「監督が主人公」ジョアン・ジルベルトを探して 森のエテコウさんの映画レビュー(感想・評価)
監督が主人公
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ジルベルトは何処?
原題の通り、終始この想いを抱えながら、演者も観客も、当て所なく彷徨う。
事の発端は、ボサノバとその父ジョアン ジルベルトに魅せられたドイツ人、そしてその邂逅を目指した著書を読んで触発されたフランス出身監督の10年に及ぶ憧憬。
ついにボサノバの故郷ブラジルに降り立った監督は、ありとあらゆる伝手を頼りに、本家本元との対面、せめてもの一見を目指す。
ドイツ人の著作に協力した現地エージェンシー、元妻、料理番、理容師、共演者、共作者、そしてなんとマネージャー!!
それらの人々への取材を通して、ジルベルトの人となりが薄皮を剥ぐように徐々に明かされる。
しかし肝心の本人は、いつまでたっても梨の礫。
追いかけても追いかけても、掌からこぼれる星砂のように一瞥もできない。
粛々とその過程を紡いでゆく冷徹なまでの映像。これは夢か幻か。エンタメとは対極な、これぞドキュメンタリー、これぞカフカ的欧米の個人主義的芸術伝統文化。
解る人にだけ伝わればいい、これが私にとって今最も大事なイベントなんですと表現されては、60年ほど前のこの世に、ボサノバという新しい音楽を産み落とした人の生い立ちや経緯を知りたいなどという浅はかな興味本意は、木っ端微塵に打ち砕かれてしまったのであった。
ひとつ、客席に、大きなギターケースを背負われた、スペイン語を解される異邦人の男性がおられ、時折「クスリ」と取材の台詞に反応されていたのが、せめてもの救いであった。
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