劇場公開日 2020年6月5日

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「☆☆☆★★★ ※ 観客5〜6名? 前回、映画館へ行ったのが(202...」デッド・ドント・ダイ 松井の天井直撃ホームランさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5☆☆☆★★★ ※ 観客5〜6名? 前回、映画館へ行ったのが(202...

2024年3月9日
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☆☆☆★★★

※ 観客5〜6名?

前回、映画館へ行ったのが(2020年)4月5日

そして今日は6月5日

あれから2カ月。早いところでは既に映画館は再開してはいたものの、こちらの都合であったり。観たい作品との関係で…と言った理由から、やっと今日になって映画館通いが出来る様になった。
直前までバタバタしていて、「果たして今日行けるのか?」との思いも感じつつ。結局は、当初の予定通りに『デット・ドント・ダイ』

本来ならば、コロナ騒動の中。先行上映で観る予定だった。
ジム・ジャームッシュが描くゾンビ映画。
どうやら評価としてはイマイチらしい。

「本当に大丈夫なのか?」

そんな不安を感じながら、2カ月ぶりに映画館へと向かう。

TOHOシネマズ流山は利用客数を考えるとロビーは広く、(休憩として)座る椅子にも事欠かない。
しかし、ロビーには椅子1つ無く。ただガラ〜んとしており。思わずそこだけ見ると、、、

「夜逃げでもしたのか?」

…と感じる程に寂しい館内だった。
時間ギリギリに駆け込む感じだったので、確認はしなかったのだけれども。おそらくコンセッションでの食べ物の販売もしていなかったと思う。

まだまだ本来の映画館の風景には程遠い雰囲気。
チケットを買って館内へ入ろうとしたら入口で呼び止められた。

「お客様、検温をお願いします」

一瞬、何の事か分からず驚いたが。すぐ横にあった機械(携帯電話程の大きさ)のモニターには、直ぐに体温の数値が現れる仕組み。
これなら安心だし。モニターを活用すれば、安全面での機能も(いずれは)発揮出来る可能性は高い。

反面で、いつでもどこでも監視されている様でもあり。ほんの少しだけだけども《居心地の悪さ》を経験する羽目に。

この2カ月間でネットを通じ、新作ですら直ぐに観れてしまうシステムは、完全に確立してしまった以上。高いリスクを冒してまで、これまで通りに映画館にお客さんが戻って来るのかどうか…。

入口から客席までの短時間の中で、あれこれと考えながら、席に着席へと相成った次第。

それにしても、只でさえ(今はまだ空いているが、今後ヒットが見込まれるディズニー作品等の場合)お客さんを捌くのが大変なのに。入れ替えの前後には、長時間に渡り入念な消毒や清掃を行わなけばならないのを考えると、従業員の方の苦労は察するに余りある。

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何やらダラダラと書きなぐり、取り留めの無い文章から始めましたが。将来的には、この日が有った(やっと来た)とゆう。記憶が曖昧では無く、しっかりと記録する意味で、自分にはどうしても必要なのです。

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さてさて、ジャームッシュの描くゾンビ映画の世界は、やはりどこかすっとぼけている。
ただ残念ながら、ジャームッシュも最早初老のおじいちゃんに仲間入りをした世代。

ここ何年間で製作されたゾンビ映画が『新感染』の様に、優れたハイスピード感満載な作品であったり。低予算ながら、アッと驚く仕掛けで。コメディーゾンビ映画として突如飛び出して来た『カメラを止めるな!』の様に。単なるゾンビ映画以外の要素を求める人が多い現在。このジャームッシュ独特の、ゆったりとした雰囲気では、やはり賛否が分かれてしまうのだろう…と、多少は感じながらの鑑賞でした。
初期のジャームッシュ作品には、オフビート感が満載で。尚且つ、才気煥発に溢れていただけに…と。

…等と、少し貶しかけつつも、正直に言うと…。

予想していたよりは、そこそこ面白かったなあ〜と。

無茶を承知で言えば、これはジム・ジャームッシュが描いた『宇宙戦争』の世界。

勿論、内容は全く違うし。大体に於いて、作品の規模はスピルバーグが作る作品とは比べるモノには到底ならない。
ジャームッシュはジャームッシュらしく、未来社会を描く事に興味が有ったのだろう。

アメリカの極々普通の田舎町。普段から何の事件も起こらず、住民もゆっくりとした生活を営んでいる。
でも、そんな田舎町にさえ、世界の終焉は少しずつ迫っている。

アメリカの田舎町を描きながらも、ここにはアメリカが抱える縮図が隠れていた。
登場人物の1人であるスティーブ・ブシュミの被る帽子には差別用語が。
彼は根っからの差別主義でもなさそうなのだが時々、何気なく言ってしまう言葉には、どうしても差別用語を用いてしまう様だ。(画面には出て来ないが)愛犬の名前にラムズフェルドを使用してしまうのが、その証拠でもあるのだろう。

更に追加すると、学校に通う黒人の子供は「ジェロニモ」と呼ばれている。
勿論、《ジェロニモ》の意味には。【先住民】とゆう差別用語が潜んでいるのは間違いない。

前半から執拗に「何かいつもと違う!」と台詞で言わせ。「何かが起きそう!」と期待感を煽る。
そこへ何やら、妖しげなキルビル風のいでたちを想起させる葬儀屋の女の意義は?

やがて訪れる惨劇の数々。

ゾンビ映画オタクの少年が語るゾンビ映画の定義から、登場人物達が即座にゾンビ退治レベルがドンドンと上がる等。全く持っていい加減の極みなのだが、所詮はゾンビ映画(褒めてます)なのだから。このくらいのいい加減さで良いと思う。

それなのに、嗚呼それなのにジャームッシュ!
何故突然にゾンビが土の中から復活し、人間を襲うのか?しっかりと映画の中でその理由を描こうとしてしまっているのが、果たしてどうだったのだろうか?

その理由は(おそらく)一大プロジェクトの工事による時間軸の歪み。
これこそがゾンビ復活の最大の要因になる訳だが。(これもおそらくなのだけど)ジャームッシュは、今のアメリカ社会が抱えている問題を、密かに作品の中に忍ばせ様とした…とは言えないだろうか?

映画の中で登場する日本車は、燃費に優れた車だったのは明らかだった。
大体アダム・ドライバーの愛車は、もの凄く小さく(電気自動車か?)小回りに長けていた。
その時に問題になっていたであろうエネルギー問題の解決には不可欠な車。
ゾンビが、復活した車で意味深に登場し。大活躍するかも知れない…と観客に思わせる、都会からやって来た若い男女の三人組。
彼等の乗って来た車が全時代的で、ガソリンを大量に必要とするクラシックカーだと言う対比が、実に意味深なのは狙っての事だと思う。

だがその対比であり、《ジェロニモ》と呼ばれる子供達はどうなったのか?
更にもっと細かく考えると。配達人の語った謎の蘊蓄の言葉は、最後まで活かされず…と。
どこか中途半端なままで、回収されずに終わっているエピソードもある為に。どうしても肩透かし感を感じてしまうのは、否めないのだと思う。

逃げ惑う蟻の行動に、何かを察知して飛び交うカラスの象徴的な映像の挿入を挟みながらも。アダム・ドライバーが「台本にあった!」と言う、まるで【楽屋落ち】の「最悪な結末」が多用され。題名の基になったカントリーソングが、何度も象徴的に使用される等。
真面目なのか?それとも不真面目なのか?も、観客を戸惑わせる要因になっていた。

ジャームッシュ映画の常連ビル・マーレイが、過去に出演していたゾンビ映画との違い。

ビル・マーレイとアダム・ドライバーのこのコンビ。

この2人が画面に登場しては取り留めの無い会話をするこのリズム感。

これにダニー・クローバーが加わっての、すっとぼけた会話の場面は最高だったものの。最初の惨劇以降は、(ジャームッシュお得意の)いい加減感が薄れてしまった感じでもあり…。

惨劇の取っ掛かりとなる《コーヒーゾンビ》の、コンビによるコーヒーの関連性等。
ジャームッシュが過去に撮った作品に対する自身のパロディーを狙っている可能性もあるにはあるんですが…。

人の良いあんちゃんだったアダム・ドライバーが。ゾンビの首を跳ねては。少しずつゲームを楽しんでいるかの様に振る舞い。ドンドンと暴力的にゾンビを殺して行くもちょっと…。

嗚呼!そうか!これこそは、絶賛を浴びたジャームッシュ自身が撮った前作の『パターソン』
私は良作であるのを感じながら、どこかにジャームッシュ作品としての【座り心地の悪さ】を感じ、絶賛とまで行かなかったのですが。『パターソン』が〝 ピーターソン 〟へと至る変化を描く事で。ジャームッシュ自身も、自身の作風の変化を感じ取り、(ある種の)自身の過去作品との均等性に近づけ様としたのならば、、、

…と、かなり強引に(自分の都合の良い方向性へ)このレビュー締めくくって終わろうかと思います。
まあ、、、自分のレビューの適当さは、今に始まった事でも無いですけども💧

2020年6月5日 TOHOシネマズ流山おおたかの森/スクリーン10

※ この日を境に(コロナ禍に於いての)劇場内での凡その観客数を、暫くの間レビュー内にて記していました。

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松井の天井直撃ホームラン