「定説を疑問視するのは悪か否か」ビハインド・ザ・カーブ 地球平面説 にくきゅうさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0定説を疑問視するのは悪か否か

2020年1月3日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

2020年 2本目

先日、「地球平面説」のワードがTwitterでトレンド入りしていたので、気になって視聴。

高校生時代、物理学の授業が嫌いだった。「ボールが落ちる」事についての数式を数十分かけて板書しそれをノートに写す事が回りくどく感じて嫌いだった。「ボールが落ちたね」って言えば人生において事足りるじゃないかといつも思っていた。
映画冒頭でマークが言うことは自分の物理嫌いの経験もあり、科学者は数式を並べて反論云々は理解できたし、シアトルが見えるじゃないかと言う意見もそうだね、と思う。しかし、自分は地球は丸いとある程度納得して22年生きてきたので、この映画は反地球平面論者の立場で観させてもらった。

鑑賞後に思った事として、この映画は地球平面説を持ち上げる訳でもなく、囲い込んでリンチにする訳でもない。地球平面論者にも科学者にも、どちらの立場にもツッコミどころがある映画だった。まずは地球平面論者側は、組織としてまとまりが無いからなのか理論は穴だらけ、中学高校の科学の知識があれば鼻で笑えるお話だ。対して科学者たち。現場で科学と向き合っている学者は地球平面説に興味を持ち、面白いと考えた上で否定している。しかし問題は科学とそこまで縁のないメディアやコメディアン、定説で固められた一般の人々の方だ。観ていて悲しくなるほどに煽りを地球平面論者にぶつける。
ここで自分が思った対立の構造は
・地球平面論者
・メディア
・科学者
この3つかと思う。
地球平面論者は「真実が知りたい」から、地球平面説を唱え続ける。
活動の原動力はバカにされた悔しさ、悲しさと映画中では語られていた。この悔しさが続く限り定説を否定し続けるのだと思う。
対して科学者は「地球が丸い」という事実に基づいたデータを投げかけ続ける。
科学者はバカにしていないのに、ただデータを共有しているだけなのに、声が届かない。むしろ、平面論者を科学者の芽として見ていて手を取り合いたいとさえ考えている描写もあった。
間に入るメディアは「地球は丸いだろバカ」と定説を押し付ける。
コメディアンは笑いの種として利用し、お茶の間の子供達はそのギャグを真似して学校で話題の種にする。

なぜ、お互いの声が、気持ちが正しく届いてないのか。この映画がなければこの現状を知ることも一生なかったと思う。この問題の関係者はいち早くこの映画を観て欲しい。
科学はいつでも、定説を疑って進歩してきた分野だと思う。時代によってはそんな奴は処刑されたりしてきたが、今は違う。誰でも自由に情報を発信できて、議論ができる道徳もある程度整っている時代だ。少しでも多くの人が、定説の疑問視をすぐ切り捨てるんじゃなく、素直な疑問だと思ってあげられる社会になってほしい。

映画を観る前は地球平面説は無いな、と思っていたが、今はマークの母親と同じ気持ちだ。

にくきゅう