犬王のレビュー・感想・評価
全281件中、141~160件目を表示
魂の叫び、無念を抱えし者共にとくと聴かせよ!!
Twitterの評判で観ることにした作品。小説原作なんだけど、映画のために生まれた物語と思えてしまうほどの完成度。
実在したことは歴史上確かだが、具体の記録が残っていない犬王をモチーフにここまで独自性があって芯のある物語に昇華させる力がすごい。
犬王は呪いが原因で人としての形を成さずに生まれたけど、
それがある行いで解けることがわかる。ここらへんは「どろろ」っぽい。
当然、時代設定上、平家の亡霊が関わってるんだけど、
平家の亡霊を恨みにのまれ、復習だけを望むおぞましい存在ではなく、
ただ此処に存在してことを、彼らにも物語があったことを
知ってほしい存在として捉えていたのが良かったな。
犬王と共に名をはせる琵琶法師が「トモナ」「トモイチ」「トモアリ」と
名を変えていくんだけど、ここにもちゃんと伏線があったの。ここも好き。
名に基づく信仰の精神が反映されている日本らしさが垣間見えた。
ラストも納得!
物語は史実と空想を織り交ぜ、舞台は過去から現在迄の最高を詰め込んでいる
アニメで出来ることをやり切ろうと引っ張って行ってくれる筋力が好き。作画の熱さと落ち着きのバランスが秀逸。 全てがお手本で、映像表現には斬新な芸術性を感じた。声の演技もリアルで引き込まれる。
猿楽に対する描写への敬意も感じられた。芸を極めることの難しさ。桜の中で舞う犬王最後の舞も儚く哀しくて美しい。今までの派手で自由で長い時間をかけて描写した舞台との対比が際立つ。
主人公達が不遇やハンデをものともせずに努力と準備で乗り越え、大衆を惹きつけていくさまはいつ観ても爽快。
犬王の歌は鳥肌が立つ程見事。友有の歌も素晴らしく、なにより気持ちが伝わってきた。
観賞中、ストーリー終盤の展開は納得できず置いて行かれた。犬王が顔を取り戻してハッピーエンドで終わって欲しかった。
しかし「友有は不屈反骨のロッカーになったこと」「犬王は友の為に幕府の要求に従ったこと」「最後の舞台で流れる竜中将のラストフレーズと二人の出会いのシーンやエンディングで流れる曲にて繰り返されるフレーズが同じ気がすること」にあとから気付いたので納得した。大変美しい終幕だったと思う。
二人の出会いのシーンやエンディングにて流れる曲で繰り返されるフレーズの竜中将での歌詞は「我らの心共に此処に在り」。折角人気の絶頂に辿り着いたのに、幕府に潰されてしまう。そうして引き離された二人が、600年後に再会する。友有は死んでいない。記録になんか残っていなくても、友有座は不滅だ。
出会った頃のわくわくする気持ちが何よりも大切で、そんな相手と心を通わせる幸せ。熱い勢い。大切なことを教えて頂いた。
やばい権力者はいつの時代も大衆芸能を封じる
異形として産まれた能楽師の息子、犬王と
漁師の息子ながら、平家の因縁により
盲目となってしまった友魚(トモナ)とが出会ったことにより
型破りな舞と音曲が生まれ、大衆の心を掴むも
時の権力者の弾圧により2人の絆は絶たれてしまう〜
琵琶などの和楽器と現代の楽器を融合した斬新な音楽と
流石、湯浅監督と唸ってしまう躍動感あふれる動きに
圧倒されるミュージカル時代劇アニメ作品でした。
音楽を楽しむ映画はやはり映画館の音響で観たい!
そして、河原の民衆と同じ気持ちになれるように
映画館でたくさんの人達と一緒に観たい作品です。
コロナがもっと終息したら、一緒に歌って良し上映を
是非企画して欲しいですね。
で、大衆にあまりにも支持された過ぎた犬王は
やがて権力者からその舞と唄を封じられてしまう。
民衆に不誠実な権力者ほど、表現の自由を弾圧しようとする。
表現の自由の無い国がどうなっているのか?
それがもし現代の日本なら?そう思いながら観て欲しい作品です。
で、月に8回ほど映画館で映画を観る中途半端な映画好きとしては
時代劇のおもしろいところは、実際のことは誰もわからないのだから
想像力次第で何でもあり!のところ。
とは言えあまりにも絵空事ではアニメだから何でもあり〜〜
で片付けされてしまうので、昔から使われる舞台装置を再現し
あったかもしれない世界を作り上げているところは
流石に湯浅監督でしたね。
ただちょっと気になったのは、
異形として産まれた犬王が、新しい舞を完成させる度に
「どろろ」の様に人の体を取り戻すのですが
異形だからこそ出来た舞は2度と出来なくなってしまう。
それはそれで、異形を否定している様で少し残念な気がしました。
大事な友の命を守るため自分の信念を封印する犬王。
最後に何か権力者に一矢報いる描写があればカタルシスがもっとあったかも〜
大人たちの本気、見るなら前知識アリのほうが楽しめる
勉強不足、前知識もあまり入れず。故に映画に「打ち負かされた」感覚。もっと深く知っていれば、それが伝承を主題としたエンタテインメントだと気づけたのだろう。
とにかく強烈。湯浅政明監督に野木亜紀子氏の脚本、大友良英氏の音楽といったその道の強者が集っている時点で既に強い。更に、表現を学びに海外へとんだ経験のある森山未來さんと「女王蜂」として独特な世界観を確立させているアヴちゃんの共演。見事なまでに、才能が集っている。だからこそ、骨太で妥協なき世界を描けたのだと思う。
だが、一度でも蚊帳の外になってしまうと、引き込まれにくいのが難点。プラットフォームを問わない描写力、圧巻のミュージカル、そして、語り継がれなかった音楽の数々。狂騒するミュージカルであって、全てを咀嚼しきるのは難しい。まして、展開も大胆で早い。序盤は結構眠くて厳しかった。
しかし、中盤の見せ場はやはり強く掴まれる。理解した頃には遅かったのだと悟りつつ、当時の市民の高揚に煽られるかのように、私も心がうずき出す。なるほど、こういうことか…。原作では魅せることのできなかった世界を彼らは体現し、現代の技術で想いを馳せる。なんたる遊び心。
足利義満の声は柄本佑さん。エンドロールまで気づかなかった。音楽もほとんどをアヴちゃんが作詞、古典的な世界に二者をまとった歌声が響く。個々のパフォーマンスが凄いからこそ、浴びるコチラ側の準備がいかに必要か思い知られたのだ。
しかしながら、合わなかったのも事実。ミュージカルとしての慣れない感じは否めなかった。だが、一度観れば分かったことも多いので、きっと次は楽しめるはず。そう思わせてしまうのは作品においてマイナスに感じたので、このスコアとなった。
ストーリーと人物描写が薄すぎる。
期待してたんだよなー。本作。予告編が良くて。
海外のアニメーション作品が好きなのですが、いわゆる日本の「アニメ」とは雰囲気が異なる「アート作品」の印象が強いんですよね。だから勝手に自分の中で「アニメではなくアニメーション」と線引きをしています。本作は冒頭シーンから引き込まれて、アニメじゃなくて「これぞ和のアニメーション!」って盛り上がってたのに、犬王の演舞シーンあたりから失速開始でした。
おい、和はどこいった?そんな単調な描写??そんな動きを見るならオマージュ元の本家のライブ映像観ますよ。なんたる稚拙な。過去のアーティストのLIVE映像の動きをを切り貼りしてアニメーションにしただけじゃないかーー!でもって、カメラ位置はステージ前方の定点。え?NHKの歌舞伎放送ですか?そんなノリが何曲も・・・でもって歌詞がよくわからんし、メロディーにギター使わないでほしい。今の曲じゃん!雰囲気ないじゃん!。歌詞が昔言葉なだけでさ。単調なカメラワークで何曲も見せられると、マジで飽きてきます。
なんとなーーーくわかりますよ。古の時代のノリに現代を投影して、異形の煌めきを描こうとするのは・・・。でもそれじゃぁさ、現代のエンターテイメントやアーティストが過去にタイムスリップするのと何が違うんだろ?てか、そーいうことじゃん。
百歩譲って、観客に受け入れられた音と演舞が現代っぽいってのは良しとしよう。でもねそれが生まれたのは「なぜ?」そこに至るまでのカタルシスが少なくないかい?そいつらだから出来ました!みたいな感じがストーリーを薄っぺらにしていると思います。だからラストに至る二人の動機が全然伝わらないし、ラストシーンになんら感動が生まれないのです。曲が多いからミュージカルってわけではないと思いますよ。しっかりストーリー作ってほしい。
あとさ、やっぱりさ、ちゃんと本職の声優さん起用しましょ。感情が伝わってこないです。下手すぎて。叫びシーンなんて聞いちゃいられない、がっかり。でも、アヴちゃんはよかったな、ハマってた。
なかなか奇抜
アートパフォーマンスとして観ると、とても素晴らしい。実写でなくアニメーションでしかできない表現の領域を堪能できました。革新的で、挑戦的。
滅亡した平家の話が絡むので、やや重苦しい話ですが、従来の平家物語だとこんなに若者は観ないだろうから、ややダークファンタジーではあるものの、良いアプローチだと思いました。
ただ、森山未來くんの路上ライブ的なものは、長すぎて少しウンザリしてしまった。まぁ、あれも意図的なバランスの悪さを演出してるのかもしれないけど。
アヴちゃんは流石な感じでしたね。
大人の欲望の被害者はいつも純粋無垢なものたち。
私はノれなかった
ストーリーは置いといて、取り敢えず、歌とダンスがエモければ良いかと思って鑑賞してみたが、肝心の歌とダンスにノれなかった。
歌はクイーンのWE WILL ROCK YOUのパロディだったし、ダンスは器械体操をやってみたり、マイケルジャクソンのマネをやってみたりだったし、私には滑稽にしか写らなかった。
怨霊
鮮やかな立ち上がり、多彩な画とテンポの早い展開。気持ちは高まり、この2人からどのようなアートが生み出されるのかとゾクゾクする。
しかし失速。その音は明らかに現代から持ち込まれたもの。新しさがなければならないが、現在に生きる者には感じられない。なぜその時代の音だけで構成しないのか違和感。演奏映像と音がシンクロしない。ライブ感がない。魂が呼び起こされるには及ばないグルーブのなさ。映像の群衆と同じようになれれば成功。しかし全くその気にはなれない。歌詞が聞き取れずにメッセージも伝わらない。映画館に浮き上がる室町の群衆。長くて退屈。それが何度と繰り返される。
同じアニメ映画の「音楽」はベースとドラムで心が揺さぶられ、たて笛一本で持っていかれた。読経と木魚だけで酔えるもの。その力がここに感じ得なかった。
なぜ片方はこだわり、片方は折れたのか。光を取り戻せぬ者と醜さから解放された者の違いか。考えは及ばぬが、あまりふたりに心を寄せるに至らなかったのも正直なところ。
辻褄が合っているように感じなかった…。
犬王が徐々に人間の体や顔になっていく過程で、何故そうなっていくのかが、よく分からなかったため、どうしてもご都合主義の映画に見えてしまった。
初めは足がはえたとき、いきなり足が生えたようにしか見えず、次は伸びきっていた手が普通の手になっるのも、きっかけがイマイチ分からなかった。
しかし、化け物と言われた顔が美男子の顔になったときは、悪魔に魂を売った父親が死んだからかなというのだけは、なんとなく理解した。
後半、犬王だけが将軍に召し抱えられて、友有だけが殺されてからの犬王の葛藤ももっと見たかった。
そうすれば、最後の死後の世界での二人の再会も、もっと印象深いものになったのではと感じた。
終始、物語に入り込むことが出来ず、途中寝そうだった…💧
犬王レビュー
犬王はドロロと同じプロットかな。現代音楽を能にしたら民衆にウケた。文化的な古い日本文化はアメリカの洋楽に食われたという比喩でもあるし、それが新しいとするごちゃ混ぜ日本文化の現状の賛美でもある。暗転させるイメージ作りなのか、或いは本能的に演舞は劣っていて、ミュージカルが優っているのを表現したかったのか考えさせられる。終わり方の序破急や、影絵でクジラを表現するなどの、もしかしたら昔のやり方でも現代で同じ演出も出来るという描写などは素晴らしい。全体的に湯浅監督っぽくなかったのは残念。あと犬王が身体障害が有るのが特異として最初は描かれてるけど、後々身体障害は悪として描かれてるのも何だか。
美しいものは醜いものから生まれる
圧巻の音楽、胸がワクワクする音響、心地よいセリフ回し、圧倒される映像。とても楽しかった!
特に鯨の場面の吸い込まれるような迫力に取り憑かれ、また観に行く予定を立てました。
犬王の異形の姿から生まれる声と動きが素晴らしく、憑き物が落ちて人間の姿になっていくにつれて「まとも」になってしまっていくことが残念に感じるほど。
しかしそれもまた人間だと思わせる物語に心が締め付けられました。
最後、犬王が自分の物語を続けることを笑って諦めたのは友有のためなんですよね。
でもそれが叶わず、友有は最後までもがいて足掻いていた。だから600年も彷徨っていた。
だけど犬王も600年、友を探し続けていた。
そのラストで泣きました。
パンフレットを読んだらそれがわかります。
原作を読んだらさらに深まるのかも。
もっと二人の物語を知りたい。
化学反応
評価外という事で。ワカラン体験はワカランままが良いってヤツですな♪
史実がベースにあるこういうの好きだし、原画(デザイン)も動画も音(音楽)も声も良かった。人に寄っては途中で眠くなるかもしれないし、「新しい芸術」がまんま洋風なのも少し残念に感じる(私は感じた)かもしれないけれども、不思議な体験を入り口から出口まで感じさせてくれたのは、最高だと思えました(他に言い方ないもんかね…)。
原作者が一緒なので(あ、スタジオも)TVアニメの「平家物語」を視ておくと地続きな雰囲気を味わえますが、特に必要はないでしょう。なぜならば肝心の歌が二人とも聴き取りにくい事この上ないもので。まぁ、それはワザとだと思うので、作中のオーディエンスと一緒にノリで流しましょうね。
広く受けを狙いにいかない湯浅政明監督、好きです。
卑しき美
猿楽一座に生まれた異形の犬王。
平家の呪いで盲目となった琵琶法師の友魚。
運命的に出会った2人は斬新な手法で全く新しい猿楽をエンターテイメントとして確立していく。
時代の寵児となった2人のスターの歴史に隠された物語。
こんな猿楽見たことない!(そもそも猿楽生で見たことないけどそれは置いといて)
猿楽の舞台というよりも、これはライブ。
路上ライブからフェス、全国ツアーを経て、遂には武道館まで行ってしまうような彼らの革新的なステージは本当にテンポ良く、こちらもエンターテイメントとして楽しませてもらった。
森山未來も頑張っていたけど正直アヴちゃんの独壇場で、完全に作品自体を食っているパフォーマンスにやられた。
とりあえず、犬王の役をアヴちゃんにやらせようと思った人に拍手。
まるでテルマエ・ロマエのように、現代のライブにあるような演出を当時の技術で表現しているのも興味深い。
かなりデフォルメされているにも関わらず、しっかり室町時代の空気を感じることができるし、前述の通り単にライブを楽しんでいる気分も味わえる。
好き嫌いがはっきり分かれそうな挑戦的な作品だけど、個人的には大満足だった。
歴史の中の消された一面。
友魚は自分の猿楽を守り、犬王はそれを捨てた。
そして友魚は首を落とされ、犬王は生涯寵愛を受けた。
権力者に盾を突けば消され、権力者に上手く取り入れば生き残れる。
あまりにも儚いけどただそれだけのこと。
〜
驕れる人も久しからず
只春の夜の夢の如し
猛き者も遂には滅びぬ
偏に風の前の塵に同じ
〜
後世に当時の人々の熱を伝える平家物語と犬王たちの物語があまりにもリンクしていて胸が熱くなった。
南北朝廷・足利時代の壇ノ浦、漁師の息子・友魚(声・森山未來)。 少...
南北朝廷・足利時代の壇ノ浦、漁師の息子・友魚(声・森山未來)。
少年が暮らす村に京から死者がやって来た。
目的は、平家とともに沈んだ大王の三種の神器・草薙の剣。
友魚が海底で見つけた箱を開けた途端、剣が光り、友魚の父の腹を切り裂き、友魚の眼から視力を奪ってしまった。
盲(めしい)として生きる他ない友魚は、年老いた琵琶法師(当然、盲目だ)の導きもあり、琵琶法師となり、京へと上る。
程なくして友魚が出逢ったのは、異様な面相を瓢箪で隠した、異形の少年能楽師・犬王(声・アヴちゃん)。
犬王には故あって平家の亡霊たちがとり憑いている。
「平家物語」の語り手・琵琶法師の友魚は、犬王に憑いている亡霊たちの名もない物語を語り、犬王はこれまでにない能舞いでそれを表現する。
京の都は、異端の琵琶の響きと舞いに熱狂されていく・・・
という物語。
時の北皇・足利義満(声・柄本佑)によって、平家の正史は決定され、友魚と犬王の語る物語は異端とされ、封印される・・・とこの後、すこし物語が展開して映画は終わるので、物語としてはシンプル。
(その他、犬王の出自についての謎解きめいたものも付加されるが)
異能、異端、異形・・・と「正」とは程遠い物語が繰り広げられ、それは「アナーキー」「パンク」と呼ぶに相応しい。
そうだ、そうなのだ。
この映画は、マジョリティの中にあるマイノリティの部分を呼び覚まさせる映画なのだ。
それを湯浅政明監督は傑出した映像表現で魅せていく。
もっとも驚嘆したのは、盲いた友魚が観る風景。
まったく見えないのではなく、モノの影がぼんやりと浮かび上がる。
アニメで見えないものを描くとは!
その驚き。
友魚と犬王のセッション能は、現代のミュージカル、パフォーマンス、サーカス、それらに類似している。
そんなものが、足利の世にあったのか?
いや、「?」をつけてはならない。
「なかった」というのは容易いが、歴史として記録されていないからといって、なかったとはいえない。
この異端ぶりに共感できるかどうか。
「多様性」といいつつ、この異端ぶりを拒絶することは、硬直そのもの。
「正史」を採用した立場と同じというもの。
などと御託を並べたけれども、とにかく、この映画、餡子部分の異端能の描写が素晴らしい。
考えるな、感じろ。
周りには小さな亡霊たちがいるはずだ。
マッハ10どころか時空超えを期待したのだが…
キャラクターデザイン、風景、おさえ気味の輝度がとっても時代の雰囲気が出ていて引き込まれた。
しかし楽曲の発想やチョイスに?? しかも目新しい事がないという悔しさ。制作段階で良い作品を作るための競争原理がしっかり働いたのか疑問。
能楽ミュージカル?琵琶をロックバンドでエレキギター風に弾くのにしても琵琶の特徴を活かしキテレツアバンギャルドに鳴らしてほしかったかな。
能楽や狂言の持つ事象的空間の緩急をぶち壊して新しいもっと乗れるパフォーマンスかもしれないが、アート、エンタメ、風俗に根差した文化の土台である
素材の良さや持ち味を封じてしまったのでは?
グロ楽しいミュージカル
ロックやオペラ、新体操やブレイクダンスやったり、歌と踊りと音楽を詰め込んだ作品。
絵柄がちょと生々しかったり、グロ要素が合ったりと少し人を選ぶかも知れないが、とても面白い。
結果的見れば犬王が全部得て、トモナが全部失うので、それをどう思うかで評価は別れそう。
自分はホラーを除いて、バッドエンドは脚本の力不足だと思っているので、評価は辛め。
トモナがやりたいことを見つけ、地の底に落ちた時、面白くなってきたなというところで終わってしまってとても残念です。
全281件中、141~160件目を表示