劇場公開日 2022年4月23日

「最初の娘」アトランティックス つとみさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5最初の娘

2025年5月4日
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鑑賞方法:VOD

ファンタジー・ラブストーリーの皮を被った社会派映画である。ゴリゴリの社会派と言っても過言じゃないくらいだ。
最近気づいたのだが、恋愛映画には多かれ少なかれ社会派の側面がある。身分違いの恋、社会派ですね~。男同士・女同士の恋、社会派ですよね~。
もちろん、設定は世界情勢やその時その場所の規範に沿っていても、それはただのスパイス程度って映画の方が多いのだが、要は観る側の問題意識、私の気持ちが「社会派」に寄っているということの方が大きいことは承知しているが。

主人公・エイダは親の決めた結婚相手・オマールとの結婚を10日後に控えているが、本当に愛しているのは建設現場で働くスレイマンだ。
スレイマンの勤め先では3か月も給料が未払で、社長は話し合いにも出てこない。スレイマンをはじめとする若い労働者たちは稼ぎ先を求め、船でスペインを目指すことになる。エイダに別れも告げられないまま…。

意気上がってトラックの荷台で歌い、大騒ぎの仲間たちの中で、1人スレイマンだけが浮かない顔で座り込んでいるのが印象的だ。

エイダがスレイマンを愛していることは明白だが、それ以上に社会の「幸せの基準」に違和感を感じていることが感じられる。
女の子たちは口々に、オマールを愛する必要はないことや、結婚を断ったら親とも絶縁することを挙げてエイダを説得する。何なら自分がエイダの代わりになりたい、とも。
「良い暮らし」という誘惑と「家族を失う」という脅しが混在し、エイダの人生の決定権をエイダ自身から奪おうとしている。そのことをエイダは一番拒否しているのだ。

この後、予想もしてなかったファンタジックでややホラーな展開に突入していくのだが、それ以上に私を戦慄させたのはエイダを待ち受ける「グロい」仕打ちである。
映像的には全くグロくない。だが、精神的にダメージを感じる。新婚夫婦の寝室も、病院で受けさせられる検査も、花嫁が完全にモノとして扱われるグロさを内包する。
最も堪えるのはそれが「当然」で、エイダ以外の誰も彼もが何の疑問も不快感も持っていないことだ。

その国の価値観や、「それが幸せ」と思っている人々にとやかく言う気はない。ただ、「それは嫌だ」と思っている人は別の道を選べる安全性が必要だと思う。つまり、「スレイマンと一緒になりたいの」とエイダが選ぶなら、「良いんじゃないの」と周囲が受け入れる世界であって欲しい、それだけのことだ。

思うに、「家族の繁栄」とか「より強い男とつがえ」という規範は生物の初期的な欲望だ。思想を持ち、生物の鎖としてではなく「今、自分が生きているということ」に意味と思考を持つようになった人間が「自分自身に対する決定権」を持ちたいと願うのは、人間が人間であることの証左に他ならない。

「エイダ」という名前には最初の娘、という意味があるらしい。強い男と愛がなくても結婚し、家族を繁栄させるならわしの中で、自分で自分の生き方を決めようとするエイダは、まさに「最初の娘」に相応しい。

この映画のサブ的なメッセージとして、「セネガルって知ってますか?」という問いかけもあるように思う。そのメッセージに対して、セネガルについて色んなことを調べた私のことを鑑みると、作品の目論見は成功してると言えるだろう。
社会を見つめ直す眼を持ちながら、幻想的なラブストーリーとして物語をまとめ、映画の中に「今、自分が感じたこと」を許す意欲作である。

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つとみ