「隣人よ!隣人よ!」天国にちがいない きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
隣人よ!隣人よ!
(たぶん)母親を亡くしたのだろう、
エリヤ・スレイマン監督が庭に1本のレモンの木を植えて旅に出る。
旅に出たスレイマン監督の気持ちはわかるなぁ。僕も、人生の大きな段落を越えたあとにはいくつかの旅をしてきたものね。
街を、そして人をよく見つめて観察をする監督。
まっすぐこちらを見るカットが多くて、ついつい僕も身を乗り出して監督の姿を見る。
旅は、自分との出会い。
自分を発見する時間。
自分が何を願っているのかを旅は鮮明に浮き立たせる。
スレイマン監督がその目に映す光景は、パリでもニューヨークでも、コミカルに、そして象徴的に「パレスチナの領土問題」を語る⇒
・パリでの丸い池のほとりでの椅子取りゲーム(お情け無用の陣取り合戦)。
・官権によるオープンカフェの執拗な検地。
そして市井の人たちの警戒と、無理解と、嘲笑。
オリーブ畑の中を“お百度”を踏んで祈っていた娘は、鉢の水が蒸発するまで歩いていたね。
監督も“無言の行”で世界を巡り、祈りを受け入れる素地がこの世に有りや無しやをじっと見ている。
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「隣人よ」「隣りびとよ」と繰り返されるあの呼びかけは、キリスト教徒にとっては超有名な「ハッとする」キーワード。
「善きサマリヤ人の喩え」で検索すればWikiで聖書本文が読めます。
パレスチナ人とユダヤ人(=キリスト教西洋社会)の、2000前からの確執について、ナザレ人イエスが語る珠玉の喩え話。
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で、先日、
弟から面白いメールがあった。以下
『僕の車の運転席前(ダッシュボード)に、いつもパレスチナの旗を立ててあるのですが、
先日アパートの車庫から車を出そうとしてドアを開けたら、犬の散歩をしながら通りかかった高齢の男性から声をかけられました
「いつもここを通るのですが、これはパレスチナの国旗ではないですか」
「あ、そうですよ」
「関係者なのですか?」
「関係者ではないですが、支援をしています」
するとその男性、嬉しそうに、「私もです」と言って、パレスチナの国旗がついているキーホルダーをポケットから出して見せてくれ
ました。
ちょっといい話でした。』
ねぇねぇスレイマンさん、
これどう?いいエピソードだと思いません?