「結ばれる事のなかった人たちの為にも…燃ゆる愛の肖像」燃ゆる女の肖像 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
結ばれる事のなかった人たちの為にも…燃ゆる愛の肖像
今世界中で掲げられているSDGsの中に“ジェンダー平等”とあるが、決してタイムリーに狙った作品などではない。
燃ゆるような激しさと内に秘めた繊細さ、悲しくも美しい、愛の物語。
18世紀のフランス。
画家のマリアンヌはブルターニュ地方の孤島の屋敷に住む貴婦人から依頼を受ける。それは、結婚を控える娘エロイーズの肖像画を描くのだが…、
エロイーズにとって望まぬ結婚。これまで依頼を受けた画家たちは満足いく肖像画を描き上げられなかった。
そこでマリアンヌは正体を偽り、散歩のお供や話相手として近付き、画を描く機会を伺う…。
肖像画は微笑みとか、そんな“顔”が多い。しかし、お嬢様は笑わぬ。微笑み一つすら見せぬ。これで結婚用の肖像画など描き上げられるのか、予想以上の難依頼。
マリアンヌ自身も画家としての自分に葛藤があるのか、エロイーズほどではないが、あまり笑顔を見せない。何処か似た者同士。
エロイーズが心を塞ぐのには理由が。姉が居たが、亡くなり、その姉の結婚話が繰り上がって自分に。あの時代、親が決めた事には逆らえない。
だからせめてでも、島で自由奔放に振る舞う。それがまた何処か哀しく映る。
海辺を散歩したり、他愛ない話をしたり、少しずつ距離を縮めていく2人。
マリアンヌは画を完成させ、正体を明かし、画を見せるのだが…、
エロイーズは“私の本質を捉えてない”と一蹴し、マリアンヌは画を潰してしまうが、エロイーズは自らモデルになると申し出、マリアンヌは書き直す事に。
マリアンヌが島に滞在出来るのは後数日。
婦人が諸用で屋敷を外し、残ったのはマリアンヌとエロイーズと女中。
トランプで遊んだり、お酒を呑んだり、妊娠していた女中の中絶に立ち会ったり…。
絵画作業も続く。画家とモデルとして、キャンパスを挟んで見つめ合い、音楽や文学など話をしながら親密な関係を深めていく。
ある夜、島の女たちが集い、歌う祭り。
それに魅せられた2人は焚き火の中、官能的な視線を交わし、洞窟の中で初めて一夜を共に過ごす。まるで、初めて会った時から愛し合う事が決まっていたかのように。
笑わぬ2人が笑顔を見せ合うように。
書き直した肖像画も完成まで一筆。が、それは、2人の別れを意味していた…。
時は18世紀。今と違ってLGBTに理解など無かった時代。
決して結ばれる事の無い女性2人の情愛を、監督セリーヌ・シアマと主演のノエミ・メルラン&アデル・エネルが思い入れたっぷりに体現。
前述したが、静かながら、内に秘めた想いは、燃ゆる炎の如く激しく。
まるで絵画のような映像! 美しい島の風景、香り立つ官能の匂い、赤や緑など色を強調した衣装、島の女たちの歌は力強く印象残り、ヴィヴァルディのクラシック名曲が2人の愛の感情を高め、マリアンヌが時折幻想で見る白いローブ姿のエロイーズは神々しくも。
全てが緻密に作られ、監督セリーヌ・シアマの類い稀な才覚を感じた。
本作は単なる芸術作品ではない気がした。
セリーヌ・シアマが世界中の女性や愛へ想いを込めて。
ラスト、マリアンヌは2度エロイーズと“再会”する。最初の“再会”は意表を突く形だが、“28ページ”が2人の愛を繋ぐ。
そして、最後の“再会”。切ない。あの時代、ああする事しか出来なかった。
エロイーズ役のアデル・エネルと監督のセリーヌ・シアマは元パートナー。そう思うとエロイーズを捉えた視線(=映像)、あのラストなど意味深で感慨深いが、何も個人的感情だけではないだろう。
今は全ての女性たちが自由に愛を謳える。
振り返って。
結ばれなかった人たちの為にも。