「貴族はほんのひと握り。そこに愛はあるんか。」あのこは貴族 movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
貴族はほんのひと握り。そこに愛はあるんか。
いるいるこういう内部生。
えてして受験組の方が賢く、勉強と無縁の脳内ながら、家柄だけは良く、タチの悪い遊びだけは覚え、親の手伝いをして議員になる。
いるいるこういう上京組。
生きていくのに必死な様子もあるけれど、
必死に東京に馴染むよう努力している。
背伸びがあざとくがめつくさもしく見える時もあれば、たくましく見える時もある。
いるいるこういうお嬢。
お嬢とされる中でも家柄が良すぎて、相当な世間知らず。俯瞰で立ち位置を見極める力がなく、
どこにいってもおっとりぼんやり。
婚活で本当に見合うお育ちの方と出会えず、絶対に生活水準が違う層に出会いを頼んだりする。
どれも身近にいた。
どれも生きづらさがあるだろうと思う。
私含め世の大半はどれでもないから。
華子ほどのお嬢は、世に言うお嬢様扱いされる生い立ちの中でも、ほんのごくごくひと握り。
日本に〇〇家は限られるので、家柄同士で選ぼうにも母数が少ないから、大変そうだと思う。
大抵は、現代の日本人女子は生い立ちの経済力に関わらず、逸子タイプか美紀タイプ。
仕事をして自立していないと、日本人未婚男性の結婚対象としてはおろか、日本経済にとってもお荷物な風潮。また、富裕層の既婚妻でも、職を持ってないのは作中に出てくる階級という表現では下の方だと思う。働かずともお金が回る仕組みを女も持っていてこそ、富裕層出身女性らしいとなるのが現代よ。
ゆとりある家庭の子は頭が良く、手放す必要のない仕事に就き、家庭と仕事を両方持ち、臨機応変に華子のような振る舞いもできるが、中身は同世代男性顔負けで、毒舌。これが現代のリアルよ。
なので、作中の、家事手伝いなど死語で非現実的に思えるが、逸子の言う見えない階級は確かに存在する。
ダージリンやアールグレイを飲み慣れている層もいれば、マウントレーニア片手に仕事する層もいる。
どの層にいても、どんな事情でも、
泣きたい日も嬉しい日もあるし、
その日あったなにげないことを話せる人が誰でも良いからいれば上出来という美紀の言葉はその通りだと思う。
そして、どの階級でも自立力が問われる。
富裕層に生まれ家系に囚われる人生でよく似た生い立ちで性格も合う人を見つけるよりも、上京の孤独を分かち合える同郷の友を見つける方が確率的には簡単だろうなと想像するが。
でも色んなことをひっくるめて、昔からの女友達は楽。そういう関係性を求めた時に、階級を超えて見つけることは本当に難しい。
それが改めて映像化されている作品。
飲むお茶、お茶にかけるお金、行くお店、買うお肉、出会うところ、全てが異なるから。
結婚も、出会いの形だけ本人が模索する形式なだけで、もともと恋愛結婚ではないのだから、婚約に結婚にと進んでも幸一郎も華子もまっったく嬉しくなさそうで。その隙間隙間でわずかな愛が芽生えれば良かったのだが、同じ富裕層の中でも幸一郎と華子は階級が異なり、言い合える関係性にはなれない仕組みだから、やはり合わないんだなぁこれが。
頑張って稼いで背伸びしても、埋まらない違いは根底からあって、その階級差は下から上を見ると同じに見えるが、上の中でも細かくある。
青木>>華子>=逸子>>>>里英>=美紀
水原希子扮する美紀が、流れを掻き回さない、わきまえた良い子だから成立している話で、この子の味わった惨めと孤独とそれを乗り越える根性と生命力たるや凄まじい。それでも決してそれを人に言わず言動を荒らさないのが、実に富山県民のイメージそのものな気がする。猛勉強して慶應に入れたならキャバ嬢の世界でもアホくさい思いを沢山しただろうし、なんの苦労もなく何の見栄でもなく当然のように無職でエルメスを提げる人達の前では、美紀のヴィヴィアンやカルティエのバッグも虚しく見える。
門脇麦には、存在感が強く肝の据わったイメージがあり、この陰鬱とぼうっとした華子役は顔立ちの華やかさで決まったのかな?抑えた演技がストレスでないのかな?と思いながらも。
違和感を感じているが出さない感じが逆にリアルで上手だなと感じた。芸能界の女優さんで、お嬢様はほぼ見た事がないし、いても芸能界に入るほど奔放なお嬢様なので、自分の人生を自分で決める本物お嬢様の物申すタイプが多い。だからこの役をこなせる方は限られる中で、この女優さん本人の生い立ちは?
と気にならせないのは門脇麦さんが演じたからだと思う。上京組でもたくましい生立ちでもないからこそできる役。
石橋静河は初期の役に意地悪なものがありその印象が強かったのだが、最近はどの役で見ても素敵。
自立しながらも誰かのためにひと肌脱ぐが姉御でもガサツでもなく、落ち着いた役がとても似合う。
作中で楽器を引く姿がとても美しく、姿勢の良さが際立っていた。
高良健吾には、役の設定からして海運王の慶應出?そんな男性で、敷かれたレールの結婚という肩書き目的の女性だけで満足するはずがない。そんな人いないってと最初からわかりやすい。田舎ヤンキーも飲んだくれも浮気性もできる俳優さんでそちらが実に近いのではと思うがこの役ではそれらは封印させられている。
ただただ、本音を出さない関係性でも垣間見える、真を見つめない冷たさが伺える。