「なんという美しい映画…「見ること」⇒「愛すること」と「”映画“を観る幸せ」が等しいことを久々に教えてくれて感動…」燃ゆる女の肖像 もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
なんという美しい映画…「見ること」⇒「愛すること」と「”映画“を観る幸せ」が等しいことを久々に教えてくれて感動…
①ほぼ冒頭にチラッとだけ見える“絵”が凄く良さげ…生徒が問う『先生、あれは何という絵ですか?』『「燃ゆる女の肖像」というの…』あの絵を映画の中でもっとじっくり見れるのか…見たい…ここで映画に鷲掴みにされる…掴みはバッチリ。②マリアンヌが最初に完成した肖像画をワヤにするくだりが秀逸。本来であれば依頼主の母親に見せて「良くできてるわ」「どうも」「はい、お代金」「さようなら」で終わるところを、「お願いがあります。真実を告げて彼女に最初に見てもらいたいんです」と言ったマリアンヌの真意はどこにあったのか?もうこの時点でアリアンヌはエロイーズに惹かれていたと思うのだが…そして、真実を告げられ肖像画を見せられたエロイーズの台詞が意味深。「この絵は私ではないわ」そのつぎの台詞が良い…「あなたでもないわ」…これはエロイーズからマリアンヌへの如何なるメッセージか…アリアンヌは『心外です』と涙ぐむ。画家としてのプライドを傷つけられたせいか、それとも『貴女は私の中身をちゃんと見てくれていない』というエロイーズの愛のメッセージと気付いたからか…或いは期待していた通りのことを言ってくれたからか…ここまでのお互いの気持ちの探りあいから目が離せない。③肖像画を描かれるのをあんなに嫌っていたエロイーズが自分からモデルを買ってでる。マリアンヌと離れたくない、という宣言である。ここから二人の愛は第二幕を迎える。④年上(と思いますが)であり職業婦人でもあり男性との恋愛経験もあれば堕胎の経験もあるマリアンヌだが、なぜかこの恋愛においては新たな段階に進むのをリードするのはエロイーズの方だ。マリアンヌがエロイーズの表情の癖を列挙し(愛の告白にもなっている)エロイーズに『良く見ているのね』と問われ『観察者ですものと』答えたマリアンヌに対して放つエロイーズの一言『貴女は私を見ている。では私は(誰を見ていると思う)?』。この一言で「見られる者」は同時に「見ている者」となるという当たり前と言われればそれまでだが、映画を観ているものとしてはコペルニクス的な発想の転換。二人の関係は拮抗する。⑤母親が帰ってくるまでを二人きりにせずに(堕胎を控える?)ソフィーをクッションに入れる脚本が上手い。二人だけなら、愛し合いながらも、それ以外の感情もぶつけ合って結構キツイものになっだろう。ソフィーが貴婦人の様に刺繍をし、エロイーズが召し使いに扮する三人のシーンは微笑ましい。そしてここで新しいモチーフ=オルフェが出てくる。我が国のイナザキノミコト・イザナミノミコトほどエグくはないが、せっかく黄泉の国から戻れるはずが男が戒めを破ったため永遠に離ればなれになるところは同じ。普通男の方が責められる解釈が多いこのお話、ここでもエロイーズが思いもせぬことを言う、『女の方から(振り返るように)声をかけたのかも…』。この台詞は二人の別れのシーンを印象的なものとする…エロイーズは別れのシーンを想定してあのようなことを言ったのだろうか…⑥冒頭の絵は結局映画の中では二度と出てこない。だがマリアンヌがあの絵の元としたシーンが鮮烈。女たちだけの祭りの中、焚き火の向こうに立つエロイーズが歩みだしたとき、ドレスの裾に火が…この時を界に二人の情念に火が着く象徴的なシーン…⑦女性版「Call Me By Your Name」と言えないことはない。ラスト、暖炉の炎を見つめながら結ばれない恋に涙するエリオのclose up、結ばれなかった恋に涙するエロイーズの横顔のclose shot。よく似ている。ただ、エリオの場合、オリヴァーは電話の向こう、別の大陸にいる(同じ体験をしたのでエリオの気持ちはよくわかるのだ)のに比べ、エロイーズは顔を横に向ければマリアンヌの顔が見れる、視線も合わせられるかも知れないところにいる。それでいながら涙を流しまた微笑みながらも一度もマリアンヌを見なかった姿に愛の強さを感じた。私には出来そうもない…⑧初めはブー垂れ娘だったのが恋を知ってみるみる魅力的な女性になったエロイーズの姿も特筆もの。⑨この映画の全体に配されているシンボリズム・サイン・モットーについてはいくらでも語れそう。ただ、美しい映像や愛の物語だけではないこの映画のスピリットを、♯Me too movement が根付かない日本でどれだけ理解されるだろうか…