「【考察: 「客観主義的非主体的人物」と「客観主義的主観主義者」】」甘いお酒でうがい ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【考察: 「客観主義的非主体的人物」と「客観主義的主観主義者」】
この作品、前に鑑賞していたのだけれど、ちょっと面白おかしくも、切ないし、よく考えれば、今の僕達に繋がる構造が見えてくるようで、実はまた分からなくなって、レビューを放置していた。
この作品は、世の中でちょっと取り残された感のある人に向けた賛歌だ。
こうした日々のささやかな出来事まで物語のようにするのは、そんな昔からあったわけではない気がする。
やはり、SNSで日々、出来事をアップする人が多くなっていることが影響しているのだろうか。
因みに、「客観主義的非主体的人物」とは、佳子のことだ。
自分をよく観察しているが、何をどうしようとか、こうした方が良いとかモチベーションがほとんど感じられない。
本当は葛藤があるのだけれど、なかなか表面に出てこないといった方が正解かもしれない。
前者の表現は、佳子に共感する人から反感を買うかもしれないが、後者は、もしかしたら、なるほどと思ってもらえるかもしれない。
若林ちゃんは、「客観主義的主観主義者」だ。
対義語を重ねて、意味不明かもしれないが、以下のような説明でどうだろうか。
一見、客観的にまわりを観察しているように見えて、実は、かなり自分の主観に基づいて発言・行動する。
うわべだけ客観的とも言える。
「女の子って、こういうものよ」とか、
「女子のこと、分かってないんですねー」と、僕に言ってくる女性は、大概、このタイプだ。
このタイプは、この映画のように、余計なお世話が奏功する場合もあるが、実はそうじゃないことが多い気がする。
さて、この作品は、僕達の生きる世界で、ある意味、曖昧で、どのカテゴリーからも漏れそうな人たちを指しているのかもしれない。
一昔前だったら、一定の年齢で独身の女性は肩身が狭かったかもしれない。
でも、今は、ちょっと変化している。
しかし、独り身を感じることはさみしい。
世の中は、ジェンダレスな方向へ突き進んでいる。
しかし、女性であることを意識するのを止めろと言われても・・・・簡単には変われない。
今、僕達は、目標を明確にして、多様性を受け入れて、たくましく生きるように迫られている。
ワークライフバランスという言葉は、仕事中毒はダメよという意味だと思うが、生活をするために、それなりのハードワークは絶対必要だ。
多様性だって、人によっては、結構、窮屈かもしれない。
ただ、考えてみると、こんな感じの人は、かなりいるような気がする。
やっぱり、この作品は、変化する世の中でちょっと取り残された感のある人たちへ向けた賛歌だ。