多くて
ようやく、こどもの頃拾えなかった宝石たちをたくさん拾えたような、嬉しい気持ちでいっぱいです)
いつか感想が書けたらいいな…素敵な作品を再び視聴できて、ほんとうに有り難いです
美しい
【“綺麗で、清潔なキッチンのある家で暮らす人は、キチンとした生活を過ごしている。そして、優しき心を持っている。”名作小説を森田芳光監督がアレンジメントした品性ある作品である。】
ー 主演のみかげを演じた、川原亜矢子さんの事は今作で初めて知ったが、透明感ある化粧っ気のない姿が印象に残った。
この方は、ファッション・モデルとしてトップランナーとして活躍されているそうである。
成程。
”一時に通じる人は万事に通じる”を実践している方なのだなあ。ー
■幼い頃に両親を亡くして以来、祖母に育てられたみかげ。
その祖母も亡くなり、天涯孤独になった彼女は、祖母の友人であった雄一の好意で彼のマンションに住むことになり、雄一の母親で実はゲイの父親(橋爪功)を合わせた3人での共同生活が始まる。
◆感想
・今作は、今から30年以上前の作品であるが、雄一の高級マンションの内装など、あまり時代を感じさせない。
・森田監督の脚本は、原作の要素を残しつつ、大きく改編している。故に、ややバブル時代の要素を感じつつも、品性あるラブ・ストーリーとして屹立している。
ー みかげと雄一は、恋人になるまでは、丁寧語で会話を交わしている。ー
・橋爪功さんのゲイの姿も、「家族はつらいよ」の頑固なお爺さんの姿をやや想起させつつも、違和感がない。
<天涯孤独になってしまった少女を、自然に受け入れる親子の姿や、ピカピカに磨かれたキッチンで、みかげが作る料理の美味しそうなこと。
キッチンが綺麗で清潔な家で暮らす人は、キチンとした生活を過ごす、優しき心を持つ人なのである、と思った作品である。>
詮索しない。 深入りしない。
ひとはひとで、私とは決定的に異なる世界の存在。徹底して他人は他人なのだと、この希薄で生活感のない映画は見せてくれる。
二つのキッチンが映る ―
祖母の死んだ家の台所は極めて普通の、少し古い日本家屋のそれ。
対して雄一の函館のデザイナーズマンションのキッチンはスタイリッシュ。
どちらが人間の生活臭がするかと言えば、意外にも後者だろう。
祖母の台所は、もう使う人がいなくなった死んだ台所の姿になってしまっていたから。
火の気が無く、パパイヤにレモンを絞るだけの台所だから。
桜井みかげは
墓標のような冷蔵庫から水を飲み、祖母の仏壇にお茶ではなくガラスのコップで水を供える。
封切り時に原作も読んだが、天涯孤独のみかげの、火の消えた心象風景がよく描かれていたように思う。
原作者吉本ばななは、あの舌鋒鋭い評論家吉本隆明の娘だ。
評論家の家に暮らして、少なからずその影響を受けただろう。
即ち人間を突き放して冷静に観察する目だ。
何十年ぶりかに観たこの映画。
初見時は、新しい時代の匂いを感じてスクリーンに釘付けだった。
トレンディドラマの先駆的作品。
森田芳光の
「家族ゲーム」「刑法第三十九条」と「(ハル)」に続けて今回再鑑賞した訳だが、やはり共通して特徴あるあの抑揚をおさえた台詞回しがとても面白い。
監督が役者たちに求めるどこか学芸会ふうの構図。ぎこちない会話や、歩き方や、表情の見せ方は、森田らしくて好み。
現代美術館のような、実用には適さないように一見見える豪邸のキッチンではあるけれど、いやいやどうして、
・雄一のために母親になった絵理子さんの冒険と、
・助け・助けられる関係で料理を作り始める桜井みかげと、
・絵理子を邪魔者扱いして実家から出ていく決心をする雄一と。
キッチンを核に、食を共有することで命が再起動する感動は、十分に映し出されています。
ほら、みかげが最初に作ったのは、(病み上がりの病人に食べさせるための) お粥でしたよね。
シトロエンのステーションワゴン、
雄一の襟の刺繍、
浜美枝のごっつ魅力。
こんな新しい再発見もありました。
・・・・・・・・・・・
サウンドトラックのテーマは、本作に遡ること6年の「戦メリ」のテーマ曲(坂本龍一)に瓜二つなのだが、問題にはならなかったのだろうか。ちょっと気になった。
変人である、という意識
印象に残る映画。見終わってからも、影像を思い浮かべたり、あれこれ考えてしまう。
なかなか奥が深い映画に思える。
原作はどうなってるのだろう。
ここにでてくる主な登場人物たちは、自分を<変人>だと少なからず感じていたり、本人の意識はともかく、世間では変人とみなされがちな人たちだったりする。
そんな人たちの、外の世界との違和感、そしてその克服ということが、この映画の底辺に流れているものなのかな思う。
精神的にこもった世界。棒読み調の台詞、他人を気遣いすぎる優しすぎる微笑み、怒りや戸惑いや驚きを伏せた表情、…これらは、籠もった世界を表現するための演出なのか。それとも単なる作者か監督の好みのようなものなのか。
どちらにせよ、私は籠った世界を感じる。
人は皆、自分で意識するかしないかの差はあれど、少なからずそれぞれ変人なのだと思う。そして、もしそこを深刻視したならば心が折れてしまう。自己はある程度、肯定しなくちゃいけない。
では、自分を大切にしながら、どうやって外と折り合いをつけるか。どうやって他人とかかわり合いを持っていくか。
この映画の彼らのように、まず、自分を大切にする凛とした強さを持つこと。そして同じように他人をも尊重すること。そうやって信頼関係を作り上げればよいのか?そんなことを考えさせられる。
なんと、30年以上前の映画なのに、写し出されるモノもまた魅力的だった。
キッチンの、物が厳選され整理され大切に扱われている様子、そこからくる居心地のよさ、登場人物たちのお洒落、みかげの清潔感溢れる凛とした美しさや言葉、流れている優しい音楽。それらは心のあり方と深く関連しているように思う。
何かと味わい深い映画だなぁ…
キッチンとは、一番生活感の溢れる場所 昭和が最後まで残るところ しかし本作のキッチンには生活感がまるでない
1989年10月公開
その年は昭和が新年早々に終わった年
平成が始まった年
まだバブルは更なる高みを目指していた頃
本作はその時代の空気を確実に伝えている
「の・ようなもの」でデビューした森田監督らしい映画
昭和の空気を排除した、新しい時代の映画
音楽で言えば、歌謡曲に対するニューミュージック、今風に言えばシティポップ
だから本作は、「の・ようなもの」から直線で伸びた延長線の上にあると思う
キッチンとは、一番生活感の溢れる場所
昭和が最後まで残るところ
それがどうだ
本作のキッチンには生活感がまるでない
キラキラと輝く美しいショールームのような世界なのだ
本作において「の・ようなもの」で目指した作品世界は完成したのだと思う
ニューミュージックは、J-POPと名を変え、平成の時代のメインストリームとなった
もはや歌謡曲を否定したり、昭和を拒絶する為の努力は過ぎさった
時代は平成になったように変わったのだ
森田監督のやるべき仕事は本作でひとつ終わったのだ
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