柄本家のゴドーのレビュー・感想・評価
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「ゴドーを待ちながら」
柄本明の2人の息子。
長男の柄本佑。
次男の柄本時生。
その2人が父親柄本明の演出で「ゴドーを待ちながら」の舞台に立った。
それは2017年の事。
(かなり古いのが残念である)
「ゴドーを待ちながら」は、
1954年に出版されたサミュエル・ベケットの戯曲。
不条理劇の代表とされている。
意外と新しい作品なので、ある意味で驚いた。
たった2日間の物語で、
浮浪者の2人(柄本佑と柄本時生)が一本の木のある、一本道で、
ゴドーを終日待つている。
日の暮れた頃、子供の伝令が来る。
「ゴドーは今日は来ない。明日来る」
そして翌日もゴドーは来ずに、浮浪者の2人は自殺する。
しかし未遂に終わる・・・
ざっとこんなストーリー。
この伝令の子供の役を13歳の時、柄本時生が舞台初出演で
演じているそうだ。
(2011年の新国立劇場で、橋爪功と石倉三郎が主演だ)
「ゴドーを待ちながら」は柄本明も石橋蓮司と演じている。
柄本明と言えば劇団東京乾電池の座長として有名。
この映画を観ると、柄本明の確かな演技力と演出力を
まざまざと見ることができる。
柄本佑もまだまだ未熟だったなぁー、などと思ってしまう。
柄本兄弟が「ゴドーを一生かけて演じて行きたい」
そう言うほど、奥が深い作品なのだろう。
親の偉大さ
たすくもときおも好きだが、稽古を見ていても、何もかもがやはりお父さんには及ばない。作品の真理が、はっきりと見えているかの違い。キャストはやはりもう少し年齢が上の人がいいのだろう。かつての柄本明の舞台は確かに素晴らしい。ただしこの兄弟がゴドーという作品に運命的なものを感じているなら、何年もかけて真理を見つけ、良いものになっていくのだろう。10年後、20年後のこの2人のゴドーが見たい。
役者とはどういう仕事か
内容はそこまで深く切り込んだものではない。
ただ稽古中の節々の言葉から、柄本明の芝居に対する姿勢が垣間見られる。
「役者はセリフを言うことが仕事ではない(物語や感情を伝えるのが仕事)」と言われるなかで、回り回って「書かれていることを言うだけ」と言う。
いかにしてその文字たちを具体化し、身体にフィットさせ、自分の言葉として発せられるか。それが芝居の基本ですべてであると言っているようである。
その頭のなかを芝居を極めてない者が稚拙な言葉で語ることはできないが、芝居の世界の奥深さを感じさせてくれるドキュメンタリー。
名うての演出と役者
柄本明の圧倒的な存在感、百面相、肉体表現の豊かさに惚れました。
「正解を探ろうとしているのが良くない」みたいな演出指導にグッときました。
命の根源や喜びよりも、いちいちクソつまらない「意味」とやらを見出そうとする現代人の癖に、ベケットは「何も起こらない」という形式で問い正す。
「正解」を探っているうちは本当の価値は伝わらないと言っているような柄本明の演出に、ベケットは微笑んでいるに違いない。
ないない尽くしが「ゴドーを待ちながら」である。『ゴドー』は我々を見放した『神』なのか『死』なのか『意味』なのか。そんなことはいくら議論してもわかるまい。
物語の中心に行けば行くほど空っぽなのだから。
だから『ゴドー』にはこういう名うての演出と味のある演技がどうしても必要なのだ。
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