「生き地獄にいる難民の実態」ミッドナイト・トラベラー REXさんの映画レビュー(感想・評価)
生き地獄にいる難民の実態
タリバン政権の恐ろしさというより、各国で難民がどう扱われるのかという実態の一部を描く映画。
感情と感覚に訴えかけてくる描写なので、細かな点で不明点も多い。
たとえば
・スマホの通信費用は誰が払っているのか(動画は通信しなくてもとれるが、娘はネットでMichael Jacksonを閲覧していたし、ハッサンも電話もかけていたことから通信機能は損なわれていないだろう)
・靴をもらった施設はどこなのか
・トランジットから家族は出ることができたのか
・映像は誰に手渡され、商業ベースにのることができたのか
日本語の持つ曖昧さがそうさせてるのか、訳が悪いのか娘の最後のセリフは過去形なのか現在進行形なのか、わからない。
一番最後にたどりついた場所が、やっと自由への一歩を踏み出せる場所であるはずなのに、監獄を象徴する最低の場所だったという絶望。見終わった後もあの家族はトランジットから無事解放されたのかが気になり、そうか、この曖昧で不安な状態がほんの少しでも難民に近しいのだとしたら、観客がこのまま放り出されるのも意味があるのだな、と思った。
否が応でも日本の入管のことを連想する。ネットなどの書き込みでは不法入国者は犯罪者だと辛辣なコメントも飛び交う。だが、彼らはただ単に「安全な場所で働き、生きたい」と渡ってきただけであり、生来は殆どの日本人となんら代わりのないただの小市民である。言葉のわからない国で、手続きのミスや悪質な斡旋業者のせいで終刊された人もいる。
本来、人間の数が少なければ、移動して好きな土地に住み着くことだって可能だろう。生来、人間も動物であれば、むしろどこに住もうと自由なはずなのだ。ハッサンたちは、国家の枠組みと管理により、「人間」から「難民」にさせられているだけなのだ。
そして盗みなど働かなければ暮らせないような状態に、追い込まれいるだけなのだ。
彼らがアフガンで生まれなければ?同じ映画を撮っても、自由を阻まれることなく暮らしていただろう。
しかし世界が誤解しない方がいいのは、恐らく難民の大多数が愛国心を持っていて、子供への危害や紛争がなければ母国に帰りたいと思っていることである(勿論難民キャンプで生まれた世代ではまた違うだろう)。
なのでシュプレヒコールで「母国へ帰れ!」とうのはとんでもない愚かさだ。ユダヤ人に対して、ナチスの台頭していたドイツに帰れと言うようなものである。
ジャレド・ダイアモンドの著書『危機と人類』の日本の章で、日本の難民の受け入れが低いことに言及、難民を受け入れベビーシッターなどとして雇うことにすれば、女性の産後の社会復帰にも役立つと西洋のモデルを例にしていたが、上の例ではなくてもいいが難民を閉じこめておくのではなく、市民の一部として社会活動に加える枠組みが早急に必要だと思う。
マイケル・ジャクソンは正義や差別や偏見と闘う歌を作ってきた。ハッサンのこどもが、意識的にしろ無意識にしろ、あの状況でマイケル・ジャクソンを選んだ感性が泣けてくる。