劇場公開日 2019年6月29日

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「文学作品」ペトラは静かに対峙する R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 文学作品

2025年9月18日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

ペトラは静かに対峙する

2019年スペインの作品
原題名が「ペトラ」であるのに対し、「静かに対峙する」という邦題を付けた理由は、この作品がペトラの内面を描いていることを明確にしたうえで視聴してほしかったからだろうか。
この作品には確かに物語性が存在する。
しかし、純文学でも通用する。
日本における芥川賞と直木賞同時受賞作のようだ。
そしてこれはスペイン版の因果応報を描いていたのだろうか?
加えて、この作品を第1章から第7章までを小説のように区切り、この章をバラバラにして映像として提供している。
あまり一般的ではないこれらの手法の是非
一昔前では過去と現在を混同させて描くのは一般的だったが、最近ではそんなトリックはややこしいだけで面白さに欠けるとされてきた。
それなのになぜ、このように章をバラバラにして提供したのだろう?
この物語は物語性があるものの、派手さは控えめだ。
ペトラが創作活動としてやってきた本当の理由 彼女の過去
これらを先に出してしまえば物語が単調になるからだろう。
しかしこれは原作が脚本なので、そこはもう少し工夫してほしかった。
さて、
邦題に従ってペトラの内面を見ていきたい。
この作品の主な舞台は家の中と野山だが、家の中のシーンは独特で、誰かが隣の部屋を覗くようなカットが至る所に見られる。
それは伏線ではなく、まるで真実が別の場所にあるかのようでもあり、ペトラの本心が別のところにあるかのようでもある。
しかしそのシーンで描かれるのは他愛もないことで、それらのカットの意味はわからない。
ペトラはどうしても自分の父が誰なのかを知りたかった。
一番可能性の高かったのがジャウメだったが、彼はきっぱりと否定した。
ペトラの内面は、創作活動によって表現されていた。
大きなキャンバスに男性の顔を描こうとしたが、おそらく「顔」そのものを想像できなかったのだろう。
つまりペトラの中の父親を、彼女はどうしても描けなかった。
彼女はそれ以降自分自身を絵の題材にした。
それは悪くはないものだったが、ジャウメによって「自己セラピーのための絵」と酷評される。
この言葉はペトラの創作意欲を削ぎ落していったのだろう。
父かもしれない男の酷評は、父ではないものの偉大な芸術家の言葉であったのは間違いない。
その彼に「大成しない」ときっぱりと言われたのだ。
しかし同時にペトラはジャウメの息子ルカスと恋をする。
この間に一つの出来事が起きた。
それが使用人テレサの自殺
彼女は無職の息子のことを心配していた。
夫のファンフォは、ルカスに頼み込んでジャウメの下で働かせてほしいと懇願した。
ジャウメは直接テレサと会って話すと言ったが、テレサと寝て、この事実は約束通りファンフォには言わないが息子のパウには言うと言ったのだ。
さて、、
ジャウメという男
芸術とは嘘がないことだと思うが、おそらく彼の作品は一切の妥協がないことから、嘘はないのだろう。
しかしその人間性は決して良いとは言えない。
「息子にこのことを言う」と言った理由は、息子の目を覚ますため。
しかしそれ以前にジャウメには人間性と言えるものは無いように感じる。
彼はそれをギブアンドテイクと言ったが、つまり「対価」に加え「弱み」を握ったということだろうか。
ここだけ取れば「中共」と同じだ。
この思考は人を不幸にする。
ジャウメはペトラに、「私はどんな人間だと思うか?」と質問する。
彼が最も嫌いなものが「被害者意識」で、ルカスのこと。
彼は他人からどう見られているのか気になったのだろうか?
気にしているふりをしてみたというのが正解だろうか。
大金持ちで偉大な芸術家と称賛されているジャウメ
彼の本当の顔は、他人を見下し、冷酷で憐れみを持たないが、彫刻でも絵画でもその一瞬を表現する能力に長けているのだろう。
その一瞬は人々に感動を与えるが、その前後にあるのは失われた人間性。
しかし妻マリサは、夫の芸術を「嘘」だと切り捨てた。
それは、人間性とは切り取られた一瞬ではないことを意味しているのだろう。
妻への関心は薄く、息子にはダメ出ししかしない。
考えているのは芸術を使った金儲け。
マリサはペトラに告白した。
ルカスはジャウメの本当の子ではない。
この告白に、ペトラには思うことがたくさんあっただろう。
自身が父が誰かを求め続け、それが絵となり心の表現となっていた。
しかしその父という人物はまるで人間性のない男だった。
このことがペトラの創作意欲を一気に削いだのだろう。
素晴らしいと感動した彼の芸術は、実は虚無で、他人の作品にダメだしする行為は、他人に心の中を土足で歩くことと同じだと感じた。
ジャウメの言う芸術が「本物」であるならば、そんな世界には居たくない。
そうしてルカスと引っ越した。
そしてわからないのが、ジャウメがペトラを呼び出し、「本当は、お前は私の子だ」といったこと。
この事実は、兄妹同士の結婚と近親相姦、そして娘の成長におけるリスクを孕んでいた。
ペトラにとって受け入れられないこと。
そしてその後、ペトラとルカスはこの問題について話し合う機会さえなかった。
なぜなら、翌日、ルカスの家にジャウメが訪ねてきたからだ。
「お前の偽りの幸せを壊すために黙っていた」 この言葉
ルカスが自殺したのは、猟銃を構えながら、結局父を殺せなかったということで、父がルカスに言い続けた言葉通りに、「軟弱」な自分を思い知ったからだろう。
父という大いなる虚像
ルカスがなぜ自殺したのか?
ペトラは当然家に彼が来たことを推測した。
破壊と創造
ジャウメの中に宿る破壊という名の創造
これが彼の「芸術」なのだろう。
破壊という場所にいなければ、そこから何を創造していいのかわからなくなる。
だからジャウメは人々の心までも容赦なく破壊する。
それが彼の芸術
この物語には、テレサの葬儀だけが描かれている。
ペトラの母、ルカス、ジャウメの葬儀は描かれてない。
それは、因果の終わりを象徴しているのかもしれない。
ペトラの母、ルカス、ジャウメの死は因果の連鎖で、この部分にペトラの認識の変化、つまり「対峙」があるのだろう。
そして、
ペトラは長い時間をかけて人の心と寄り添い方を思案した。
孫に会いたかったマリサの想いに寄り添った。
この人間性こそ、下らない因果を終わらせるただ一つの方法なのだろう。
永いペトラの対峙とその答え。
また、
この物語の大どんでん返し
パウが猟銃でジャウメを射殺したこと。
おそらくジャウメは、その言葉通りテレサとの関係をパウに話したのだろう。
パウはその機会を待ち続けていた
母の死とジャウメの告白によって、パウの中に芽生えた復讐心
因果応報
破壊から生まれる創造と、もう一つの「真実」
なかなか文学的な作品だった。

R41