「「一寸でも私を赦してくれる?」」ある女流作家の罪と罰 いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「一寸でも私を赦してくれる?」
評論家町山智浩のレコメンドということで、DVD化していたので鑑賞してみた。確かにこれは日本では配給つかないだろうなぁというのが最初の感想。台詞やストーリーに登場する人物名がアメリカでは有名らしいが、日本ではさっぱり分らない人達ばかりである。勿論、自分の無知が前提なのは自覚しているし、もし日本の水準として『キャサリーン・ヘップバーン』、『ファニー・ブライス』、『ドロシー・パーカー』などが既知として当然なのだとしたら、今作品は間違いなく日本での上映が実現されている筈である。有名人の私的な手紙を収集するコレクターの世界自体も日本では馴染みの少ないものも手伝って、一本も観たことがないウディ・アレンのようなスノッブと皮肉、風刺を効かせた台詞劇は、その知能の高いブラックユーモアに鼻持ちならないイメージを持つ身として、苦手意識が過ぎる作品に仕上がってしまっている。批評家には絶賛の品質らしいが、その辺りが下々の世間との乖離を如実に現わしている建付けかもしれない。そしてそれはネットでのレビューサイトでの評論ではっきり理解出来た。そのレビューサイトによると、今作のテーマは『自分の個人的経験、主観的見解VS “誰かから借りた”見解』というプロットであり、実際、クリエイターの人生を歩んだことがない、自分を含めた大多数の鑑賞者には響きづらいテーマであることに合点が入ったのである。有名人の手紙を偽造する犯罪に対して主人公は法廷で、裁判長に対しその行為自体には誇りを持っていたと語る。それはその有名人達に成り切って、しかしその言葉自体は紛れもなく主人公自身から産まれた創造物だったからなのである。“人のふんどしで相撲を取って”いても、取ってる主体は自分である。批評に晒されるのが恐く、故に本当の作家ではなかったと反省していても、やはり犯罪に手を染めている間は本来在るべき姿の自分というものを発見できていたということであろう。そして、そんな自分に対し、ネコではなく気を掛けてくれる友人や恋心を抱く人の存在の有難さを再認識させられるという裏テーマのパラレル性の複雑さも、なかなか気付けない難しい作品なのである。そしてこの罪を犯した流れを自分の伝記として書くことにより、初めて自分の言葉を紡げることを喜ぶという、実に遠回りなインスピレーションであると感じた次第である。自分にはかなり高レベルな作品であり、映画に対する評論の重要性をまざまざと身につまされた作品であった。