ベル・カント とらわれのアリアのレビュー・感想・評価
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テロ行為は…
決して許されることではないが、その背景にある動機や、歴史を汲み取らなければならないと改めて痛感させられた。映画は南米ペルー大使館の占拠事件がベースとなっている。ニュース映像はフジモリ大統領そのまま使っていたし。テロリスト達と人質達が長時間共にするうちに心が通じ合い、ある者は恋に落ち、共にオペラを聞き、サッカーに興じるようになり、異様な空間の中で、不思議な関係が構築される。いつかは終わりが来るだろうと誰もが思っているが、終わりたくない、このままでいたいと思うほど、そこはある意味、楽園かのような描かれ方をしている。育ちや、言語は違えど、テロも人質も同じ人間、互いに敬意を払っているという風に。そういう意味ではテロリスト全員射殺の結末は悲しい。映画でも突発的事故とは言え、人質一人が銃殺されており、テロ行為=悪という認識は今後も変わらないが、なぜ同じ人間が、そのような行為に至ったか、映画では500年抑圧されてきたとあったが、少数民族の歴史的背景を重んじなければ、この様な悲しい負の連鎖が繰り返されるだろう。テロ側の視点に立った珍しい映画。ソプラノ歌手を演じたジュリアン・ムーアの口パクと、渡辺謙との不倫は若干残念。
実際の事件からヒントを得て、別物の恋愛映画に変わった不完全な作品
1996年ペルーの首都リマで起こった、4ヵ月にも及ぶ日本大使公邸占拠事件から発想された原作の映画化で、ペルーの国名は伏せられ副大統領邸のコンサートパーティーが舞台となる。但し日系人大統領はそのままで、当時のジャパンマネーに頼る南米の貧しさが背景にある。貧困と差別からくる政治不信の打破を目論むテロリストの無計画さが、膠着状態を長引かせて、そこに生まれる奇妙な人間関係が新たなドラマを生んでいる。しかし、日本人実業家ホソカワがディーバと敬愛するソプラノ歌手ロクサーヌ・コスーの世界的名歌手の設定に無理があり、一夜限りの個人的なコンサートの為にその場に居合わせるのが不自然。また人質解放で子供と女性は最優先されるし、まして彼女はアメリカ人だけに国際問題として米国を刺激してしまう。ホソカワとの恋愛を描きたい作意が明らかで、それが通訳ワタナベとテロリストの少女カルメンとの恋とダブるのも工夫が足りない。折角の日本人俳優出演が勿体ないし、特に加瀬亮は実力の半分も出していないであろう。最後の特殊部隊突入に込められた人道主義からの批判的描写も理解はするが、敵味方入り乱れ切迫した状況では仕方ないのではないだろうか。人質監禁を交渉の道具にするリスクは、自滅に近い。
主演のジュリアン・ムーアは貫禄はあるが、吹き替えの演技が良くない。交渉人役のセバスチャン・コッホとラテンアメリカ人のテロリストを演じた俳優はいい味が出ている。それに、クリストファー・ランバートを久し振りに観た。さすがにおじさんになりました。
現実的な社会問題に深入りすることなく、男女の恋愛ものの凡庸さに終わった不完全な作品。
加瀬くんが大活躍!
ジュリアンムーアと加瀬亮目当てで。
ジュリアンのオペラ歌唱の口パクは、うーん口パクだよねってわかる感じだった。難しいだろうから仕方ないけど。
加瀬くんの通訳能力が全て!みたいなシチュエーションで、おお、大活躍やん!と思いました。
反政府ゲリラの女性とのロマンスもいいわねーって思ってました。
南米の政府高官の家でのパーチーに、大統領が来ると聞いて反政府ゲリラが襲撃、大統領はいなかったが居合わせた人を人質に取り籠城、女性と子どもは開放されたのに有名人だからという理由でジュリアンは囚われたまま。兵糧攻め、水攻めをされ、ゲリラ側の交渉にジュリアンの歌うアリアが利用されます。
また、反政府ゲリラと人質の間に、同じ釜の飯を食う系の絆みたいなものが生まれ、なんか囚われてるのに楽しそうな雰囲気になってたら…
ラストですよ、めちゃびっくりした。
なんで撃つの?って叫びましたよ(心で)。
そしてジュリアンとアチチな仲になっていた渡辺謙は確か誰かを助けようとして射殺されてしまう、というね。
90年代に南米のどっかの国で、起きた事実に着想した話らしいですが、ぜーんぜん覚えてませんね。ティーンエイジャーとはそういうものかもしれません。
人質の音楽会
ペルー日本大使公邸人質事件に材をとった小説の映画化ということだが、その虚実ないまぜの作為がよくわからない。オペラ歌手の件はフィクションなのだろうが、当時のフジモリ大統領の映像らしきものも出てくるし、犯人らがサッカーに興じている最中に特殊部隊が突入したのも事実らしい。完全に架空の国という設定ならいいが、中途半端に実際の事件の要素を混ぜてくるので、誤解されるおそれがあるのではないか。
ストックホルム症候群だとしても、中盤の微温的な日常はちょっとあり得ないほどで、恋愛模様はとってつけたようだ。一方で現実の事件の結末は知っているので、その瞬間がいつ来るのかというひりひりした気分は消えない。犯人と人質の交歓から一転破滅へ陥る展開は、シドニー・ルメット監督の「狼たちの午後」を連想させる。
女兵士カルメンの造型はなかなか良かった。裁縫用の糸と縫い針で傷口を縫うのは痛そうだが。
意外とラフに見られる
鑑賞まえは結構重たい映画かなと思ったら、いい意味であまり頭つかわずラフに見られる作品だと思った。
死人もテロリストとマネージャーと渡辺謙だけだしね。
マネージャーも渡辺謙も誤射だし気分が悪くなるような殺され方は描かれていない。
メッセージ性としてはテロリストとはいえ一人の人間であり、本来は理解しあえる者同士なんだということだと思った。
今回同じ屋根の下で暮らしていく上でテロリストと拉致被害者の間に友情や恋愛、家族愛みたいなものまで芽生き描かれていた。
その為テロリストが射殺された時は、救助された喜びよりも悲しんだ者ばかりだったのが印象的。
それ以外には特に大きな描写はなく、ある意味安心してゆっくり見られる作品。
個人的な価値観としてはテロリスト、テロ行為は断固として許される行為ではないと理解しているため、どんなに根はいい者でも、テロ行為をしてしまった時点でそれ以上の理解はやはり芽生えることができない。
渡辺謙が最後にテロリストを庇って死ぬシーンも、きっかけはテロリスと被害者の出会い方だったとはいえ、一人の人間の命として大切に扱い庇う行為に至ったってのはわかるが…なんかそれ以上のものがなく呆気なく終わったように見えた。
決して退屈に感じたり、つまらない作品ではないが格段新鮮味や驚き、考えさせられる作品でもなかった。素直に見て楽しむのが理想なのかな。
いち作品として観るべき
エイガドットコム試写会にて鑑賞。1996年、フジモリ大統領時の在ペルー日本大使公邸占拠事件を題材に作られた半分史実で半分フィクションなお話。ジュリアンムーア扮するヒロインの歌声に感動、というよりは、当時小学生でフジモリ大統領の名前とものすごい世界的に批判されてたことぐらいしか記憶になかったから、逆にこれは『映画作品』としてすんなり謙さんや海外俳優達の演技力に泣かされたのかなあという印象。(ほんとラスト10分ダラダラ泣いたけど)史実をしっかり反映させてほしい人には矛盾だらけかも。加瀬亮が通訳の役で英語に加えスペイン語も頑張って長尺で自然にこなしてたのが凄かった。
イタリア語で”美しい歌(発声方法)”
2001年に発表されたアン・パチェットによる同名の小説の映画化で映画ではただ南アメリカの国としか紹介していないが、1996年に起こった MRTAによるペルー日本大使館襲撃事件からヒントを得ていると本の紹介には書かれている。あまりにも物語にフィクション性が高いためにあからさまには事件や事柄に特性を持たさなかったためか?
この本は、2001年の"Amazon's Best Books of the Year"にもなっていて、ほかには、賞にも輝いている。
渡辺謙は、近頃日本で私生活のことをマスコミに取り上げられていたが、この機会にもう日本とアメリカの両方の生活をするより、いっそのことアメリカに重点を置いたほうが、こんな小さな国ではもったいないほどで、この映画に関しては、オスカー女優のジュリアン・ムーアを相手に引けを取らない良い立ち位置にいる。また通訳として出演のGENという役名の加瀬亮は、彼の才能なのか、通訳として自然な演技をしていたのが印象に残る。彼が、MRTAの女性メンバーとの恋は、彼女の未来がわかってしまうもので、作者の冷徹さが、この映画の評価を下げてしまう一つの要因であるかもしれない。それと、このシナリオの重要な要素として、人質とMRTAのメンバーが何故か時間が過ぎていくうちに、奇妙な仲間意識や連帯関係が生まれ、ラストのほうでは、メンバーが混成のサッカーをする場面まで描いているけれども、ストリー自体が遅く感じ、しかもイベントのような盛り上がるシーンがほとんど皆無と言っていい変化のないもので、いわゆるだれたシナリオと言わざるを得ない。
アメリカの新聞紙Village Voiceのコメント「情熱的でしかも芸術性の高い映画において、だれも目的もなしに愛したり、死んだりはしないものだ。」カナダ最大の日刊紙Toronto Starのコメント「暴力的な場面でも叙事詩的なクライマックスが、観客が息をのんでしまうという感情に訴えかける力がある。」というように批評家からは、ある程度、好感を持たれているのだが、ジュリアン・ムーアがインタビューでもオペラを自らは歌っていないと潔く答えていたのだけれども、それにしても口パクであるのがあからさまに見えてしまうのは、個人的にはもう少し工夫があるのではないかと思うし、彼女の顔と声の質がかけ離れているようにも思える。
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