イップ・マン 完結のレビュー・感想・評価
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【真の武術家は礼節を知る。1950年当時の様々な米中摩擦、移民問題を物語に絡ませつつ、迫力ある数々の格闘シーンに魅了された作品。】
ー実在した中国拳法の達人、葉問を主人公にしたシリーズ最終章・・・。-
癌を告知されたイップマン(ドニー・イェン)は、息子をアメリカに留学させるため、香港からサンフランシスコの中国人街に向かう。
が、そこには移民を蔑視する海兵隊軍曹バートン(スコット・アトキンス)が得意の空手で、中国武術家の一掃を図っていた。次々にバートン等に倒されていく武術家達。
イップマンは中国武術の威信をかけ、バートンとの最後の闘いに臨む・・。
■バートンとの死闘で、バートンが醜い人種差別の言葉を吐くシーン・・。彼は空手家としての力量はあるが、唾棄すべきレイシストである。イップマンが勝利した時の米兵達(特に有色人種達)からの拍手が、沁みた。
〈迫力溢れる数々の格闘シーンはとても秀逸。シリーズ終了が、実に惜しまれる。〉
<2020年10月3日 刈谷日劇にて鑑賞>
メッセージ性は高いが……
チア太極拳も見たかった!
サンフランシスコに渡ったイップ・マン。息子チンの留学先を探すために中華総会を訪れるがブルース・リーが詠春拳を西洋人に教えてることを諫められ、紹介状の件はあっさり断られる。一方、ブルースの弟子でもある海兵隊のハートマン二等軍曹は中国武術を軍の教育科目に取り入れてもらおうとするもバートン一等軍曹と対立することに・・・
妻も亡くなり、自らもガンの宣告を受け、人生の最後をアメリカでの人種偏見と立ち向かい、有終の美を飾ろうとするイップ・マン。中華総会会長でもある太極拳師範のワンとも戦うこととなるが、決着はつかず、「勝ち負けは重要なのか?」と中国武術の崇高さや全ての流派を尊重するイップ・マンの心意気がうかがえる言葉。移民の国アメリカにおいて、アジア人への偏見を無くすことが重要なのだとも説く。
1964年ということで、乗合バスも有色人種専用のものだったと思われる映像。海兵隊員にも黒人が多かったし、かなり人種差別についても訴えてくるものがあった。チアリーディングの娘ルオナンもまたアメリカは移民の国だとはっきり主張していたことも印象に残ります。そして、この頃からモンスターペアレンツが存在していたことも・・・でもベッキーの父親アンドリュー・ウォルターズはそれほどでもなかったことがわかる。
ブルース・リーを演ずるチャン・クォックワンも前作から引き続き、ソックリさんぶりを爆発。決めポーズひとつひとつがとにかく映画のシーンを思い出させてくれるし、試合でもあの奇声を発していたのも笑えるところだ。また、祭りの会場では意外と強いおばちゃん拳法が際立っていた(名前わからず)。
ドニー・イェンの見どころは中華テーブルから始まり、ワン、中秋節のコリン、軍教練場でのバートンとの対決。ガンに冒されている哀愁も感じられるし、相手の攻撃もかなり受けているという痛々しさ。この技が全てブルース・リーに受け継がれていくのかと思うと感慨深い。
そんなイップ・マンの最後の映画。ラストに流れる過去作品のアーカイブにはタイソンやサモ・ハン、その他いっぱい直接対決した人物も映し出され、涙なしでは見られないエンディングでした。1972年、79歳で・・・ということは、64年にはすでに70歳を超えていたんですね!そして翌年にはブルース・リーが・・・と、また怪鳥音が聞きたくなってきた。
完結篇としては良い締めです。
完結
佇まいと矜持
ドニー演じるイップ・マンの佇まいがこの上なく好きだ。
知的で物静か、凛とした隙のない姿勢に心惹かれる。
物理的な強さ、切れ味鋭く高速のカンフーも勿論素晴らしい。
弟子であるブルース・リーの動とは対照的に、
静謐さえ感じるところから繰り出される流麗な技、
今回の滑らかな太極拳とのバトルは見応え十分だった。
中国人としての矜持にも心酔する。
いつものことながら微動だにしない精神力、
それでいて柔軟な技にも通ずるクレバーさ、
マンネリなストーリーも全く気にならない。
ドニーの立ち振る舞いこそが作品の真髄なのだ。
完結を謳いながら、臆面もなく続編が出たりする。
イップ・マンならそれでも良いかと思っていたが、
少なくともドニーが出ることはないな・・・。
彼の矜持に反するだろう。
観終えて心から寂しく、喪失感に拉がれた。
感謝のオマケで
今度こそ本当に終わり
黄禍論、再び?
本当に強い人は武術など必要としない
実は映画の前に一幕あった。父親と7〜8歳くらいの女の子が二人でこのクンフー映画を観に来ていて、女の子の座高が低くて前の椅子の背もたれが邪魔になってスクリーンが見えない。父親は子供用のクッションがないか係員に尋ねていたが、どうやらなかったらしい。係員は謝っていたが、ここは謝罪よりも対処だろうと、傍で見ているこちらが憤慨しそうになった。
女の子は椅子の上に正座してみたりしたが上手くいかないようで、父親が前の席に行こうかと促すと、無断で席を移るのは駄目だよと女の子が言う。なんていい子なんだとこちらが勝手に感動しているところへ、別の係員がクッションを2つ持ってきた。女の子は2つとも使って、高さが合うことを確かめて喜んでいた。
と、そこへ更に別の係員が来て、一番見やすいB列が空いているのを確認しましたのでよろしければどうぞお移りくださいと言う。父娘は席を移動しクッションを2つ使って楽しく鑑賞できたようだ。めでたしめでたし。
映画とは無関係ではあるが、たまにはこういうエピソードも紹介したい。否定的な世の中で、たまに肯定的な出来事を見かけるとほっこりするものだ。
さて、本作品はクンフー映画である。ブルース・リーがインタビューで自身の武術のことをクンフーと発音していた映像を見たことがあるので、ここではカンフーではなくクンフーと表記する。本作品はブルース・リーの師匠に当たるイップ・マンが、アメリカに色濃く残る人種差別やハラスメントに対峙して、クンフーを通じて戦う映画である。
様々な種類のある中国武術だが、本作品に見られるように太極拳は一目置かれているようだ。というよりも、太極拳は国民の生活に溶け込んでいるから、これを疎かにすれば中国国民から総スカンを食らうのは必至だ。だからそれなりの重きを置かれた扱いになったのだろう。もうひとつ有名な少林拳は本作品で紹介されていたのか記憶に残っていない。
どの武術が最も強いのかという議論は中学生の男子が好きそうだが、実際は個々の武術家の適性や能力によって左右されるから、どれが一番強いかは試合などでは決められない。そして武術は人間が身につけるものだから個性を抜きにしては評価できず、人間には好不調の波もあるから、数学的に強さを算出することも出来ない。偶然の要素も多分にある。どの武術が強いかを決めることは実際的にも理論的にも不可能なのである。
現代は武器が発達していて、拳銃やライフル、バズーカ砲から戦闘機、空母、潜水艦、果ては核兵器や化学兵器に至るまで、膨大なヒトとモノとカネが関与してせっせと作り続けられている。戦争や紛争といった殺し合いにおいては武術の出番はない。
なのに何故人は武術を習得しようとするのか。それは弱いからだ。自分が弱いことを知ってるから強くなりたいと願う。武術を習うと暴力に対する対応ができる。日常的に受けるかもしれない暴力を恐れなくなる。しかしそれがいいことかというと、そうでもない。
武術は師匠から弟子へ受け継がれるが、このとき生じる師弟関係は兄弟子と弟弟子、弟弟子と新弟子などのように上下関係のヒエラルキーにつながっていく。精神性で言えばほぼ封建主義である。封建主義は人権をスポイルする。これがよくないことのひとつ。
もうひとつは、武術を習熟して暴力的に人を圧倒できるようになると、それによって他人を支配しようとする人間がいるということだ。暴力団や半グレといった不良たちはそれでカタギから財産や労力を脅し取って凌ぎにしている。そういう連中の中には昨春の桜を見る会に参加している者もいた。武器、武術、暴力、国家主義、安倍政権は同じ箱の中に入っている。同類項なのだ。
本当に強い人は武術など必要としない。武器もいらない。必要なのは恐怖や不安を克服した強い心だけだ。暴力に屈しない、欲に溺れない。金も地位も名誉も住むところも食べ物さえもいらない。勿論そんな人は滅多にいない。歴史上でも数えるほどしかいないだろう。彼らはアウトサイダーであり歴史を作ることはない。人類の歴史は人殺しの歴史だからだ。
稀にではあるが、武術の鍛錬で精神も鍛錬できる人がいる。それは武術で自分に打ち勝とうとする人である。本作品の主人公イップ・マンがそういう人かどうかは不明だが、武術で身につけた礼儀と優しさは感じられる。偉そうにしないし口調は丁寧で、ありがとうを頻繁に口にする。
「武術家として不公平とは戦わなければならない」というイップ・マンの台詞のとおりならば、武術の前に人は平等ということになる。勝つために戦うのではなく守るために戦うのだ。本作品には胸のすくシーンがいくつかあり、暴力や圧政に対して身をかがめる必要はないという武術家たちの覚悟も伝わる。いろいろな武術が、自分自身の弱さを克服して寛容と優しさを身につけるための鍛錬であるという概念に収斂されていくといいのだが。
どこで暮らすにも、重要なのは自信だ。
カンフーアクションの金字塔、堂々完結!
王道を貫き続けたシリーズ。マンネリ感は仕方なし?
Fuck off, Racism !
イップ・マンシリーズの完結作品。カンフーアクション満点の娯楽作品。文句無く楽しめる。ストーリーの細かい伏線の回収は端折ってしまってらいるが、まぁ、そんな事は大したことではない。ドニー・ウェンのクールでカッコいいアクション・シーンが全てを物語る。10年に渡る作品なだけに観る側の思い入れも相当ある。ブルース・リーのエピソードを絡めただけでなく、ブルースならアクション・シーンも見れて感無量だ。コロナで上映時期がズレてしまったが、今の時期で良かったと思う。1960年代当時の有色人種への差別は相当なものだったであろうことは想像に難くない。今現在でも差別されている。Black Lives Matterには私たち黄色人種も含まれているのだ。喫緊の人類の案件として、知性と理性を持ってこの人種に留まらぬあらゆる差別を乗り越えねばならない。差別を助長したところで、惨めな感情で自らを汚し、貶める結果でしかない。イップ・マンの台詞で「自信を持て」というのがあったが、差別をしない、させない自信を私たちは持たねばならない。大衆であるならば、尚更持たねばならない人生の必須条項である。
水のようにしなやかで、炎のように美しい武術。
アクションが胸に響く
葉問先生アメリカに出張する
完結!(しないで)
過剰反応かもしれないがこの時期に新宿は行きたくないなあ。とはいえ武蔵野館に行くしかないかなあ。
と、思っていたら立川シネマシティ2で上映しているではないですか。まあ東京には違いないが。
と、いうわけで約25年ぶりに立川での映画鑑賞。当時はまだ2本立てが当たり前だったなあ。
まさか大スクリーンでイップ・マンの最後を観れるとは。ありがとう立川シネマシティ。
さて映画についてだが、うーんなんというか、魔人ブウを倒した後のドラゴンボールというかカイオウを倒した後の北斗の拳というか、とにかくヒット作を終わらせるのが惜しくて無理にもう一本作った感じだ。前作で終わりでよかった感が強い。
まあ前作はアクションといいエモーショナルなドラマといいカンフー映画のお手本とも云える完璧な作品だった。あの次を描くとなれば、どんな脚本だろうと蛇足感が出てしまうのは致し方ないトコロか。
今作はとにかくイップ・マンを闘いの場に立たせる為に強引に作られた脚本という気がしてならない。無理筋と思える展開も致し方ないのかもだが、現在の中国政府の下では良い外国人ってのは描いてはいけないのかねえ。
しかしながらアクションに関してはやはり素晴らしく、序盤ではドニー対ウー・ユエが実現。
この二人はSPLの1と3の主人公同士でファンを喜ばせるカードだ。アクロバティックなカンフーも良かったが型がビシッと決まる本作のカンフーもまた素晴らしい。
そしてラスボスはスコット・アドギンス!
ハンサムでグッドシェイプでアクションもキレッキレなのだが、妙に悪役が多い(笑)
ま、そこは演技力も有る為と考えよう。
本作でも思わず、「おおっ!」っと唸るアクションを軽々と披露してくれる。彼の映画でオススメ出来るのは「ニンジャ・アベンジャーズ」位しか思い浮かばないのだが(笑)、ドニーとの対決が観られたのはアクション映画馬鹿としてはこの上ない眼福でした。
もっと売れて欲しい俳優であります。
本作は完結と銘打たれていますが、出来映えとしては勝手に先に終わらせた「イップ・マン最終章」の方がまだ少し良かったと思える程です。
なので勝手なお願いだが、10年後に初老になったドニーにもう一度イップ・マンを演じてもらいたい。
シブさを増したドニーが演じる激シブのイップ・マン。観てみたいとは思わないだろうか。
なので完結と云わず、10年後におかわり待ってます!
追記
とにかくありがとう立川シネマシティ2。
この後イップ・マンシリーズを1週間ずつ全て上映する様なので、お気に入りの1作を大スクリーンで改めて観るのも、ファンならば充分に有りでしょう。
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