「環境の呪縛への気付きと、一歩外へ踏み出す勇気」あのこは貴族 ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
環境の呪縛への気付きと、一歩外へ踏み出す勇気
貴族とは誇張した表現かと思いきや、ヒロインの華子は割と掛け値なしの現代貴族。
松濤の令嬢華子と富山から進学で上京した美紀それぞれの数年間の人生、二人の邂逅とその後が、5章に分けて描かれる。
ヒロイン二人の出会いは束の間で、一緒に行動して何かを成すわけではないが、ひと時の会話が華子の自我の目覚めを誘う。
深窓の令嬢だろうが苦学生だろうが、人生の岐路で惑い、悩むことはある。そんな時に幸せに繋がる決断をし自尊心を取り戻すには、環境の枷に惑わされず自分の心に向き合い、自身の足で前に踏み出すしかない。そんな主題が、分かりやす過ぎるほど対照的な二人の人生のコントラストと共に描かれる。
全体にヒロイン二人の心の動きがとても細やかに描かれている。都心での華子の移動手段が、そのまま彼女の心の状態を表しているのが印象的だ。
環境因子も取り除いて自分の素直な気持ちを見つめ、守って生きることの難しさと大切さ。日々ありのままの気持ちを話せる相手の得難さ、そんな誰かがいることの幸せ。
そんなメッセージを感じ取った。
華子の結婚相手探しを端緒として、冒頭から上流家庭の特殊な息苦しさについての描写が続く。結婚することも結婚にあたり仕事を辞めるのも、一族郎党が肩書きだけで中身のない見合い相手を連れてくるのも当たり前。
華子自身も一応ちょっとした試行錯誤をするが、閉じられた世界の外側には到底手が届かないし、耐性もない。かといって姉達のように上手いこと環境を受け入れて立ち回ることも出来ない。
見ていて何だかきついなと思ったところに婚約者幸一郎の雲上一族が登場し、家制度の化石の描写でお腹一杯になり苦しくなった。
美紀の章では、受験で慶応大学に入った彼女が目の当たりにする内部生との経済的格差が描かれ、息苦しい世界の外面の華やかさと、階級間の絶望的な線引きを見せられる。一方、美紀の故郷富山の、既視感あふれる田舎の情景で少しほっとする。
ラストで解放のカタルシスがあるのかな?スカッと明るく終わるかな?と期待をし過ぎたせいか、終盤は随分大人しめという印象。格差と上流社会の閉塞感のインパクトが強すぎて、ささやか(本人にとっては一大事だが)で静かな解放シークエンスだけでは拭いきれない胸苦しさが残った。
また、一部心情描写に違和感を覚えたシーンもあった。二人が初めて出会った場面だ。
とある不穏な展開をきっかけに、華子の友人逸子が二人を引き合わせる。
流れから考えて普通は険悪になりそうな局面だ。華子はお嬢様だから泰然としていたとも考えられるが、美紀もニコニコしながら即座に引き下がり、しゃんしゃんと話が進む。台詞で説明があるので頭では理解したが、感覚的には???という感じだった。
そもそも、美紀を呼び出しておきながら説教するでもなく、ふんわりしたことを言い始める友人逸子が一番よく分からない。
作品のテーマの都合で女性同士の諍いを描きたくないのは分かるが、それなら他にやりようがある気もした。
婚約者の幸一郎が、問題がある割にさほど因果応報な目に合わないのももやもやポイント。
これは勝手な妄想だが、この作品は後から登場する美紀を筆頭の主人公と思って観るのが、後味がよくなるという意味では正解なのかもしれない。
彼女の方が環境設定が身近だし、半生の起承転結がきちんとあり、気持ちの揺らぎや決心も描かれている。華子に着目していると、本人の意志が希薄な一方で環境のインパクトが強くて疲労する。
華子がタクシーから降りて自分で足跡を刻む物語は、ラスト近くでやっときざしたばかり。彼女の歩みのドラマは作品を越えた先で始まるのだろう。