劇場公開日 2020年6月12日

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「素地」その手に触れるまで andhyphenさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0素地

2020年6月17日
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鑑賞方法:映画館

2019年カンヌ国際映画祭監督賞受賞作。
ダルデンヌ兄弟はカンヌのコンペに実に8回選出され、パルムドール2回、グランプリ1回、脚本賞1回、そして今回の監督賞である。驚異だ。
原題は "Le Jeune Ahmed"、即ち「若いアメッド」。若さ故の純真さと狂気を示す簡潔なタイトルである。邦題も物語の芯を捉えてはいるのだが、若干ハードフル感がある。しかしこの物語にハートフル要素はない。
ダルデンヌ兄弟は、「若いアメッド」を執拗に追いつつ、肩入れするでもなく、かといって否定するでもなく、ある意味平坦に映し出す。子どもの純真さは、ときに手に負えないものだ。そして大人が思うよりずっとずっと強固だ。恐らくその考えを与えた大人より。
大人から見るとアメッドは「宗教という名の迷信に縛られた少年」に見える。宗教に全てを委ね一切の弛緩を許さない。他の宗教は敵、融和は背教。大変分かりやすい。
要するにこの世の複雑さを受け入れられないのである。彼が特別なのではなく、恐らくこうなる可能性は誰でも秘めている。
そしてその強固な信念は、誰が何を差し出しても変わらないという現実。対話も、仕事も、運動も、交流も全て彼を変えない。いや、少し揺らしはするのだが、結局そこから自分の「現実」に戻ってしまう。
それだからこそ、あのラストは考えこんでしまう。完全な無力に直面したときに思考が変わるのか...そもそも、恐らく「若いアメッド」は自身が「聖戦」を為したあとにどうなるかの発想が徹底的に薄いのである。最初からそうだ。それが恐らく彼の幼さでもある。そして、ラストは彼を否応なく「聖戦の先」のある可能性に直面させている。彼は気づけたのだろうか?それは映画では完全に示されない。全ては観た者に委ねられる。
彼がなぜここまで強固な信念を得るに至ったかは描かれない。描かれるのは全て狂信的になったあとのアメッドであり、彼の過去や周囲は断片的にしか示されない。そこがまた考えさせられるところでもある。その背景を描かずに「若いアメッド」の動きをひたすらに捉えることがダルデンヌ兄弟のメッセージのようにも思える。考える素地。遠くない問題。

andhyphen