「やめてくれ、やめてくれと呟きながら観た映画」劇場 座布団さんの映画レビュー(感想・評価)
やめてくれ、やめてくれと呟きながら観た映画
本作の主人公のように、保証のない水モノのような夢を追いかけた人間なら一度は通り、身に詰まらされる映画ではないか。
タバコの煙をくっきりと浮かび上がらせる茶色い照明とサブカル感を演出する音楽に包まれた土壁のボロアパート。
そこに2人はいた。
屈託のない笑顔で何でも許してくれる彼女とそれに甘え切る男。
一緒に歩く商店街。2人乗りの自転車。
理由のない苛立ち。バイトをする彼女。お金の話をされると惨めになるけど、創作活動という大義名分を盾にして稼ぎがない男。未来を聞かれると誤魔化しながら浮かべる苦笑い。掻き立てられる嫉妬心。また1日が終わってしまった、と世界の終わりのような罪悪感を誘う夕陽。
そしていつしか自分より先に未来を見据え始める彼女・・・。
お前は俺か!と錯覚するほど、今は別々の道を歩んでいる恋人と全く同じような日々を過ごした。
のたうちまわるほどの心の痛みを伴い、何度もやめてくれ、やめてくれ、と呟きながら、目を離せない、いや離してはいけないと唇を噛みしめる。
まだ何者にもなれない、そんな日が続くことで焦る気持ちと、見えない未来の不安に押し潰されそうになりながら過ごしたあの頃の記憶がまざまざと蘇らされる。
不安と劣等感からくる自身との葛藤を、なぜか他人に向けてしまう。
言葉をぶつけ傷つけ打ち負かすことで自分の世界でだけは何者かになれた。
自分がいない時、他人にどう言われていたか、それに対してどう答えたのかを恋人に聞く行為は、自分が他人の世界でも少しは何者かになれているだろうか、を確認するものだ。
痛みに正面から向き合い続け、何者かになれた者からすると、癒えた痛みを思い出させるだけで懐かしい話かもしれない。
痛みから逃げ出し、何者にもなれなかった者からすると、いつのまにか美化していた記憶が苦いものだったと思い知らされ、遅れてやってきた激痛に懺悔の念を呼び起こさせる。
自分とあの子の世界では確かに何者かであったあの時代を癒えない痛みにしたのは自分なんだな、と感じる。
主演二人の芝居が良かったこともあり、
帰れないあの頃と激痛に向き合わされ、出来栄えがどうとか考える余裕はなかった映画だった。