あのこは貴族のレビュー・感想・評価
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金持ちと貧乏の生きづらさ
閉塞感からの解放で開いた優しい世界が"繰り返す日々を過ごす我々"への賛歌に
正直言って、映画を観ているときは、ぼんやりとしか掴めていなかった。しかし、見終わった今、無性に彼女たちの背中を追いかけたくなった。そして気づいた。彼女たちが主人公の映画は、たった今始まったのだと。
何よりこの作品が素晴らしいのは、ダブルヒロインでありながら、互いから見ると、人生のひとピースに過ぎないところである。松濤に住処を構えるお嬢様の華子と、富山から上京するも大学中退を余儀なくされた苦労人の時岡美紀。青木幸一郎が唯一の接点であったはずなのに、ふたりの異なる物語が並走し、互いの人生賛歌へと昇華されていく。都会に暮らしていても、田舎から出てきても感じていたのは、狭くて身動きの取れない息苦しさと、独り立ちも許されないような環境。富山では親の仕事を次ぐ人ばかり、都会では生まれながらのレールから外れることを許されない。そんな閉塞感を否定するのではなく、彼女たちの手でユートピアを拓いていくような優しさで包み込んでゆく。都会の景色は他人事で、自分の足で立てずにいた彼女たちは、ひゅるひゅると変わっていく環境に流されてしまう。そこから自分の足で立つ方法を身に付けた時、初めて見える景色がそこに広がっている。それこそ本当の都会の景色なのではないか。門脇麦を都会のお嬢様、水原希子を田舎の苦労人として描くアンバランスさは、作品内で見事に意味を成して熟れてゆく。そこがまた深くて優しい、この作品の凄みだと思う。
彼女たちを知りたくなって、ついパンフレットも買ってしまった。この作品は、単なる女性賛歌ではない。"日々を繰り返す全ての人"に次ぐ人間賛歌なのだ。山内マリコ原作にハズレなし。さて、いつもより軽くなった足で、新宿を歩くとしよう。
日本の貴族はこの映画を見て励まされるだろう
自己完結的な作品
想定以上のもの何もなかった
キャストの演技に+0.5⭐︎
むしろ章分けからは監督のテクニック不足を感じた→まとめやすくするために文章を章ごとに書くとかってよくあるじゃないか?
形式は置いといて
いい話、素敵な話だった
ただこの映画何を強調しようとするか、観る人に何を感じて欲しいか、全く掴めなかった
自分自身がこういうのに向いてないかも
どんな出身でも、自力で目の前の生活を頑張るべきだ
ってことだろう
これだけなら十分伝わったが、これだけか?
遠回りしてる気がするけど?
そもそも監督はどんな観客を想定し、どんな感情を引き立てようとしてるだろう
傍観者としては、
貴族という全く触れることのない人間の生活は、見せ物のように新鮮に感じた
それを見ながら登場人物の感情変化を吟味する映画館の時間が、華子の注文したダージリンミルクティーのように濃厚で楽しく感じた
唯一橋で手を振ったシーンだけ良かった
が
観客としての自分自身の感情に訴えられたことが何一つもなかった
後味がほとんどないことが残念
どっかの同じような貴族が、この映画を見て励まされるといいね
ps小津好きとしては
この映画、特に第一章は小津映画の面影を持ってはいるけれど、監督さんは恐らく意識して作っているわけでもないし、そもそも話が全く違うから全然似ていないかな
深い
「見えないもの」を見せる映画
「クラス」は世の中に確かに存在する。コミュニティはそこで形成され、育ったコミュニティの中は居心地が良いけれど、別の階級との接点によって、優劣を生みやすいもの。
そうした「見えないもの」を、ごく自然に嫌味なく、それぞれのキャラクターの美しさを起点に、丁寧に表現されていた役者さんたちに脱帽です。とても静かでゆったりと時が流れる映画なのに、あっという間だし、目を離せませんでした。
物語としては、生まれた場は場として、それでも個として成長し、輝こうとするとき、ともすれば対立構造で描かれがちな「女同士」を「女同志」として成立させていたところが美しかったし、希望を感じました。
水原さんの「どこで生まれたって、最高な日もあれば悲しい日もあるよ。でも、その日あったことを喋れる人がいるだけで十分じゃない?案外そういう人に出会えることって少ないから」「(門脇さんの世界も)うちの田舎とそんなに変わらないね」というセリフ、こんな家初めてじゃない?と聞かれた門脇さんが答える「ここにあるのは、全てみきさんのものだから」この3つのセリフに全てが集約されると感じました。
(3/12追記)
小説を読んでみました。
美紀と華子が初めて引き合わされる女性3人のシーンや結婚式、離婚、一年後のシーンなど、物語の中でキーとなる部分があまり入っていなかったんだー!と驚きました。時間の都合などもあったかもしれないけれど、もしこのエッセンスが組み込まれていたら、女性たちの友情や華子の孤独感、幸一郎の人格が形成された理由、華子の解放が、違って見えたかもしれません。映画は映画として良かったです!
岨手由貴子監督恐るべし
静かながらも、心が揺れ動く特別な映画でした。
日本の女性監督で、またもや才能豊かな方が出現しましたね。
西川美和監督やタナダユキ監督、河瀬直美監督など日本映画を今や引っ張ってる存在ですが
岨手由貴子監督もその中の一員になっていくであろう存在になると今作を見て思いました。
最近の韓国映画にある女性の社会的立場の生きづらさを似た感じで描いた映画かと思いきや、そこまで女性だけにスポットを当てず
男女問わず人の人生の幸せや悲しさを上品に描いているなと思いました。
個人的に門脇麦と水原希子が初めて出会うシーンの、門脇が水原に対して若干マウントを取る感じが、意外だけどリアルでよかったです。
ラストシーンは号泣しました!
雛人形と貴族
大学の内部生と外部生、東京出身と地方出身者、タクシー移動と自転車移動、婚約者とセフレ…
対比しながら進んでいく中で共通するのは、東京のアッパー層も田舎のマイルドヤンキーも根本的には同じだということ。
本作は渋谷区松濤で生まれ育ったお嬢様の華子と地方から上京し逞しく自由に生きる美紀。同じ空の下、生まれも育ちも異なる二人が出会うことにより華子の人生が解放されていく。
▶︎東京で生きる地方出身の女性にはとくに共感されるのではないだろうか。女性だけでなく、東京で長く住んでいる人はわかりみが深い話ではないかと。
かくいう私も美紀 側の人間、東京に憧れ地方から上京した者で、これまた大学で出会った友人に広尾の豪邸で生まれ育ったお嬢様がいる。まさに彼女は貴族、これは自分の話ではないかと思ってしまうほど。
▶︎本作は人物の描写や会話、服装やバッグなどもリアル。シェラトン都ホテル東京の天井の高いラウンジでお茶をする華子たち、実際にあのようなお嬢様達がホテルのラウンジでアフタヌーンティーを楽しむ姿はよく目にする。
美紀の地元の富山での“地元あるある”もリアルすぎて思わず笑ってしまうほど。
▶︎東京の階層
東京といっても舞台は港区、中央区、渋谷区、千代田区中心に進んでいく。
ホテル椿山荘、シェラトン都ホテル東京、日本橋のマンダリンオリエンタルホテルなど優雅なシーンも多く華やかである。
美紀が劇中話すように東京は場所によって棲み分けされており、違う階級のものが出会うことはない。暗黙の了解、はっきりと分断されていて今後もその分断は続いていくのだろうか…。
▷東京でお受験を経験したことのある人ならわかる話ではあるが、有名私立幼稚園や有名私立小学校では親が東京出身(上流階級に限る)か地方出身者かでも子どもの合格率が違う。(その学校出身の親族がいるか否かで決まる)親の中でもヒエラルキーが存在するのである。
▶︎本作を通して感じる自分らしい生き方と幸せの価値観
アッパー層にはアッパー層なりの苦悩(生まれた時から決まった道、選択の自由がない)が描かれていて、幸一郎からは諦めのようなものも感じられる。
▶︎女性の中には 結婚=幸せという価値観が未だに罷り通っているが、多様な生き方が選べる今、改めて自分らしく自分の幸せを追求して生きていく幸せもある。
▶︎美紀と華子、華子の友人の逸子が会うホテルのラウンジでのシーン、逸子の言葉が個人的に刺さった、そしてこれからの女性の一番賢明な生き方ではないだろうか。
▶︎ドロドロシーンになるかと思いきや、なんとも穏やかで相手を受容するかのような対応。金持ちケンカせずって本当で、育ちの良さが現れている。好感持てるなぁ。
▶︎脚本も監督も女性の監督が手がけたからゆえに女性の視点で描いている。だからこそ女性は共感できる。爽やかで瑞々しい、秀作です!
(p_-)当たり前ほど難しい
幸せになるって事は水原希子が門脇麦に言った言葉、、、どのような階層にいようと今日の事をなんでも話ができる人がいる事なのでしょう。その何でも話しができる人って簡単にいる様で実は作ろうと意識すると作ることができない奇跡の様なものでしょう。物質的に恵まれていたり、権威や権力を持つとそれを感じにくくなるのでは?貴族でいる限りわかりづらくなるんでしょう。門脇麦と高良健吾の夫婦は貴族同士なのでとりわけすれ違いだったのでしょう。ラストシーン。門脇麦は元旦那をどう思い見つめたか?
観客に問うてます。
小生は門脇や高良の様に貴族ではなく、かと言って水原の様な頭がいい庶民でもなく、共感できる階層がなかった。このまま社会の波に呑まれそうな、いやもう呑まれている自分を考えるに少し不安を覚えたのだった。
役割を全うする素晴らしい人生!
この映画で登場する人物たちの階層は、それぞれ違うのですが、誰が偉いとか偉くないとかという古い価値観を払拭するテーマに、共感しました。つまりどんな生き方であろうと、全てが尊く光り輝いているということなのでしょう。もっと根源的に言えば、貧しく生まれたり、金持ちに生まれたりするのも、全て生まれる前から相談しあって生まれてきて、それぞれが嫉妬したり、尊敬したりしてそれぞれの役割を全うしていくのだと思います。門脇は貴族の階層に生まれていますが、貴族という言葉は死語なので、単なる小金持ちです。富山県から上京した水原は貧乏のために大学を断念します。高良は議員の家のレールを歩きます。この3者のに生き方の絡み合いが、なんと穏やかで清々しいのでしょうか。最終的には、女性たちは自分軸で生きることを模索し、高良は議員をまっとうして行きます。それぞれが、自分に与えられたこの世の役割に気づき、前を向いて歩き出すのです。そのことだけで、胸が熱くなるようなストーリー展開に感動します。この映画の中では、結婚という概念は古い価値観として描かれているようです。じんわりと感動が押し寄せてくるところが素敵な映画です。高良の雨男ぶりや、門脇と水原がオレンジのプリーツスカートを履いている演出には、不思議な暗示を感じる作品です。
小津安二郎的な佇まいの映画
声高ではない。しかし、的確な、見てる側に響くエピソードの積み重ねで、自身の常識から解き放たれて自立していく様子が、女友達を介してのことなのも魅力的。
なんといっても門脇麦のイノセントな女性像が画面での説得力を持つ。
取り立てて新しい題材ではないが、丁寧な組立で、様々な問題が見える作り。(どちらの世界も、いやなところがあるという描写が、きまじめなほど平等に描かれる。どちらも自分で歩きたい女の子には不愉快な場所)
出会うはずのないCLASSの人が出会えるのが「学校」という場所なのだけれど、それも今後はかなわぬ場所となりそうな今の日本は、果たして広い世界に気づく若い人が育つのだろうか、とふと心配になった。
#18 魚津の家の再現度が凄い⛰
ウチは魚津じゃないけど、あの富山の田舎の実家の再現度が凄かった。
転がってる一升瓶も北洋だし。
私もよく弟に魚津駅に迎えに来てもらったなあ。いつも夜だったけど。
コロナのせいでもう1年以上魚津駅からの山の風景を見てないから懐かしくてありがたかったです。
細かいこと言うなら山方面の家なら銀座商店街を通るのは不自然だよね。
肝心の映画は東京の金持ち層と、田舎から上京した一般人あるある。
確かに東京は自分と違う層の人と会わないように出来てるけど、たまに遭遇したときのビックリ感はハンパない。
松濤がご実家なんて人見たことないもん。
田舎にいても都会にいても家に縛られる人は同じって考え方が凄い。
自分の心の赴くままに自由に生きられる人はこの世には少ないんだろうか?
本物の上流階級の方々って何処に?
見るべき人のために作られていない映画
「はちどり」、「82年生まれ、キム・ジヨン」ときて出るべくして出た映画。テーマ設定だけでも褒めるだろう人だけが褒めるであろう映画だが役者がとにかく素晴らしい。が、それを収める構図が拙い。役者と原作に監督が追いついていない。
そしてなによりこういうテーマを孕む映画は「マッドマックス 怒りのデスロード」や「花束みたいな恋をした」、「ジョーカー」クラスに広まるべきとまでは言わないが、マジョリティに少しでも広まるよう本気で狙わなければただ賞レースのために社会問題を消費し、このテーマに対して元々教養や問題意識のある富裕層リベラルの内輪で再生産し続けるだけの消耗品にしかならない。この手のテーマありきで中心へ向かう意思のかけらもない映画を評価しても社会が全く良くならないことを映画における日本の評価機構はそろそろ学ぶべき。
日本はまだまだ不自由な国なのだ
女たちの群像劇である。21世紀に入っても未だに封建的な精神性が色濃く残るふたつの世界に住む若い女性たち。ひとつは名家、良家と言われる代々の大金持ちの女性たちで、もうひとつは地方都市の女性たちだ。前者を門脇麦が、後者を水原希子がそれぞれ演じる。
門脇麦は達者な女優だ。彼女が演じた役の中では尾崎将也監督の「世界は今日から君のもの」で演じた主人公小沼真実の役が一番よかったと思う。流行やパラダイムから一歩引いた役柄で、台詞が極端に少なくて、台詞よりも表情や身体の動きで気持ちを表現していた。役者にとって台詞で役を表現するのは常に難しいことだが、それ以上に難しいのは台詞なしでその役を表現することである。
本作品でも他の役者に比べると台詞は少ない方で、それだけに難しい演技が要求されたと思う。演じた主人公榛原華子という役の、如何にも良家のお嬢様といった立ち居振る舞いは、それ自体がかなりの訓練が必要だっただろうが、そういう立ち居振る舞いを自然に行ないつつも、自分を取り囲む封建的な精神性に対する違和感のようなものを抱いていて、しかしそれをなかなか言葉に出来ない華子という女性の気持ちがひしひしと伝わってきた。見事な演技である。
一方、地方出身だが東京で暮らすことで地方の封建的な精神性から一歩離れることの出来た女性を演じた水原希子は、本作品では自然体で演じているようですっと感情移入できた。特に石橋静河演じるバイオリニスト相良逸子と対峙するシーンの表情は秀逸だったと思う。緊張と弛緩、警戒と安心、共感と思いやりといった感情が、短いシーンでころころ変わるのを上手に演じている。岨手由貴子監督は女性の表情を引き出すのが上手い。
普通が一番大変だというのが前半のキーワードで、結婚相手はどんな人がいいのと聞かれた華子は普通の人と答える。それに対する姉の言葉が普通がいちばん大変なのよという言葉だ。その後は暫く、普通でない男たちが華子の相手候補として入れ代わり立ち代わり、テンポよく現れる。よくもこれほど普通でない男ばかりを描いたものだと笑った。
後半は女の幸せとは何かということを、お金の話も含めた現実的な側面も踏まえて追求しようとする。そういう中で華子は知らなかった世界と出逢い、新しい価値観を得る。箱の中のお嬢様から一歩脱却するのだ。狭苦しい場所に閉じ込められていた精神を解放して自由に生きる。ずっと俯いていた華子がやっと顔を上げて世界を見渡す。その晴れ晴れとした表情は演技派女優としての門脇麦の面目躍如である。
女性が精神的な自由を得るには女性自身も変わる必要があるという作品だが、描かれていた、女性を取り囲む封建的な精神性は、実際に2021年の現在でも存在し続けている。本作品ではそういう精神性が世襲の政治家たちとその政治家に投票する地方都市に存在していることを描くが、同じ精神性が、先日辞任した森喜朗や彼を守ろうとした二階をはじめとする政治家たちの精神性に色濃く現れていたことを思い出した。日本はまだまだ不自由な国なのだ。
自らの置かれている階層から脱すること
4年前「愚行録」を観て慶応大学の「内部・外部の現実」を知り、同じキャンパスで学ぶ学生の中でも、そういった出自にかかわることで覆せない「現実」が今日でもあることを思い出しました 本作ではそういった現実をその後の年齢・アラサーの女性の生き方として描いていました みなさんおっしゃる通り水原さんと門脇さんの配役の意外性も納得でき、これまでの水原さん門脇さんの印象を裏切る素晴らしい配役であったと思います 「寝ても覚めても」の暖かみのある山下リオさん目的で観ましたが、水原さんを支えながらも起業をして前に進もうとする姿もよくあっていました 石橋さんは「夜空はいつでも…」の鮮烈な印象以来、脇でも着実にいつも印象に残る作品を重ねられています
私も田舎で暮らす身であり、「あのような人々」とは縁のない暮らしですが、選ぶことのできない階層・出自から、自らの力で自分の可能性を切り拓くことのできる人生の可能性を、今一度原作を読んで考えてみたいと思います
蛇足ですがコロナ渦で難関大学に入っても親の仕送りが途絶え、自ら「身を削って働いて」も退学せざるを得なかった、この作品の水原さんのような境遇の方も多かったでしょうね (3年2月28日 イオンシネマ和歌山にて鑑賞)
日本には、インドみたいな「カースト制度」はないにしても、階級はあります。そのことをはっきり言う人はすくないけれど。
インドには、生まれによって身分が決まるカースト制度があります。酷い差別が残っているそうです。
日本にも、カースト制度こそありませんが、階級はあります。異なる階級間で交わることはそれほど多くはありません。
そのことをはっきり言う人は少ないけれど何故でしょうか、憲法の平等主義に反するからでしょうかね。
この映画は、異なる階級に属する女性2人の物語です。本来出会わないはずの2人が、さらなる上流階級に属する男性を介して出会い、影響を与え合います。片方はその後、自ら前向きに動くことを選びます。
階級社会の打破!とか仰々しいことは起こらず、身近なところに変化が現れるだけです。
頑張ろうする女性をちょっとだけ勇気づける作品と言えるでしょうね。
階級をテーマにした作品は一般受けしないためか、客入りは良くありませんでした。出来は悪くないと思いますが早めに上映終了となりそうなので、興味のある人は早めに劇場へどうぞ。
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