ビハインド・ザ・カーブ 地球平面説のレビュー・感想・評価
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ある種の宗教性を持つ人たち
地球平面説を支持する人のドキュメンタリー映画である。陰謀論が好きな人達が支持しているのかと漠然と考えていたが、説の証明のために数々の実験をしたり、理論的立証を試みたりと意外に科学的なアプローチを好む人が多いようだった。その一方で、彼らは学校教育や社会通念にあまりに疑心暗鬼になったり、他人をあまり信用出来ない等の性格的傾向があった。何事もまず疑い、自分の目で見たものでしか信じられないとインタビューの中で語っていた人もいた。
皮肉なのは同じ説を支持する人同士でコミュニティーを形成し、心の拠り所を共有した同士であれば容易く信頼関係を構築していた点だ。幼少や青春時代に孤独や疎外感を感じていた人ほど、マイノリティーに魅力を感じグループ活動に傾倒する事で悲しみを埋め合わせ、自己の存在意義を確立しようと試みるのかもしれない。自らのコミュニティと同じ考えを持つ人のみと付き合う等、排他的な印象を受けたが、それもコミュニティ内の絆を通しての所属感を満たす為のものだろうか。
実は、地球平面説はそのグループを維持する為の単なる大義名分であって、自己を確立する為のアイデンティティになっているだけではないだろうか。それ自体に意味はなく、簡単に置き換わったり、立証されないものであれば揺るぎないアイデンティティを確立できる。そしてそれを守る事に彼らは全力を注ぐのだ。実際、自らに都合の悪い意見や実験結果を無視したり、結論ありきで強引な論理で説を組み立てたり、実験結果を解釈したり等の行為を繰り返していた。
これがエスカレートすれば社会や教育界に危害を及ぼしかねず、ある種の危険な宗教団体として見られる可能性すらある。恐らく多くの宗教も単一のドグマを共有し精神的幸福に繋げる中で形成されているのだろうが、一部は自身こそが絶対と決めつけ社会を敵視するあまり暴走した。
だからこそ彼らも危険とは言わないが、この映画を通じて案外、素朴な社会的背景や心理状況により簡単に宗教的性質が形成される事、その過程を再認識した気がした。また、宗教とは何なのか、もっと身近にあるものの集まりの多くが実は宗教と呼び得るものなのではないかと思った。
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