「幸せに泣ける佳作」チア・アップ! 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
幸せに泣ける佳作
74歳が跳ねる。ダイアン・キートンほど年老いても若々しい女優はいない。本作品の主人公マーサはゲラゲラ笑うし、ボロボロ泣くし、嫌味をたっぷり言うと思ったら、酷い目に遭っても許してしまう。それでもって主張すべきところでは言いたいことをちゃんと言う。若者にはウイットに富んだアドバイスをし、スクエアな人物の説教には耳を塞ぐ。天晴れなおばあちゃんである。演じたダイアン・キートンも天晴れだ。
日本では就活(就職活動)をもじった終活(人生の終いの活動)という不気味な言葉が市民権を得ていて、終活アドバイザーなる資格もあり、驚いたことに終活アドバイザー協会なるものまである。死ぬのにアドバイスをもらわなければならない時代になったという訳だ。
ピンピンコロリという言葉もあって、死ぬ寸前までピンピンしていて、朝出かけていったら死んで戻ってきたみたいな場合を言うらしい。確かに死ぬ前に病気で苦しんだり、認知症や植物状態になって家族が疲弊したりするのは好ましくない。死ぬならある日突然、苦痛もなく死にたい、しかしできれば死にたくないというのが人間の本音だろう。
だが医学の知識が一般に普及して、5年生存率などの言葉も多くの人が知るようになったいま、医師からステージ4の癌ですと告げられたらどうするか。ステージ4はいわゆる末期癌だ。もしかしたら終活アドバイザー協会に連絡するかもしれない。
人体の耐用年数は50年ほどらしい。そういえば信長も桶狭間の戦いの前に「人生五十年~」の謡で有名な「敦盛」を舞ったそうだ。信長は47歳で死んでいるし、同時期の武士たちもそれくらいの歳で死んでいる。家康は73歳まで生きたが、23年間は耐用年数の過ぎた身体に鞭打って頑張ったという訳だ。江戸幕府で将軍になったのが60歳のときである。
日本は少子高齢化で世界の最先端を行く。褒められたものではないが、超高齢化社会がどのように展開するのかについては世界の注目を浴びていると思う。当方としては死ぬ前の準備としては情報を残すだけでいいと思っている。個人番号と口座の暗証番号、保険の情報、ネットのアカウントとパスワードなどを一覧にして残しておけば十分だ。あとは残った人が判断すればいい。あれこれ指示を残すのは負担になるだけだ。
その点、本作品の主人公マーサは家族がいないから残すべき情報もない。全財産を売却して最期を看取ってくれる施設に移る。それがマーサの終活だ。外国では遺品の整理はあるが、死ぬ準備のために私物を生前整理することはない。バザールみたいに並べて売っていたら、買う人は遺品整理だと思うだろう。客とマーサのやり取りはシニカルで笑える。
かなりガタがきている上に病気の身体を抱えて、しかし調子がいいときはやりたいことをやる。マーサは自由闊達で優しさに溢れている。歳なんか関係ない。やりたいと思ったときが始めどきだ。終活なんぞ糞食らえなのである。
狂言回し役のシェリルを演じたジャッキー・ウィーバーが上手い。序盤からダイアン・キートンのマーサに感情移入してしまったので、施設の人々がいちいち癇に障り、特にシェリルの我儘放題にはイラッとしてしまうが、マーサのおおらかさが逆にみんなを包んでしまう。懐の広いおばあちゃんには敵はいないのである。
こんなふうに晩年を過ごせたらいいと羨望するとともに、何かをするのに遅すぎるということはないと思い直した。生は死を内包しているから、死に方は生き方に等しい。どのように死ぬかは、つまりどのように生きるかなのである。五十肩でも坐骨神経痛でも腰椎分離すべり症でもチアダンスはできるのだ。幸せに泣ける佳作である。